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建部 賢明(たけべ かたあきら、万治4年1月26日(1661年2月25日) - 正徳6年2月21日(1716年3月14日)[1])は、江戸時代前期から中期の和算家[1]。
延宝4年(1676年)に弟の建部賢弘とともに関孝和に入門し和算を学んだ[1][2]。
著作
[編集]- 『大成算経』- 関孝和、建部賢明、建部賢弘が天和3年(1683年)に編纂を開始し28年かけて宝永7年(1710年)に完成させた[1][2]。当時の数学の集大成を試みたものである[2]。
- 『建部氏伝記』[1]
- 『大系図評判遮中抄』 - 『大系図』が沢田源内の偽作であるとし、佐々木六角の系図の誤りを考証したもの[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus『建部賢明』 - コトバンク
- ^ a b c 森本光生、小川束「建部賢弘の数学 : とくに逆三角関数に関する三つの公式について」『数学』第56巻第3号、日本数学会、2004年7月、308-319頁、doi:10.11429/sugaku1947.56.308、ISSN 0039470X、NAID 10013359410。
- ^ “大系図評判遮中抄 : 大系図評判遮中抄”. 国立国会図書館サーチ. 2024年8月12日閲覧。