押野見邦英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年3月6日 (土) 18:43; SeitenBot (会話 | 投稿記録) による版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

押野見邦英(おしのみ くにひで、1941年 - )は日本の建築家。おもに鹿島建設設計部で活動。1969年、最高裁判所設計競技で岡田新一の下、チーフとして案をとりまとめ、1等当選に貢献する。

横浜国立大学在学中に、デザイン学校にも通っていたという。1965年大学卒業と同時に、母校の助手をつとめた後に鹿島建設に入社。同社で担当した建築作品は、1972年の愛知医科大学校舎、1974年の大正製薬総合研究所、1978年の八重洲ブックセンター、1983年の囲いの家、1985年のタグボート・ビル、赤坂ノアビルなど、その他代表作にhhstyle.com/sleep(青海1丁目パレットタウン内)がある。

参考文献[編集]

  • 鹿島建設の歩み 人が事業であった頃, 小野一成著, 1989,
  • 鹿島建設 百四十年の歩み, 鹿島建設社史編纂委員会編,1980, 鹿島建設,