ノート:キリシタン大名

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一覧が重複している[編集]

キリシタン大名#キリシタン大名の一覧が作成されていますが、日本のキリシタン一覧#キリシタン大名・キリシタン武将にすでにリストがあります。この二つの一覧を見比べて日本のキリシタン一覧に情報を補った後、キリシタン大名の方の一覧を削除して、日本のキリシタン一覧へのリンクのみにしてはどうでしょうか。--Chiew 2008年1月18日 (金) 02:04 (UTC)[返信]

(報告)リストがほぼ完全に重複していたので、こちらのリストを日本のキリシタン一覧に一部転記しました。--Chiew 2008年3月3日 (月) 06:05 (UTC)[返信]

記述の検証可能性について[編集]

一部の記述についてWikipedia:検証可能性およびWikipedia:出典を明記するの方針にもとづいて、出典の不明な箇所についての明示を求めましたが、ロンダルキア氏によって説明なく記述が戻されましたので、やむなくリバートさせていただきました。本項が歴史項目である以上、上記方針にしたがって検証可能で出典のわかる記述を行っていただきたいと思います。具体的にいうなら、キリシタン大名が「教化を拒む領民や戦争捕虜を奴隷として海外へ輸出するなどの行動を取った者が大多数」だというのは何を論拠に書かれたのでしょうか。信頼のおける出典を明示していただけませんでしょうか。私はこれまでウィキペディアの他ユーザーに対しては、どんな相手であっても常に礼をもって対話を行ってきたつもりです。ウィキペディアのルールにしたがってぜひ私の疑問点にお答えいただいた上で記述を行っていただきたいと思います。Gakuinryou 2009年6月22日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

神社仏閣の破壊と奴隷貿易はキリシタン大名が共通して行っている行動です。 教会側の示唆がないという方が不自然だとは思いませんか? リンクも説明なく抹消しないでください。--ロンダルキア 2009年6月23日 (火) 00:49 (UTC)[返信]

横からですが。では「寺社仏閣の破壊」と「奴隷貿易」が「大規模に切支丹大名によって行われた」という論拠(個人的見解ではなく、~の資料や学説に掲載されているなど)を提示すればいいだけだと思います。一般論で言えば「寺社仏閣の破壊」は大友氏(大友宗麟)の場合はキリスト教信仰という点からだけではなく、傘下の寺社勢力が島津氏などの成長勢力になびいて反抗的になってきた事、及び島津氏の大友領侵攻によって家臣に与える知行地が減少した為、寺社領を没収したという背景があり、(信長の比叡山焼き討ちと同じ理由。仏教が憎いのでなく、敵対勢力に属したから侵攻された。他の大名でもキリスト教に関係なく、寺社領を家臣に与える為とか、武装勢力として他勢力に内通した嫌疑で寺社を没収・破壊するという行為は戦国時代には日常的に行われています。それくらい旧勢力として各地で影響力が大きかったのです。)「奴隷貿易」についても、そういう例があったのは事実でしょうが、「切支丹大名が共通して行っていた」という論拠はどこから出たのか明記されていないので説明不足ですね。また、これはキリスト教会側からもそうですし、仏教徒側からもそうですが、お互いがお互いを貶めようとして、誇大に相手を中傷する記述は当時の資料に非常に多いので、どれをもってして「奴隷貿易や寺社破壊を行った切支丹大名が大多数」と指摘したのか気になるところです。--ポテンシャル0 2009年6月27日 (土) 19:28 (UTC)[返信]
繰り返し、一部の記述についてWikipedia:検証可能性およびWikipedia:出典を明記するの方針にもとづいて、出典の明示を求めます。特にキリシタン大名が「教化を拒む領民や戦争捕虜を奴隷として海外へ輸出するなどの行動を取った者が大多数」だという部分の論拠はなんでしょうか。ポテンシャル0さんも書かれているとおり、百歩譲って特定の人物がある種の行動をおこなったということがあったとしても、それを簡単に「大多数」というように共通して行っていたとするのは明らかに無理があると思います。、Gakuinryou 2009年8月14日 (金) 09:21 (UTC)[返信]