ジョンベル憲兵分隊事件

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ジョンベル憲兵分隊事件(ジョンベルけんぺいぶんたいじけん)は、1942年4月から1945年9月の間に、ジャワ島ジョンベルインドネシア語版ボトウオンインドネシア語版およびバニュワンギインドネシア語版で、日本軍の憲兵隊員が、被検挙者の拷問・虐待とそれによる致死、オランダ人女性への慰安所での売春の強制などの戦争犯罪を犯したとして、1948年にオランダ軍バタビア法廷で裁かれた事件。[1]

戦犯裁判[編集]

起訴[編集]

1948年5月29日に、オランダ軍バタビア法廷で、

起訴内容は、

  • 1942年4月以降、1945年9月までの間に、検挙した男女の尋問に際して、拷問を行い、故意に飢えさせたり、拘禁室や狭い部室に数日間満員の状態で押し込めたりして、多数の被拘禁者を死に至らしめ、身心に多大の苦痛を与えたこと、
  • 和田郁重[3]憲兵大尉について、オランダ国籍の女性を強制して慰安所に監禁し売春させたこと、
  • 小高寛・元憲兵軍曹[4]ほか1名[5]について、1945年8月24日に、非合法に2名を殺害したこと[6]

判決[編集]

1948年9月11日に、和田憲兵大尉・今野勝弥憲兵中尉以下6名に死刑、9人に5-20年の有期刑、2人に無罪の判決が下された[6]。なお和田と今野は1943年8月15日から同年12月末までバンドン憲兵分隊に所属し、この間にも検挙者への拷問・虐待およびこれによる致死があったとして同日付でそれぞれ禁固6年・10年の判決を受けた[7]

脱走と処刑[編集]

1948年10月26日に、死刑判決を受けた和田、今野および小高が脱獄して逃亡したが発見されて未遂に終り、その際に和田は射殺された[6]

1949年1月20日に残る5人の死刑が執行された[8]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この記事の主な出典は、茶園 (1992, pp. 115–116)および坂 (1968, p. 21)。
  2. ^ 茶園 (1992, pp. 115–116)。同書には18人の氏名があるが、このうち実松勇雄憲兵軍曹は1948年3月15日にスラバヤで自殺、審理未了のまま東ジャワに移送された、とされている。坂 (1968, p. 14)では16人で、和田郁重憲兵大尉以下9人がジョンベル憲兵隊、今野勝弥憲兵中尉以下7人がバニュワンギ憲兵隊の所属とされている。
  3. ^ 坂 (1968, p. 14)。茶園 (1992, pp. 115–116)では名前を「都重」としている。
  4. ^ 茶園 (1992, pp. 115–116)。日本の軍法会議により公権を剥奪されていた(同)。坂 (1968, p. 14)では「憲兵軍曹」。
  5. ^ 茶園 (1992, pp. 115–116)。降等して一等兵曹(同)。坂 (1968, p. 14)では「憲兵軍曹」。
  6. ^ a b c 茶園 1992, pp. 115–116.
  7. ^ 茶園 (1992, p. 112)、坂 (1968, p. 14)。後者では和田は「5年」。
  8. ^ 茶園 (1992, p. 115-116)。うち半沢勇憲兵曹長について公報では同年9月26日付(同)。

参考文献[編集]

  • 茶園, 義男『BC級戦犯和蘭裁判資料・全巻通覧』不二出版、1992年。 
  • 坂, 邦彦 著、坂邦彦 編『蘭印法廷(1)』東潮社、1968年。