ノート:ダ埼玉

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解説に疑問[編集]

背景についての詳しい解説がありますが、これはどこまでまっとうな資料にもとづいた話なのでしょうか。まったく間違いとは思いませんが、正しいのかというと少々不安になります。一執筆者の推測ならば、ウィキペディアに記すに値しないと思います。Kinori 2006年7月15日 (土) 01:26 (UTC)[返信]

微妙に疑問に思う点はありますがこの言葉が無ければ「彩の国さいたま運動」は起きなかったという意味で項目としては記述に値する単語だと考えます。しっかり傍証を行う必要があるかもしれません。なお、当方埼玉県民です。Himetv 2006年7月27日 (木) 14:18 (UTC)[返信]
見出しと段落を作成。--2001:268:C0A2:2CCA:A06D:B274:C68C:1A80 2021年3月25日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

ダ・さいたま[編集]

さて、削除依頼の提出を受けて、この語の成り立ちを調べていて気になった点として、まだ良くわからないので本文に入れることはしませんでしたが。

日本俗語大辞典によれば、この語は「1984年にタモリがテレビで言い始めて広まった」との説明があり、1985年版現代用語の基礎知識にその旨の新語として掲載されているので、そのあたりは確定でよいと思うのです。

しかし、ちょっと別の情報として、同じく『1985年版現代用語の基礎知識』には、若者用語とは別の箇所で「ダ・サイタマ」との表現が掲載され、そちらは自治医大の付属病院移転に絡んで大宮市医師会が反対運動からストライキ決行、市内の予防接種などで混乱がおきたとの、まったく異なる事象についての説明になっています。

こちらについて本記事でとりあげられている俗語としての「ダ埼玉」とこちらの「ダ・サイタマ」についての関係は読み取れないのですが、これらが関係無いものであるのか、一部関連した事象であったのか、情報をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか? --Masao 2007年5月2日 (水) 15:39 (UTC)[返信]

1行改行を編集しました。--2001:268:C0A2:2CCA:A06D:B274:C68C:1A80 2021年3月25日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

屈辱的な印象[編集]

要出典の項目が多く記載されている点、県民に屈辱的な印象を与える語感があるため削除すべきではないかと考えます。もしくは「彩の国さいたま運動」に関連があるのであればそのページもしくは埼玉県のページ内部に記載すればよい内容なのでは?--59.147.19.220 2009年12月27日 (日) 03:03 (UTC)[返信]

時系列順になるよう移動[1]し、見出しを作成。--2001:268:C0A2:2CCA:A06D:B274:C68C:1A80 2021年3月25日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

不必要[編集]

そもそも、こんなページをわざわざ作る必要が在るのか?こういう用語は埼玉県のみならず、其処に住む埼玉県民全員を愚弄する言葉に他ならない。こういうページを作り必要は無いし、残しておく価値も無い。——以上の署名の無いコメントは、61.197.11.98ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2017年6月27日 (火) 05:25‎ (UTC) に投稿したものです(新幹線会話)による付記)。[返信]

埼玉県民に対する名誉棄損である。差別的なネットスラングだ。例えば、大阪の人が異なる方言や慣習、在日朝鮮人または在日韓国人の人が多いことを理由に「大阪民国」と侮蔑されることは、冗談で済まされるだろうか。それと同レベル。--macha 2018年3月28日 (水) 16:24 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、陸田真志会話投稿記録)さんが 2018年3月28日 (水) 16:25 (UTC) に投稿したものです(2001:268:C0A2:2CCA:A06D:B274:C68C:1A80による付記)。[返信]
差別的な表現・概念についての記事だからなくせ、というのではそれは言葉狩りに他なりません。そもそもWikipedia:削除の方針のどれに当たるというのか。記事をなくせば差別がなくなる、というのはあまりに安直ですし、そのような行為がかえって世界中でカウンター的行動をもたらしているのをご存知ないことはないでしょう。もっといえば、そのような発言は逆に埼玉の人々をそのような人間だと貶めることにつながりかねません。--58.91.111.211 2020年9月16日 (水) 08:49 (UTC)[返信]
Wikipedia:署名[2]、段落の作成。--2001:268:C0A2:2CCA:A06D:B274:C68C:1A80 2021年3月25日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

