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このウィキでページ「ヒア&ゼア・こことよそ」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 『ヒア & ゼア こことよそ』(フランス語: Ici et Ailleurs、「こことほかのどこか」の意)は、ジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの共同監督による1976年(昭和51年)の映画である。「ジガ・ヴェルトフ集団」の一部としてゴダールと…3キロバイト (233 語) - 2017年3月22日 (水) 14:49
- ジャン=ピエール・ラッサムの資金調達のもとに、『ヒア & ゼア こことよそ』(1976年)と『うまくいってる?』(1978年)を製作、またフランス国立視聴覚研究所(INA)の依頼のもとに長時間のビデオ映画シリーズ『6x2』(1976年)、『二人の子どもフランス漫遊記』(1977年 - 1978年)と…8キロバイト (680 語) - 2024年3月1日 (金) 06:05
- と共同執筆し、共同で初めて監督する。同年、ジガ・ヴェルトフ集団が撮影したものの完成しなかった『勝利まで』(1970年)をゴダールとふたりで脱構築し、『ヒア & ゼア こことよそ』へとつくりなおす。また、1978年にゴダールとの共同脚本・共同監督作『うまくいってる…13キロバイト (1,146 語) - 2023年7月17日 (月) 14:55
- 利まで』(1970年)をゴダール=ミエヴィルに再編集させて、『ヒア&ゼア こことよそ』(1976年)として完成させる。さらにはゴダール=ミエヴィル共同監督作『うまくいってる?』(1978年)を製作。1972年のジャン=ピエール・ゴランとの決裂以降、『勝手に逃げろ/人生』で商業映画に復帰するまでのゴ…9キロバイト (1,066 語) - 2021年3月7日 (日) 18:05
- 1978年)、『6x2』(1976年)、『ヒア & ゼア こことよそ』(1976年)、『二人の子どもフランス漫遊記』(1977年 - 1978年)と共同監督を重ねてきたアンヌ=マリー・ミエヴィルが、1983年に短篇映画『ハウ・キャン・アイ・ラヴ』を単独で監督している。ミエヴィルにとって、本作は、単独監督作としては2作目の映画となる。…6キロバイト (370 語) - 2021年5月20日 (木) 21:10
- こと、そのことでアイデアを捨てざるをえなかったことをミッチェル撮影機を覗きながら語り、ヴェトナムを侵略するのを止め、逆にわれわれをヴェトナムに侵略させるべきだと語る。対称性を欠いた戦争に対して、対称性の回復を訴えるこのゴダールの考え方は、パレスチナとパリをひたすら並列する『ヒア & ゼア こことよそ』(1974年…6キロバイト (483 語) - 2016年4月22日 (金) 16:20
- ェルトフ集団時代の『勝利まで』(1970年)、アンヌ=マリー・ミエヴィルとの『ヒア & ゼア こことよそ』(1974年 - 1976年)、『レフューズニクたちへの祈り』(2006年)、『ゴダール・ソシアリスム』(2010年)と延々かかわりつづけるパレスチナの問題への1980年代的展開でもある。 監督・脚本・編集 :…6キロバイト (524 語) - 2016年6月29日 (水) 06:49
- ヒア&ゼア こことよそ』で既存の材料をつかった。同作でゴダールと彼のパートナー(アンヌ=マリー・ミエヴィル)は、『勝利まで』をつくるためのゴダール自身とゴランの方法を脱構築し、その方法とジガ・ヴェルトフ集団全体のマニフェストに対して、順番に異議を唱えていった。 ※「ジガ・ヴェルトフ集団」の名のもとに匿名で監督・脚本に参加した人物…6キロバイト (659 語) - 2023年10月27日 (金) 05:14
- となったばかりである。今回はゴダール式の連名のクレジットとなった。 その後グルノーブルでは、ラッサムのプロデュースにより、あと2本をゴダール=ミエヴィルは共同監督・共同脚本する。かつて完成できなかった『勝利まで』を再編集した『ヒア&ゼア・こことよそ』(1976年)、新撮の『うまくいってる…7キロバイト (806 語) - 2016年4月20日 (水) 14:42
- 1973年、住み慣れたパリからグルノーブルに移住したゴダールとミエヴィルは、映画会社「ソニマージュ」を設立、「ジガ・ヴェルトフ集団」時代に『万事快調』(1972年)を製作した若手プロデューサーのジャン=ピエール・ラッサムの資金調達のもと、『パート2』(1975年)、『ヒア & ゼア こことよそ』(1976年)と『うまくいってる…10キロバイト (970 語) - 2016年4月20日 (水) 15:05
- ウィリアム・リュプチャンスキー (カテゴリ 出典を必要とする記事/2024年3月)ジャック・リヴェット作品の撮影で知られている。2005年のフィリップ・ガレルの映画『恋人たちの失われた革命』で第62回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞した。 ヒア & ゼア こことよそ Ici et ailleurs (1976) 隣の女 La Femme d'à côté (1981) 地に堕ちた愛 L'Amour par…2キロバイト (240 語) - 2024年3月12日 (火) 04:23
- deux / Sur et sous la communication テレビシリーズ 1976年 - 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル 『ヒア & ゼア こことよそ』Ici et ailleurs 1976年 - 共同監督アンヌ=マリー・ミエヴィル 『二人の子どもフランス漫遊記』…14キロバイト (1,620 語) - 2024年3月1日 (金) 06:06
- 、監督ジャック・リシャール、1975年 『パート2』 Numéro deux 、監督ジャン=リュック・ゴダール、1975年 - 本人として 『ヒア & ゼア こことよそ』 Ici et ailleurs 、監督ジャン=リュック・ゴダール / アンヌ=マリー・ミエヴィル、1976年 - ナレーション Der…16キロバイト (1,711 語) - 2023年1月15日 (日) 01:32
- パート2 (カテゴリ アヴァンギャルドと実験映画作品)ラッサムはこの後、ジガ・ヴェルトフ集団時代に完成できなかった『勝利まで』(1970年)をゴダール=ミエヴィルに再編集させて、ゴーモン社に出資させて『ヒア&ゼア こことよそ』(1976年)として完成させ、さらにはゴダール=ミエヴィル共同監督作『うまくいってる?』(1978年)を製作。1972年のゴダール=ゴラ…15キロバイト (1,853 語) - 2023年5月25日 (木) 12:59
- Comment ça va? (1975年完成、1978年公開) アンヌ=マリー・ミエヴィルと共同監督 ヒア & ゼア こことよそ Ici et ailleurs (1976年) アンヌ=マリー・ミエヴィルと共同監督 勝手に逃げろ/人生 Sauve Qui Peut (la vie) (1980年)…53キロバイト (5,032 語) - 2024年4月15日 (月) 23:40
- 『BOWシリーズ』とは、フランス映画社が1976年より開始し2010年に終了した上映企画である。 BOWシリーズのBOWは「Best films Of the World」の頭文字をとったもの。「傑作を世界から運ぶ」をスローガンとし、古典、新人監督作品など多彩な映画を日本に紹介し、ミニシアターブームを牽引した。…30キロバイト (141 語) - 2024年4月7日 (日) 13:51