岡本久忠

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岡本久忠
時代 江戸時代
生誕 元文4年(1739年
死没 不詳
別名 三之丞
氏族 岡本氏
父母 父:児玉某、母:桑嶋忠久娘(児玉氏室)
養父:岡本久暢    
兄弟 横尾宅平(養女)、久忠
宮城朝興
久義(養子)、久可(養子)、久可室、女子
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岡本 久忠(おかもと ひさただ)は、江戸時代御家人

略歴[編集]

母は桑嶋忠久の娘で、母の兄久包の子で従兄に当たる久暢に子が無かったため、その久暢の望みで養子となる。

宝暦3年(1753年4月3日、養父久暢の死に伴い家督を継ぐ。将軍への初謁見は安永5年(1776年12月22日徳川家治公であり、この時38歳であったため、かなり遅かった。寛政7年(1795年4月18日、57歳で隠居した。

男子に恵まれなかった久忠は、始め久義を養子に迎えたが久忠より先に没したため、改めて久可を長女の婿養子に迎え後継とした。

参考文献[編集]