花山院兼子

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花山院 兼子(かざんいん かねこ、生没年不詳)は、後土御門天皇宮人。父は内大臣花山院持忠。花山院上臈局と称した。

生涯

内大臣花山院持忠の娘として生まれる[1]

足利義政の正室である日野富子に仕えた後、親王時代の後土御門天皇の寵愛受ける。天皇との間には2皇子(仁尊法親王・法蓮院宮)と2皇女(保安寺宮・応善女王)を儲ける。1500年明応9年)に天皇が没した際に出家し、花山院上臈局と呼ばれた[2]

脚注

  1. ^ 花山院家(清華家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月19日閲覧。
  2. ^ 「日本人名大辞典」(講談社