Portal:人物伝は人物、人物伝に関するウィキポータルです。人物、伝記に関連した項目を探しやすくし、発展をうながすことを目的として開設、維持されています。
94,977本の人物・伝記記事をあなたと。
レオシュ・ヤナーチェク(チェコ語: Leoš Janáček, 1854年7月3日 - 1928年8月12日)は、モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家。
モラヴィア地方の民族音楽研究から生み出された、発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。そのオペラ作品は死後、1950年代にオーストラリアの指揮者チャールズ・マッケラスの尽力により中部ヨーロッパの外に出、1970年代以降広く世に知られるようになった。
1854年7月3日、モラヴィア北部のフクヴァルディ(ドイツ語版)という村で、父イルジーと母アマリアの10番目の子供(14人兄弟)として誕生した。祖父と父はともに教師で、音楽家でもあった。
11歳のとき、ヤナーチェクの音楽的素養を見抜いていた父イルジーの意向によってモラヴィアの首都ブルノにあるアウグスティノ会修道院ブルノのアウグスティノ修道院でヤナーチェクが生活していたころ、同じ修道院の修道士にモラヴィア出身のグレゴール・ヨハン・メンデルがいた。彼が後世メンデルの法則として知られることになる論文を発表したのはヤナーチェクが修道院へやってきた翌年の1866年である。
……もっと読む
特集記事一覧
抜粋画像一覧
完全新規の記事を探す - リダイレクトを解消して作成された記事を探す
このポータルへの参加を歓迎します。ご要望、ご提案はノートへ。