ノート:小川榮太郎

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

論文業績について[編集]

「福田恆存の平和論論争」の掲載元がわからない[1]件が気にかかって、"第一評論集" "書き下ろし文藝評論集"[2]『小林秀雄の後の二十一章』を図書館で調べました。(1)収録されている21本の文章について、「あとがき」538-539ページに「川端『古都』は2003年、他の多くは2005年-2010年初稿」「2012年10月に幻冬舎見城徹社長から評論集出版の提案があり、大幅改稿を経て、2015年5月3日最終稿完成」と説明されていました。(2)デビュー作『約束の日 ―安倍晋三試論―』[3]著者紹介欄に主要論文5本が掲載されていますが、『小林秀雄の後の二十一章』に川端『古都』以外の4本の成立事情についての直接の説明を見つけられませんでした。(3)推測で恐縮ですが、『約束の日 ―安倍晋三試論―』著者紹介欄の主要論文5本は当時未発表であった可能性が高いと思っています。(もしそうだとすると、未発表の文章を論文実績であるかのように紹介するというのはありうることなのか疑問です。)--四葉亭四迷会話2018年10月5日 (金) 13:26 (UTC)[返信]

小川の言う“福田恆存論”は、河出書房新社の「総特集 福田恆存 人間・この劇的なるもの」(ISBN 9784309247090)に収録された「福田戯曲と三島戯曲―真の古典性とは何か?」で、論文ではなく評論・論評レベルの代物のようです。--ガータン会話2019年1月19日 (土) 03:23 (UTC)[返信]

企業について[編集]

先行議論は利用者‐会話:蒲郡吉良#どちらですか?。蒲郡吉良様より、「信頼できる出典と違う記述の修正に当たります。また事業そのものについて私見を述べますと、記載するに足る公益性のある情報とは言えないものだと考えます。どうしても必要であれば、過去のエピソードに関する項目を作るなどするべきかと思いますが如何でしょうか。」との御意見があります。順に回答します。

  • 「信頼できる出典と違う記述」かどうか。
    • まず、株式会社髙榮の出典は[4]に記載されています。これが間違いというのであれば、アーカイブが信用できないのか、同姓同名なのか、会社のWEBサイトが誤っているのかのいずれかになります。これを誤っていると主張するのであれば、誤りだという事がわかる出典を以って説明して下さい。
    • 次に光明藏の出典は[5]です。大衆紙は信頼できない情報源です。大衆紙でも娯楽的な記述であれば、問題なしという意見もありますが(私も賛同)、これは娯楽的な記述でないどころか、その真逆です(WP:BLP参照)。なお大衆紙でも、専門家の意見などは記載すべきだという意見もありますが、本件では専門家の意見とも思えません。よって、除去が妥当でしょう。言うまでもありませんが、Wikipediaでは全ての記述は検証できる(WP:V)信頼できる情報源(WP:RS)に基づく必要があります。
  • 「記載するに足る公益性のある情報とは言えない」かどうか。本人の経歴(雇用された側であればともかく、責任者です)ですのでWP:IINFOとは思えません。「過去のエピソードに関する項目」とするには賛否はありませんが、それが過去だとする出典が必要です。就任しか出典がなければ「XXXX年 株式会社〇〇代表取締役就任」、退任もわかれば「XXXX年 株式会社〇〇代表取締役就任、XXXX年 株式会社〇〇代表取締役退任」、期間が全くわからなければ「株式会社〇〇代表取締役」という書き方になります。よく他の記事で「元アイドル」、「過去」、「現在」という記載がありますが、これは不適切です。徳川家康の事を「元将軍」とは言いませんし、50年も経てば、存命人物の肩書きは ほぼ全員、「元〇〇」になるでしょう。詳細は、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない参照。

--JapaneseA会話2018年10月16日 (火) 01:17 (UTC)[返信]

お返事遅くなってすいません、ここにこのようにして書き込めば宜しいのでしょうか。

  • 「信頼できる出典と違う記述」かどうか及び「記載するに足る公益性のある情報とは言えない」かどうか。
    • 株式会社髙榮について、週刊文春の記事[6]によると「事実上、閉鎖状態です」とあり、廃業はしていないのかも知れませんが、取るに足らない内容過剰な記述に当たるのではと感じました。それをあえて掲載することは、宣伝目的(WP:SOAP)に該当するのではないでしょうか。
    • 光明藏に関しては、まず取締役就任年月について、週刊文春に掲載された画像に基づいて書かれていると思いますが、記事では05年に設立したとあります。14年が必ずしも取締役就任とは限らないのではないでしょうか。検証可能だとしても、独自取材が必要な部分については記載しないほうが安全ではないでしょうか。またこれについても、現在どういった事業を行っているのかわかりませんが、宣伝目的(WP:SOAP)に該当してしまう恐れがあるのではないでしょうか。肩書に「実業家」などと書ける実績があるなら別ですが、そうでないならこれも過大評価に値するのではと感じています。

--蒲郡吉良会話2018年10月17日 (水) 06:22 (UTC)[返信]

はい、当ノートへの書き込みはそれで宜しいです。また、御返事は7日以内で大丈夫です。では、本題です。私の記憶する限りでは、社名を書くだけで宣伝と判断された事はありません。宣伝と判断されるのは、第3者資料がなく自社資料しかない詳細な記述や、自社サイトへの過剰な外部リンクなどです。光明藏については、申し上げた通り除去が妥当なので除去しました。次に、「実業家」や「評論家」などはどの程度を以ってそう表記するのか意見がわかれそうですが、現状の版にそう書いていないのだから問題ないと思います。--JapaneseA会話2018年10月17日 (水) 15:49 (UTC)[返信]

記事中の「ある文章」について[編集]

記事の中で『主な論文は「福田恆存の『平和論論争』」、「川端康成の『古都』」[6]など[4]と称している。』とありますが、『主な論文は「福田恆存の『平和論論争』」、「川端康成の『古都』」[6]など[4]である』と記述するほうがいいのではないでしょうか。と、申しますのは 【などと称している】では小川栄太郎本人がそう称しているものと捉えられても仕方が無い。もしそうなら【小川本人が主な論文は「福田恆存の『平和論論争』」、「川端康成の『古都』」[6]など[4]などと称している】と書くべきで、記事の著作者が中立的に書くのであれば【・・・などである】で、小川が称しているのではなく記事として客観的に記述していると解することができるのではないかと思うのです。--刈谷恒明会話2019年6月11日 (火) 19:25 (UTC)[返信]