ノート:ギデオン・ドレーパー

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母の日を定着させた人物について[編集]

冒頭に「母のシャーロッテ・ピンクニー・ドレッパーは日本に母の日を定着させた」とあります。シャーロッテ・ピンクニー・ドレーパー(Charlotte Pinckney Draper)のことは、横浜に聴覚障害児の教育を始めた人物として、『時代を拓いた女たち かながわの111人』第II集(ISBN 978-4-87645-475-4)p154-155に記載がありますが、母の日云々についての記述はありません。検索してみると、青山学院の公式ウェブサイトによれば、妻の「マイラ・E・ドレーパー」が母の日を広めようと努めたとあり、正しくはこちらではないかと思うのですが、いかがでしょうか?--逃亡者会話2020年12月1日 (火) 20:56 (UTC)[返信]

上記の通りに改訂させていただきました。--逃亡者会話2020年12月10日 (木) 09:34 (UTC)[返信]