背景節について[編集]

2021年11月23日 (火) 14:23‎ の版からJOT newsさんにより、背景節について詳細に加筆しようとする編集が行われています。

もともと、私が本アカウントの方で当該節を執筆したのは、この俗語の受容の背景として埼大名誉教授の小野文雄が「江戸時代から江戸を中心とした幕府の支配体制に組み込まれ、明治時代以降も県内に中心となる都市を持たなかった」(『県民だより』昭和58年9月号)ことをあげていたため、前後関係をもう少し掘り下げようと思ったのが動機です。その際、明治以前の背景と、明治期の風評を「歴史的背景節」に、それ以降の背景を「県民性と東京人気質」に記したつもりです。ただ、「歴史的背景節」については執筆の時点で内容を絞ったつもりですが、少々やりすぎたかなとも考えておりました。

JOT newsさんの執筆の動機については、2021年11月28日 (日) 08:32‎の版を見ても、県史をただ網羅しようとしているのか、トリビア的な内容を書き連ねたいだけなのか、今のところ定かではありません。「昭和時代」なる節を新たに設けているのですが、この節の内容と小野がいうところの「江戸を中心とした幕府の支配体制に組み込まれ~中心となる都市を持たなかった」とどう結びつくのか、私にはわかりません。この節の扱いについて、ご意見を頂ければと思います。--Ath02会話2021年11月28日 (日) 13:08 (UTC)[返信]

