草刈継義

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草苅継義
時代 江戸時代前期
生誕 寛永21年(1645年
死没 正徳3年閏5月29日(1713年7月21日
改名 草苅継房→草苅継義
別名 通称:喜平次
主君 毛利綱広吉就吉広吉元
長州藩
氏族 藤原北家秀郷流宇都宮氏庶流草苅氏
父母 父:草苅隆継
元継次信継行
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草苅 継義(くさかり つぐよし)は、江戸時代前期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。父は草苅隆継

生涯[編集]

寛永21年(1645年)、長州藩士の草苅隆継の子として生まれる。初めは「継房」と名乗り、後に「継義」と改める。

寛文4年(1664年4月19日に父・隆継が死去したため後を継ぎ、毛利綱広吉就吉広吉元の四代に仕える。

正徳3年(1713年)閏5月29日に死去。享年69。長男の元継は本家の草苅継紀の後を継いでいたため、次男の次信(松次郎、勝兵衛)が後を継いだ。

参考文献[編集]