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  • 壬午(みずのえうま、じんすいのうま、じんご)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの19番目で、前は辛巳、次は癸未である。陰陽五行では、十干のは陽の水、十二支のは陽の火で、相剋(水剋火)である。 西暦年を60で割って22が余る年が壬午の年となる。 天正10年(1582年) - 天正壬午の乱 明治15年(1882年)…
    2キロバイト (185 語) - 2023年4月22日 (土) 15:38
  • 壬午軍乱のサムネイル
    壬午軍乱(じんごぐんらん)または壬午事変(じんごじへん)は、1882年(明治15年)、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現在のソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。 朝鮮国王高宗の王妃閔妃を中心とする閔氏政権は、開国後、日本の支援のもと開化政策を進めたが、財…
    56キロバイト (9,101 語) - 2024年3月25日 (月) 03:41
  • 天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)、壬午の乱、壬午の役は、天正壬午年(天正10年・1582年)中に甲斐・信濃など武田氏の旧領だった織田氏の領国で起きた一連の争乱、具体的には同年2-3月の織田信長の武田攻め(武田征伐)と、同年6月の本能寺の変後の争乱(特に8-10月の若御子対陣)を本項目にて取り扱う。…
    22キロバイト (3,545 語) - 2024年1月19日 (金) 05:42
  • 天正壬午起請文(てんしょうじんごきしょうもん)は、中世後期の起請文。別称に「天正壬午甲信諸士起請文」。 天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の甲斐侵攻により甲斐武田氏は滅亡した。同年6月、本能寺の変で織田信長が横死すると、武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生し、同年8月に甲斐では徳川家康と相…
    11キロバイト (1,658 語) - 2023年11月2日 (木) 01:37