アルブレヒト1世 (マイセン辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アルブレヒト1世

アルブレヒト1世Albrecht I., 1158年 - 1195年6月24日)は、マイセン辺境伯(在位:1190年 - 1195年)。傲岸伯(または尊大伯、der Stolze)とあだ名される。マイセン辺境伯オットー(裕福伯)とブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世の娘ヘドヴィヒの長男。ディートリヒの兄。

父はアルブレヒトを差し置いて弟のディートリヒを後継者に据えようと考えていた為、アルブレヒトは1188年、武力によって父親を捕縛した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の命令により父を解放するが、これにより相続権の承認を得て、1190年の父の死後マイセン辺境伯に就いた。

フリードリヒ1世の息子ハインリヒ6世に従ってイタリアへ向かったが、すぐに急ぎ戻っている。これは、パレスチナから帰還するディートリヒから自分の領土を守るためであった。ディートリヒは、舅に当たるテューリンゲン方伯ヘルマン1世の支援を受けて辺境領を要求してきたのである。レフェニンゲンの近くで戦闘となり、敗れたアルブレヒト1世は修道士に変装して、苦労の末にライプツィヒへ逃れ、帰還した。

1195年6月24日、フライベルクからマイセンへ向かう途中のクルンメンヘンナースドルフで亡くなった。毒殺されたと推測されている。遺体はアルトツェラ修道院教会に安置された。

1186年にアウシヒ(現チェコウースチー・ナド・ラベム)でゾフィー・フォン・ベーメン(1195年没、ボヘミア公ベドジフの娘)と結婚したが、子が無く、マイセン辺境伯領はディートリヒが継いだ。

外部リンク[編集]

  • Albrecht, in: Meyers Konversationslexikon, 4.Aufl. 1888-90, Bd.1, S.298
先代:
オットー
マイセン辺境伯
1190年 - 1195年
次代:
ディートリヒ