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| アラウージョ |
| 名前 |
| 愛称 |
アラ |
| カタカナ |
クレメルソン・デ・アラウージョ・ソアレス |
| ラテン文字 |
Clemerson de ARAÚJO Soares |
| 基本情報 |
| 国籍 |
ブラジル |
| 生年月日 |
1977年8月8日(31歳) |
| 出身地 |
ペルナンブーコ州、カルアル |
| 身長 |
172cm |
| 体重 |
62kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
アル・ガラファ |
| ポジション |
FW |
| 背番号 |
10 |
| 利き足 |
左足 |
| 代表歴 |
| 1999 |
ブラジル |
3 (1) |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アラウージョことクレメルソン・デ・アラウージョ・ソアレス(Clemerson de Araújo Soares、1977年8月8日-)は、ブラジル・ペルナンブーコ州カルアル出身のプロサッカー選手(フォワード)。
[編集] プレースタイル
ブラジル時代のアラウージョは、ゴールハンターと言うよりも、どちらかと言えばシャドーストライカー(セカンドストライカー)タイプの選手で、球離れが悪い典型的ドリブラーだった為にサイドハーフのポジションで起用される事などもあった。日本上陸後、特にガンバ大阪へ移籍して以降は独特のステップをきざむドリブルでディフェンスを突破し、抜群のシュートセンスでゴールを陥れるストライカーへ変貌。細かなテクニックに加え縦へのスピードにも優れ、リターンパスやドリブルなどを用いて中央を突破、精度の高い左足で数多くのゴールやアシストを生み出す。非常に真面目な性格で守備意識も高く、相手DFラインへのチェックも怠らない。
[編集] 来歴
初めてクラブチームに所属したのは17歳の時で、ブラジル人としては比較的遅い。プロになった当初は体重50kg程度と余りに痩せていた為、大成するとは期待されていなかった。しかし徐々に頭角を現し、1997年に強豪ゴイアスECに移籍すると7シーズンの長きに渡り、同クラブで活躍した為に看板選手となる。ゴイアス時代の通算136ゴール(州選手権やカップ戦など含む)はクラブ歴代トップの成績。「ゴイアスの至宝」や「マタドール」との異名をとった。1998年にはブラジル代表にも初選出されたが、若くてムラッ気がある選手という評価で定着はできなかった。
2004年、清水エスパルスに入団。この知らせを聞いた前年のJリーグ得点王ウェズレイ(当時名古屋所属)は「あんな凄い選手がJリーグに来るのか」と驚嘆したと言う。リーグ開幕前の鹿児島キャンプ中に見せたジャンピングボレーシュートは『アマゾンボレー』と名付けられ、ファンの間では語り草となっている。しかしアラウージョにとって初めての海外でのプレーでもあった2004年シーズンは、1stステージこそ北嶋秀朗、久保山由清とトライアングルを組みチーム最多の8ゴールを挙げたが、石崎信弘が監督に就任した2ndステージは戦術面を理由に主力構想から外され、公式戦5戦連続でスタメンを外される等本領を発揮出来ず結局1ゴールのみに留まり、年間通算でも9ゴールと不本意な1年となった。
2005年1月、ガンバ大阪へ完全移籍。不遇となった清水時代後期とは打って変わり、この年アラウージョは獅子奮迅の活躍を見せる。当初は連携に若干戸惑っていたが、中断期間を終えた7月以降、チームにフィットすると一気に大爆発。再開初戦の東京ヴェルディ1969戦では3ゴール4アシストと驚異的なプレーを見せると、以降重要な試合で次々とゴールを量産。チームをリーグ初優勝に導くとともに自身も33ゴールを挙げ、2位のワシントンに11点差をつけて同年のJリーグ得点王に輝く(なお国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が2006年1月3日に発表した、世界の主要国内リーグを対象とした2005年の得点ランキングで、アラウージョのリーグ戦33得点は同年世界第1位、得点率は世界第2位にランクされた)。また準優勝したナビスコカップでも得点ランキング単独トップとなり、非公式記録ながらアシスト数もJリーグトップを記録する大活躍であった。
2005年12月17日、ガンバでのラストマッチとなった天皇杯5回戦柏レイソル戦でも有終の美を飾る2ゴールを挙げ、ナビスコカップでの6ゴールも合わせて公式戦年間41ゴールを達成。これは中山雅史(磐田)が1998年シーズンに記録した40ゴールを上回るJリーグ新記録で、合計41得点のなかにPKでの得点は1点も無かった。この驚異的な成績から2005年度JリーグアウォーズでMVPを受賞。最高の1年を過ごした。
