ヘニッジ・レッグ (1788年生)

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オナラブルヘニッジ・レッグ(The Honourable Heneage Legge、1788年2月28日 - 1844年12月12日)は、イギリスの庶民院議員。

レッグは、第3代ダートマス伯爵ジョージ・レッグの次男であり、母レディ・フランシス (Lady Frances) は、第3代アイルズフォード伯爵ヘニッジ・フィンチ (Heneage Finch, 3rd Earl of Aylesford) の娘であった。第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグオナラブルアーサー・レッグ将軍とは兄弟である[1]

レッグは、バンベリー選挙区 (Banbury) から1819年に初めて議員に選出され、1826年に議席を弟アーサーに譲るまで、その座に留まった[2]。レッグは関税局長官 (Commissioner of Customs) も務めた[1]

レッグは、1821年に妻メアリ(Mary:旧姓ジョンストン née Johnstone)と結婚した。レッグは1844年に56歳で死去した。未亡人となった妻は、その後4年間生きていたが、1848年6月に死去した[1]

出典・脚注

外部リンク

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
Frederick Douglas
バンベリー選挙区選出議員
1819–1826
次代
アーサー・レッグ