許積
許積 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 허적 |
漢字: | 許積 |
発音: | ホ・ジョク |
日本語読み: | きょ・せき |
ローマ字: | Hu Jug |
許 積(きょ せき、ホ・ジョク、朝鮮語:허적、1610年-1680年5月11日)は、韓國李氏朝鮮時代後期の文臣、政治家、書家、画家である。1次禮訟論爭と2次禮訟論爭當時南人の論客の1人、南人の中堅であり、南人穩健派濁南の首領だった。
南人党の强硬派許穆、尹ヒューの政敵であり、1正統官僚出身で1637年文科に及第して最終官職は領議政である。字は汝車、號は默齋、休翁、諡號肅憲。忠清北道中原郡(現在の忠州市)の生まれ。
著作
- 『默齋日記』
- 『許相國奏議』
関連項目
参考文献
- 李德一 著『黨爭で見る朝鮮歷史』2004年12月 石筆 ISBN 8980370369
- 李德一 著『宋時烈と彼らの國家』2000年9月 石筆 ISBN 9788934905028