公孫脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Miraburu (会話 | 投稿記録) による 2021年12月30日 (木) 10:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:魏の人物を除去; Category:公孫淵軍の人物を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

公孫 脩(こうそん しゅう、生年不詳 - 238年)は、中国三国時代の武将。公孫淵の子。幽州遼東郡の人。「公孫修」とも呼ばれる。

経歴

父にへの謀反を勧めた。238年、燕王を称した父に従い魏と戦うが敗れる。父は魏の司馬懿に和議を申し立てるが断られ、父子ともに逃走するところを捕らえられた。最後は父と向かい合った状態で首を刎ねられている。その首は父の首とともに洛陽に届けられて、伯父の公孫晃父子の処刑が決定的になった。