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浅間理恵

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浅間 利恵子(あさま りえこ)1863年(文久3年)10月12日 - 1945年(昭和20年)10月15日)は、江戸浅草出身の明治から昭和にかけて活躍した石版画家、日本画家である。


亀井至一に入門し洋画を学び、石版画の画工として活動する。本名は浅間里恵。浅草の薬種商浅間栄七の二女。21歳より日本画に転じ容齊派の歴史画家、松本楓湖に入門し日本画の基礎を学びこの松本楓湖より雅号「錦楓」を授与され、前田錦楓と号す。1887年名古屋の速念寺、住職前田 學に嫁ぎ姓を前田と改姓する。

引用文献

  • 近代日本画初期に出た閨秀画家「前田錦楓展」