Ath02さんが、小野文雄氏の「江戸時代から江戸を中心とした幕府の支配体制に組み込まれ、明治時代以降も県内に中心となる都市を持たなかった」(『県民だより』昭和58年9月号)という意見に、その根拠を追加しようとしたことと、また、主に「ダ埼玉」という言葉ができたことを埼玉県住民の気質のせいにしたいようであることが分かりました。ただ、Wikipedia:中立的な観点からすれば、同教授の意見とは異なるとしても、歴史描写として「武蔵国最大の藩に川越藩があったが、幕府の政策により藩主転封も少なくなく、江戸のように長期的な都市計画を立てたり有名な将軍は出なかった。それでも玉川上水工事を完成させ、川越城の周辺は城下町ももつ小江戸となった。藩兵も多く、ペリー来航のときには6万人を三浦半島と品川に配置した」ことや、有名なゴルフ場や陸軍工場や米軍基地が置かれていた時代があったことなどを併記することは、問題ないと思います。
そもそも「ダ埼玉」という言葉は、都市部への通勤や基地を負担している県民や県に対する侮蔑意識を正当化し(一部は補助金があるとしても)、そのことでその負担の押し付けも正当化するために拡散されたかもしれません。また、一般的にも失礼な言葉であると捉えられています。ですので、記事の作成には、より中立的な観点が求められると思います。なお、編集履歴からすれば「歴史的背景」の項は2015年11月-12月に、Athletaの他、Himetvさんが追加されています。--JOT news会話2021年11月29日 (月) 01:27 (UTC)[返信]
「なお、編集履歴からすれば~」とのことですが、ご理解いただいているのか否かわからないので、もう一度お断りしておくと、Athletaというのは私の本アカウントです。WP:SOCK#NOTIFYに基づきその旨を表明し、副アカウント(Ath02)ではサッカー分野などのメンテナンス作業を主としていますが、たまに漫画、俗語などのサブカルチャーの加筆を行うこともあり、その流れで当アカウントで対話に応じることもあります。
これまでの経緯を説明しておくと、2012年8月11日 (土) 06:21時点における版で改稿、他利用者により事前の審議もなくリダイレクト化されたものをHimetvさんが差し戻し、私の方で出典を付けるなどして改善していったものが2015年11月の月間強化記事賞を経て良質記事へと選ばれた次第です。
本題ですが、JOT newsさんはWikipedia:中立的な観点をご自身の執筆の理由としてあげていますが、2021年11月29日 (月) 01:27の版のコメントを見る限り、私が出典として掲示した小野文雄らの意見や観点とのバランスを取ろうとしたのかもしれせん。ですが、Wikipedia:中立的な観点#観点の中立とは何ではないかと照らし合わせると、例えば、2021年11月23日 (火) 14:23‎ の版での「和同開珎」云々「大宰府」説云々なり、2021年11月28日 (日) 08:32‎の版での「ゴルフ場や陸軍工場や米軍基地」云々をただ記すことが、果たして中立に成り得るのか、バランスを取ることに成り得るのか、少々疑問なんですよね。
ちなみにWikipedia:中立的な観点#中立を達成するためにでは「中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます。妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。原則として、ごく少数の人々の意見は記事に一切含めるべきではありません。」とあります。
JOT newsさんがいうところの「「ダ埼玉」という言葉は、都市部への通勤や基地を負担している県民や県に対する侮蔑意識を正当化~」なり、「有名なゴルフ場や陸軍工場や米軍基地が置かれていた時代があった~」をこの俗語の背景に結び付けた有識者による意見があればよいのですが、方針と照らし合わせるとそうした意見が少数派であった場合、原則として記載は認められていないようですね。ましてやWikipedia:独自研究は載せないにもあるように、一執筆者による「新たなアイデア」「新たな観点」の類であれは排除されますし。--Ath02会話2021年11月29日 (月) 10:40 (UTC)[返信]
Ath02さんが当該記事を作成されたのが2012年ということは了解いたしました。ただ私は記事本文には独自研究にならないよう、他ウィキペディア記事の要約を書いたのみであって、個人的な意見はこちらのノートに書いたにすぎません。また、タモリの「笑っていいとも」は平均視聴率が11.5%だそうですが、だとすれば有識者数人が支持についていたとしても、単純に88%の人は視聴していません。Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けは「少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と、同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではない」としています(この記事の削除が一度検討された理由がそれかは知りませんが)。また、武光誠『県民性の日本地図』など16,7件の出典から記事作成されているにも関わらず秩父氏や和同開珎が出てこないのは、「埼玉県#歴史」と比べてみても、果たして中立に成り得るのか、バランスを取ることに成り得るのか、少々疑問なんですよね。ちなみに「戦国時代に入り中世の武士団の流れを汲む武将の中から戦国大名へと成長する者は少なく」のくだりは埼玉に限ったことではなく全国的な建武の新政#武家・公家の入れ替わりの影響ですので、その旨を加えればより中立的になると思います。--JOT news会話2021年11月30日 (火) 13:01 (UTC)[返信]
  • 初版は2006年7月13日 (木) 09:27にIP氏が作成削除依頼は2007年4月30日にYukiakihaさん(活動停止済)が提出したものですね。こちらは2012年以降に記事の改善に関わっているので、それ以前については特に関知しておりません。
  • JOT newsさんは「秩父氏や和同開珎」や「建武の新政の影響」など、本記事のテーマ、俗語の背景から外れた話題の方に関心を持ち、「歴史的背景節」に次々と書き足すことで中立的記述となり得ると考えている、ということでよいのでしょうか。こちらが一部記述を省略したことに一家言あるようですが、「歴史的背景節」の執筆意図は「埼玉県#歴史」のような全県史の網羅でないことは2021年11月28日 (日) 13:08の版でお話しした通りです。
  • 私としては「「歴史的背景節」については執筆の時点で内容を絞ったつもりですが、少々やりすぎた」という立場に特に変わりはなく、たとえば江戸幕府成立以前の内容であれば今あるものを数行程度に整理する、Template:Otherusesを使い他記事に誘導するのが適当ではないかと考えています。Wikipedia:過剰な内容の整理などもご覧ください。
  • 独自研究にならないよう、他ウィキペディア記事の要約を書いたのみ」とのことですので、2021年11月29日 (月) 01:27時点における版のコメントにある「藩兵も多く、ペリー来航のときには6万人を三浦半島と品川に配置した」の箇所を調べたところ、私の手元にある『新編埼玉県史 通史編 近世4』(埼玉県編、1989年)ではペリー来航時の川越藩の動員数は1万3000人、『図説埼玉県の歴史』(小野文雄責任編集、河出書房出版社、1992年)では6万人(ただし「馬一匹を人足二人と計算」と注記)、いずれも実数ではなく、延べ人数としています。「埼玉県#歴史」をはじめ出典不足のまま版を重ねた記事も多く、注意が必要でしょう。
  • なお、より多くの意見を募るため、コメント依頼を提出することにしました。--Ath02会話2021年12月1日 (水) 11:47 (UTC)[返信]
  • 私が上のコメントで書いた「ペリー来航のときには6万人を三浦半島と品川に配置した」の部分の「6万人」が「延べ6万人」であることについて了解しました。川越藩の記事でも「延べ」となっておりましたので、ご指摘ありがとうございます。コメント依頼を出されるとのことですが、今のところ自分の意見は、「ダ埼玉」の記事はタモリが80年代に広めた侮蔑用語を説明するものとしては存続は不可能ではないと思います。ただそうすると造語の理由をタモリ支持者の発言や埼玉県の歴史環境に求めるのは本末転倒なので、造語発案者のタモリ自身(またはフジサンケイグループの番組「笑っていいとも」の放送作家自身)が説明した造語理由を加えて欲しい、と思うに尽きます。--JOT news会話2021年12月1日 (水) 23:04 (UTC)[返信]
  • ペリー来航の件は承知しました。JOT newsさんの仰る通り、たしかにタモリなり放送作家といった当事者自身の言葉というのは欲しいところです。記事中に記した通り造語の誕生前後のタモリの動向は今のところ、「本県を扱ったコミックソングへの反応」「竹の子族への反応」「県民だよりの企画を受けての反応」などが判明しているのみ、「歴史的背景節」はあくまでも小野、武光らの意見を基にしたものですし。コメント依頼の提出により議論が活性化すればよいのですが、それと並行して資料探しを進めたいと思います。ただ、このご時世で図書館では利用制限がかかっていますし、年末年始の休館期なども考えると、お時間をいただくことになるやもしれません。--Ath02会話2021年12月2日 (木) 12:30 (UTC)[返信]

