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このウィキでページ「生の苛責」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 佐久間盛政 (カテゴリ 尾張国の人物)の苛責を恐れて自殺したと思われては心外なので思い留まったのであり、早々に死罪にするようにということであった。返事を伝え聞いた秀吉は、その誠心に感心して、森勘八を使者にして盛政に切腹を命じたが、望みがあれば一言聞いてやれとも指示したので、盛政は「願わくば、車に乗せ、縄目を受けている様を上下の…51キロバイト (8,845 語) - 2024年4月20日 (土) 02:18
- 「たけくらべ」論争 (カテゴリ 戦後日本の文学)う。大音寺前の侘しい街並を賑わせていた子どもたちのアソビの世界を跡かたもなくつきくずしてしまった見えない力――それは周辺部の農村地帯を貪欲に蚕食することで拡大しつづけた近代東京の苛責ないエネルギーなのである。 — 前田愛「一葉の文学風土――3〔地縁の論理〕」 ^…154キロバイト (25,879 語) - 2023年12月21日 (木) 19:24
- 苛責せらるべし。 11 またわれ大なる白き一つの位と、その上に坐し給ふ者とを見たり。天と地とはその顏より遁れ去れり、されど場所は彼等のために見出だされざりき。 12 またわれ神の面前に立つ多くの、大なるまた小なる死人たちと、多くの開かれたる小卷と、開かれたる一つの別の小卷を見たり。これは生の