前線でトライアングルを形成したフェルナンジーニョ、大黒将志との絶妙なコンビネーションで数多くのアシストも記録し、ガンバサポーターからアラ様と呼ばれるほど人気を博した。しかし家庭の事情やブラジル代表復帰という夢もあり、同シーズンでガンバ大阪を円満退団。2006年シーズンからは母国の名門クルゼイロECに移籍。2月1日、ブラジル復帰2戦目となったミナスジェライス州選手権・デモクラッタ戦で2ゴールを決めるなど順調な滑り出しであったが、2月8日の同選手権ヴィラ・ノヴァ戦で右膝を負傷し途中交代。検査の結果、右膝半月板・靭帯損傷の全治7ヶ月の重傷であることが判明。ドイツW杯への夢は絶たれてしまったが、リハビリの甲斐あって12月4日のボタフォゴ戦で途中出場し、約10ヶ月ぶりの復帰を果たす。
年が明け、2007年には完全復活ともいえる大活躍。ミナスジェライス州選手権では11試合で11ゴールを挙げ断トツの得点王に輝いている。
2007年8月にカタールのアル・ガラファへの移籍が決定。契約期間は2年。同時に鹿島、磐田、清水、UAEのアルジャジーラなどがオファーを出していたことも明らかになった。2007-08シーズンのカタールリーグで得点王を獲得した。
[編集] トピックス
- 大のサムライフリークで親日家として知られる。好きな映画はラストサムライ。ガンバ大阪所属の2005年当時は長髪に憧れ、ウィッグ(付け髪)をつけてプレーしていた。
- 子供の時にスーパーファミコンをプレーして以来の筋金入りのテレビゲームファン。鬼武者シリーズはすべてクリアしている。
- アンドレーザ夫人は9歳年下。長男イスラエル君との3人家族。
- 前園真聖がブラジルに渡りゴイアスECでプレーをしていた時期にチームメイトだった。車での送迎などよく面倒を見てあげていた。
- ピッチの外では物静か、穏やかな性格の持ち主でファンサービスも欠かさない。
- 日本食では吉野家の豚丼が好物。苦手な食べ物はわさび。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| ブラジル |
リーグ戦 |
ブラジル杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1995 |
ポルト |
|
3部 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 1996 |
ポルト |
|
3部 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 1997 |
ゴイアス |
|
1部 |
5 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1998 |
ゴイアス |
|
1部 |
20 |
10 |
|
|
|
|
|
|
| 1999 |
ゴイアス |
|
2部 |
29 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 2000 |
ゴイアス |
|
1部 |
24 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 2001 |
ゴイアス |
|
1部 |
26 |
7 |
|
|
|
|
|
|
| 2002 |
ゴイアス |
|
1部 |
25 |
11 |
|
|
|
|
|
|
| 2003 |
ゴイアス |
|
1部 |
41 |
12 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2004 |
清水 |
8 |
J1 |
29 |
9 |
7 |
1 |
0 |
0 |
36 |
10 |
| 2005 |
G大阪 |
9 |
J1 |
33 |
33 |
11 |
6 |
2 |
2 |
46 |
41 |
| ブラジル |
リーグ戦 |
ブラジル杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2006 |
クルゼイロ |
|
1部 |
1 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 2007 |
クルゼイロ |
|
1部 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| カタール |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2007-08 |
アル・ガラファ |
10 |
1部 |
24 |
25 |
|
|
|
|
|
|
| 2008-09 |
アル・ガラファ |
10 |
1部 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 通算 |
ブラジル |
1部 |
142 |
45 |
|
|
|
|
|
|
| ブラジル |
2部 |
29 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| ブラジル |
3部 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
J1 |
62 |
42 |
18 |
7 |
2 |
2 |
82 |
51 |
| カタール |
|
24 |
25 |
|
|
|
|
|
|
| 総通算 |
|
|
|
|
|
|
|
|
[編集] 個人タイトル
[編集] 代表歴
[編集] 関連項目