池田邦照

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池田邦照
時代 江戸時代前期
生誕 万治元年(1658年
死没 寛文10年1月28日1670年3月19日
改名 又八郎、邦照
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
播磨新宮藩
氏族 池田氏(重利流)
父母 池田薫彰戸川正安
兄弟 邦照重教
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池田 邦照(いけだ くにてる)は、江戸時代前期の大名播磨国新宮藩4代(最後の)藩主。下間系池田家4代。

生涯

万治元年(1658年)、3代藩主・池田薫彰の長男として誕生。母は戸川正安の娘。幼名は又八郎。

寛文3年(1663年)に父が早世したため、家督を継いだ。しかし生来病弱で、寛文10年(1670年)1月28日に13歳で死去した。子がなく、弟の重教の相続は許されず、新宮藩は無嗣改易となった。ただし、池田光政光仲の尽力で、重教は3,000石の寄合として存続を許された。