石谷清成

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石谷清成
時代 江戸時代前期
生誕 慶安2年(1649年
死没 元禄2年8月5日1689年9月18日
別名 三大夫
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷武清、母:喜多見重恒の娘
兄弟 石谷清成、女子(佐野政信の妻)、喜多見重政、女子(内藤忠廣)の妻
榊原職信の娘
後妻:稲垣信濃守家臣稲垣重章の娘
石谷榮清、女子(高木爲治の妻)、女子(京極高沖の妻)、女子(稲垣重治の妻)
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石谷 清成(いしがや きよなり)は、江戸時代旗本

生涯[編集]

万治2年(1659年8月13日、11歳の時に、はじめて徳川家綱に拝謁する。元禄2年(1689年8月5日、41歳の時に父に先立って死んだ。

子女[編集]

  • 石谷榮清
    祖父武清の後を継ぐ。
  • 女子
    祖父武清の養女となる。高木貞右衛門爲治に嫁ぐ。
  • 女子
    祖父武清の養女となる。京極伊織高沖の妻となる。
  • 女子
    祖父武清の養女となる。稲垣信濃守家臣稲垣十左衛門重治に嫁ぐ。

参考文献[編集]