ノート:キリスト教文書

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独自研究タグ[編集]

ウィキブレイク中で長文が書けませんが、短く説明します。

  • Wikipedia:削除依頼/会津観光史学が参考になるかと思いますが(この議論は議論継続中で結論は出ていませんが)、出典がつけられたからといって即、それが記事として扱い得る概念と認められるかというと、そうではありません。時には議論になるのです。今回もそれに該当します。
  • 「キリスト教文書」という概念が仮にプロテスタントにあったとしても、正教やカトリックにはそれらは「聖伝(Holy Tradition)」の枠内で捉えられるものであり、そうした概念整理そのものがありません。
  • また一定程度の概念があるとしても、そうした概念が合意のもとに使われている実績が無いと、記事の方向性も不明瞭になります。たとえば「仏教文書」といった記事はありませんが、作成するとしたら大変と思います。教典・経典はどこまでを範囲にするのか、各種書簡や写経まで含めるのか、テクニカルな問題が多発するでしょう。「イスラーム文書」という記事にしても同様です。クルアーンのみ認めるのか、ハディース、各種の学派の解釈書まで含めるのか、などなど…
  • 要するに百科事典として相応しくない記事であるということです。私としてはこの記事の削除を志向するものであります。--Kinno Angel 2011年1月31日 (月) 09:59 (UTC)[返信]
本の題名になっていて、この概念がある以上、独自研究の名称や削除に相応しいとまでは言えないでしょう。そうなると聖伝と対立概念となるのでしょうか。--イザヤ 2011年1月31日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
逆にプロテスタントからすれば、聖伝はキリスト教文書の枠内で捉えられるものでしょう。--イザヤ 2011年1月31日 (月) 10:18 (UTC)[返信]
  • 聖伝を「文書」のイメージで捉える事自体が既にプロテスタント的なのです。奉神礼には文書ではない「十字を描く」「点灯」といった動作やさらに聖歌といった要素が含まれますし、聖堂やイコンは当然文書ではありません。
  • 「キリスト教文書」という「概念が存在しない」と申しているのではないのです。「(百科事典記事として)作成するとしたら大変」と申しております。カテゴリで既にCategory:キリスト教文書がある以上、概念自体は当然存在します。しかしながら教派間の中立的観点の調整、ならびに教派内でも学者間での中立的観点の調整を考えれば、収拾がつかなくなることは目に見えています。実際、現時点でも「独自研究」でなければ「中立的観点」タグが必要な状況と思います。
  • そういう意味で、「聖伝」≒「キリスト教文書」の前提で書かれている記事内容の正確さに疑問がありますため、正確性タグも添付させて頂きます。--Kinno Angel 2011年2月3日 (木) 06:21 (UTC)[返信]

困りましたね。ご指摘の問題があることはわかりました。超教派的に考えて作成したのですが、キリスト教の全教会、全教派に関わる重要な記事については、キリスト教のプロジェクトで調整しながら作成した方がよいのかも知れません。--イザヤ 2011年2月3日 (木) 08:04 (UTC)[返信]