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清閑寺 共子(せいかんじ ともこ、生年不詳 - 元禄8年(1695年)5月29日))は、後西天皇の典侍。父は権大納言清閑寺共綱[1]、母は内大臣中院通村女。女房名に中納言典侍局(ちゅうなごんのすけのつぼね)、新大納言局(しんだいなごんのつぼね)、東三条局(ひがしさんじょうのつぼね)。本姓で藤原共子とも。
後西天皇に仕えて典侍となり、有栖川宮幸仁親王、理豊女王ら3皇子8皇女を産んだ。天皇崩御後に出家して東三条局を名乗った[2]。
出典
- ^ “清閑寺家(名家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月16日閲覧。
- ^ 「日本人名大辞典」(講談社)