斛律皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Luckas-bot (会話 | 投稿記録) による 2011年8月11日 (木) 16:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: id:Permaisuri Hulü)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

斛律 皇后(こくりつ こうごう、生没年不詳)は、中国北斉の後主高緯の1人目の皇后斛律光の娘。朔州勅勒部の出身。

経歴

高緯にとついで皇太子妃となった。565年4月、後主が即位すると、皇后に立てられた。572年1月、娘を生んだが、後主は斛律光を喜ばせようとして、男子を生んだといつわり、このために大赦をおこなった。7月に父の斛律光が処刑されると、8月に皇后は廃位されて庶人に落とされ、別宮に幽閉された。後に尼となった。北斉が滅ぶと、開府の元仁の妻となった。

伝記資料