橘遠茂

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橘 遠茂 (たちばなの とおもち、生年不詳-1180年[1]。)は、平安時代後期の武士[2]。子に橘為茂

経歴

橘遠忠の子。駿河国目代 [3]治承4年(1180年)8月、駿河国波志田山にて安田義定等の軍に敗れ(波志田山合戦)、同年10月、駿河に進行した武田信義に敗れ、遠茂の子2名と長田入道(長田忠致か)が討ち取られ、遠茂は捕らえられた(鉢田の戦い)。

脚注

  1. ^ 近藤活版所 1903, p. 566.
  2. ^ 吉見書店 1912, p. 245.
  3. ^ 20世紀日本人名事典. “橘 遠茂とは”. コトバンク. 2022-01-017閲覧。

参考文献

  • 『駿国雑志』(1911年、吉見書店)

外部リンク