コンテンツにスキップ

于皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Nagaichi (会話 | 投稿記録) による 2011年12月19日 (月) 10:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎経歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

于皇后(うこうごう、488年 - 507年)は、北魏宣武帝皇后

経歴

于勁の娘として生まれた。伯父の于烈は領軍の位にあり、北魏の政権の中枢にあったが、帝室との姻戚関係がなく、周囲に勧められて于氏を後宮に入れさせた。于氏は宣武帝の貴人となった。501年景明2年)9月、皇后に立てられた。皇子の元昌を生んだが、3歳で夭逝した。507年正始4年)10月、突然に死去し、その死は宮中の秘事とされた。当時の世間は高夫人の仕業ではないかと噂した。永泰陵に葬られ、は順皇后といった。

伝記資料