勝坂遺跡

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勝坂遺跡
勝坂遺跡D区 復元住居群
地図
種類縄文時代集落
所在地神奈川県相模原市南区磯部1780ほか
座標北緯35度30分30秒 東経139度23分18秒 / 北緯35.50833度 東経139.38833度 / 35.50833; 139.38833座標: 北緯35度30分30秒 東経139度23分18秒 / 北緯35.50833度 東経139.38833度 / 35.50833; 139.38833
史跡勝坂遺跡公園
勝坂遺跡の位置(神奈川県内)
勝坂遺跡
分類 都市公園(歴史公園)
所在地
神奈川県相模原市南区磯部
面積 1.99 ha
運営者 相模原市
駐車場 あり
公式サイト 相模原市HP
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勝坂遺跡(かつさかいせき/かっさかいせき[1])は、神奈川県相模原市南区磯部にある縄文時代遺跡。国の史跡に指定されている。

縄文時代中期前半頃(約5000年前)の大集落跡で、勝坂式土器の名前の由来となった、関東地方における標式遺跡の1つである。都市公園(歴史公園)の「史跡勝坂遺跡公園」として整備されている[2]

概要[編集]

勝坂式土器
相模原市立博物館展示。

1926年大正15年)に大山柏により発見された[3][4]。この遺跡からは多くの土器打製石斧が発掘されている。そのなかでも、装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器は、後に勝坂式土器と命名されている。また、打製石斧も土を掘るものと考えられ、縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。

1974年昭和49年)に集落遺跡の一部の約2ヘクタール(勝坂D区)が国の史跡として指定された。D区は1980年と1984年に史跡の追加指定が行われ、2006年平成18年)1月26日には近接した3,797.61平方メートル(勝坂A区)も史跡の追加指定がなされている[1]

遺跡の西側の「有鹿谷」には、有鹿神社の奥宮がある。この谷では祭祀遺跡勝坂有鹿谷遺跡が発見されている[5]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

  • 勝坂遺跡 - 1974年(昭和49年)7月2日指定、1980年(昭和55年)10月22日・1984年(昭和59年)1月11日・2006年(平成18年)1月26日に史跡範囲の追加指定[6]

相模原市指定文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 勝坂遺跡出土縄文時代草創期遺物(考古資料) - 2012年(平成24年)4月1日指定[7]
    • 勝坂遺跡D区出土のマメ圧痕土器(考古資料) - 2016年(平成28年)4月1日指定[8]

交通[編集]

  • JR相模線下溝駅から約1.5キロメートル。
    • 徒歩:下溝駅から徒歩20分程。
    • バス:バス停「下溝」から「相武台前」行きに乗り、「上磯部入口」または「勝坂入口」下車。バス停から徒歩5分程。

脚注[編集]

  1. ^ a b 史跡勝坂遺跡公園(歴史公園)(相模原市公式ホームページ)
  2. ^ 公園・緑地 - 南区の公園一覧(相模原市HP)
  3. ^ 『相模原市埋蔵文化財調査報告36集 国指定史跡勝坂遺跡D区』相模原市教育委員会、2009年3月30日、9頁。 
  4. ^ 大山柏『神奈川縣下新磯村字勝坂遺物包含地調査報告』小宮山健彦、1972年6月30日、1頁。 
  5. ^ 有鹿神社と鈴鹿明神(歩いて郷土の歴史を学ぶ会)
  6. ^ 勝坂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 勝坂遺跡出土縄文時代草創期遺物(相模原市ホームページ)。
  8. ^ 勝坂遺跡D区出土のマメ圧痕土器(相模原市ホームページ)。

外部リンク[編集]