范履冰

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范 履冰(はん りひょう、生年不詳 - 690年)は、文人本貫懐州河内県

経歴[編集]

武徳6年(623年)、進士に及第した。はじめ周王府戸曹参軍をつとめた。垂拱年間、鸞台天官二侍郎・春官尚書・同鳳閣鸞台平章事を歴任し、修国史を兼ねた。武則天は履冰とともに元万頃苗神客周思茂胡楚賓らを召し出し、『列女伝』・『臣軌』・『百寮新戒』・『楽書』などを編纂させた。履冰らは「北門学士」と呼ばれて武則天に重用された。載初元年(690年)4月、反乱摘発に連座して処刑された。

子女[編集]

  • 范冬芬
  • 范冬倩
  • 范冬昌

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻190 列伝第140中 文苑中
  • 新唐書』巻201 列伝第126 文芸上