日野資邦

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日野 資邦(ひの すけくに、文化9年(1812年) - 天保8年2月19日1837年3月25日))は、高家旗本。高家旗本・日野資盈の長男。通称は岩丸、大学。

文化14年(1817年)8月2日父資盈は部屋住のまま死去した。そのため、文政元年(1818年)祖父資施の死去により、家督を相続した。表高家衆に列し、高家職に就くことはなかった。天保8年(1837年)2月19日死去、26歳。

正妻は大久保忠隆の娘。一男一女あり。長男資訓の幼少を理由にして、青山家から資敬を養子に迎えた。

先代
日野資施
高家日野氏第7代当主
1818 - 1837
次代
日野資敬