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日野 資宣(ひの すけのぶ)は、鎌倉時代中期の公卿。日野家16代当主。
元仁元年(1224年)、15代当主・日野家光の次男として誕生。
官位は正二位・権中納言・民部卿。寛元4年(1246年)から弘安2年(1279年)の間に日記『仁部記』を著した。
正応5年(1292年)、薨去。家督は子・俊光が継いだ。