竹本成徳

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竹本 成徳(たけもと しげのり、1931年(昭和6年) - 2020年4月1日 (平成31年))は、広島県出身の実業家日本生活協同組合連合会会長などを務めた。

経歴

1931年(昭和6年)広島市生まれ。1945年(昭和20年)修道中学校2年生のとき爆心地から1kmの広島市役所にて原子爆弾に被爆、奇跡的に一命をとりとめる。その後、修道高等学校を経て、1954年同志社大学法学部卒業。1957年神戸生活協同組合(現コープこうべ)に入り、その後専務理事、組合長理事を経て、1993年から2001年まで理事長を務める。また1993年から2003年まで日本生活協同組合連合会会長も務める。2003年勲二等瑞宝章受章[1][2]。2020年4月1日、死去[3]。88歳没。

著作

  • 「さいごのトマト : ヒロシマを、わたし自身の「ことば」で」(コープ出版2010年、致知出版社1997年)
  • 「人びとの絆のなかで : 半世紀の道のり」(コープ、2003年)
  • 「21世紀へのコープシンフォニー : 竹本成徳が語る」」(コープ、1997年)

脚注

  1. ^ 神戸新聞2010年4月11日-10月10日「わが心の自叙伝:竹本成徳」
  2. ^ 読売オンライン「竹本成徳さん ピカドン語り続ける」
  3. ^ 竹本成徳さん 元日本生活協同組合連合会会長、元生活協同組合コープこうべ理事長”. 東京新聞 TOKYO Web. 2020年4月6日閲覧。

関連項目