ノート:エルヴィン・パノフスキー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「1927年からハンブルク大学教授。エルンスト・カッシーラーやアビ・ヴァールブルクと共にマールブルク学派で活動。1933年、ユダヤ人としてナチスドイツを追われ、アメリカに亡命。1931年からニューヨーク大学で教え、のちプリンストン高等研究所の教授となる。」と書いてあったのですが、

  • マールブルク学派(新カント派)でよいのか?(ヴァールブルク学派?)
  • 1933年に亡命し、1931年からニューヨーク大で教え、でよいのか?

疑問に思ったので、一まずコメントアウトにしました。 --忠太 2006年5月25日 (木) 16:13 (UTC)[返信]