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'''渡辺 操'''(わたなべ みさお、[[1908年]][[3月28日]] - [[1970年]][[2月10日]])は、日本の地理学者。
'''渡辺 操'''(わたなべ みさお、[[1908年]][[3月28日]] - [[1970年]][[2月10日]])は、日本の地理学者。


北海道出身。[[明治大学]]卒。[[文部省]]図書局勤務を経て、1946年明治大学講師。同時に[[農林省]]開拓研究所研究員も兼任し、その調査結果はその後の開拓行政の大きな指針となった<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaeg/16/1/16_KJ00003740588/_article/-char/ja 経済地理学年報1970年16巻1号p.83- ]</ref>。1948年明治大学教授。1961年「日本農業における経済地域構造の比較に関する研究」で明大[[経済学博士]]。北海道の地域研究で知られる。明大のアラスカ地域学術調査団長、山岳部長などを務めた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%93%8D-1121967 日本人名大辞典]</ref>。
北海道出身。[[明治大学]]卒。[[文部省]]図書局勤務を経て、1946年明治大学講師。同時に[[農林省]]開拓研究所研究員も兼任し、その調査結果はその後の開拓行政の大きな指針となった<ref>学会記事, 「[https://doi.org/10.20592/jaeg.16.1_83 追悼 故渡辺 操君]」『経済地理学年報16巻 1号 1970年 p.83-, {{doi|10.20592/jaeg.16.1_83}}</ref>。1948年明治大学教授。1961年「日本農業における経済地域構造の比較に関する研究」で明大[[経済学博士]]。北海道の地域研究で知られる。明大のアラスカ地域学術調査団長、山岳部長などを務めた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%93%8D-1121967 日本人名大辞典]</ref>。


== 著書 ==
== 著書 ==
*『寒地農村の實態 北海道の開拓地域を中心として』柏葉書院 1948
*『寒地農村の實態 北海道の開拓地域を中心として』柏葉書院 1948
*『世界の国々』新教育圖書 1948
*『世界の国々』新教育圖書 1948
*『わが国土 社会科』新教育図書 1949
*『わが国土 社会科』新教育図書 1949
*『わが国土 1 北海道地方』[[国民図書刊行会]] 1954
*『わが国土 1 北海道地方』[[国民図書刊行会]] 1954
*『最新中学地理』法文社 1955
*『最新中学地理』法文社 1955
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*『日本地理新大系 第2巻 社会・経済』[[佐藤弘]]共編 [[河出書房]] 1952
*『日本地理新大系 第2巻 社会・経済』[[佐藤弘]]共編 [[河出書房]] 1952
*『日本地理新大系 第3巻 資源産業 第1』渡辺光共編 河出書房 1953
*『日本地理新大系 第3巻 資源産業 第1』渡辺光共編 河出書房 1953
*『玉川こども百科 60 ほっかいどう』編 [[誠文堂新光社]] 1956
*『玉川こども百科 60 ほっかいどう』編 [[誠文堂新光社]] 1956
*『日本地誌』[[多田文男 (地理学者)|多田文男]], [[藤岡謙二郎]]共編 [[雄渾社]]、1956
*『日本地誌』[[多田文男 (地理学者)|多田文男]], [[藤岡謙二郎]]共編 [[雄渾社]]、1956
*『世界地誌』多田文男, 藤岡謙二郎共編 [[有信堂]] 1958
*『世界地誌』多田文男, 藤岡謙二郎共編 [[有信堂]] 1958
*『アラスカ 明治大学アラスカ学術調査団』[[岡正雄]],[[杉原荘介]]共編著 [[古今書院]] 1961
*『アラスカ 明治大学アラスカ学術調査団』[[岡正雄]],[[杉原荘介]]共編著 [[古今書院]] 1961

== 論文 ==
*[http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%93%8D&range=0&nrid=&count=100&sortorder=2&type=1 <渡辺操]


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年4月2日 (木) 04:20時点における版

渡辺 操(わたなべ みさお、1908年3月28日 - 1970年2月10日)は、日本の地理学者。

北海道出身。明治大学卒。文部省図書局勤務を経て、1946年明治大学講師。同時に農林省開拓研究所研究員も兼任し、その調査結果はその後の開拓行政の大きな指針となった[1]。1948年明治大学教授。1961年「日本農業における経済地域構造の比較に関する研究」で明大経済学博士。北海道の地域研究で知られる。明大のアラスカ地域学術調査団長、山岳部長などを務めた[2]

著書

  • 『寒地農村の實態 北海道の開拓地域を中心として』柏葉書院 1948
  • 『世界の国々』新教育圖書 1948
  • 『わが国土 社会科』新教育図書 1949
  • 『わが国土 1 北海道地方』国民図書刊行会 1954
  • 『最新中学地理』法文社 1955
  • 『地理学概論』文雅堂書店 1955
  • 『日本の生活 上』三省堂出版 社会科地理文庫 1956

共編著

脚注

  1. ^ 学会記事, 「追悼 故渡辺 操君」『経済地理学年報』 16巻 1号 1970年 p.83-, doi:10.20592/jaeg.16.1_83
  2. ^ 日本人名大辞典