コメント依頼を見て参りました。記事を一読しての感想ですが、「背景」節の構成が非常に読みづらいと感じました。思うに、①造語の背景と受容の背景が構成上明確に分けられていないこと、②受容の背景を説明するためには「江戸」前後だけで十分であるはずの歴史的背景が、独自研究的に肥大化していること、③受容の背景としての「歴史」は特定の学者の主張の裏付けであるのに、「ダ埼玉」の背景の定説であるかのように読める構成になっていること、あたりが問題であるように思いました。改稿の仕方としてはたとえば、背景節は「造語の背景」と「受容の背景」の二つに絞り、埼玉の歴史については「〜も参照」のようにして「埼玉」の当該節に飛ばす形にする方法などが考えられると思います。 HANSON会話2021年12月8日 (水) 10:51 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。HANSONさんの案を反映すると、現在の「ダ埼玉#毒舌家としてのタモリ」を「造語の背景」に、「ダ埼玉#歴史的背景」を「受容の背景」に振り分け、今こちらで進めている資料探しの結果次第で、「ダ埼玉#県民性と東京人気質」をどちらか一方の節に振り分け、さらに大幅に整理する形となるでしょうか。その場合、「受容の背景」節は古代から現代に至るような記述ではなく、「〇〇学者のAは~と評している。同じくBは~。」といった記述になることも想定しています。なお、私事で恐縮ですが、すんなりと珍項目にまで選ばれてしまった身としては、率直なご意見を頂くことができありがたく思います。内容の見直しなど、他の編集者の方からもご意見をお待ちしております。--Ath02会話2021年12月13日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
意見を明確に述べようとしたぶん不躾な書き方になってしまったかと少し不安でしたが、意を汲んでいただきありがとうございます。他の方のご意見もあるかもしれませんが、個人的にはまずはその方向で問題ないと思います。受容の背景と造語の背景を同じ事象に求めるような説が出てきたときには再検討が必要になるかもしれません。--HANSON会話2021年12月13日 (月) 22:45 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ました。これはあくまで私個人の信条によるものですが、基本的にWikipediaの記事は「序文」「概要」「より詳細なそれ以下の項目」の3つで構成されると読みやすくなると考えております。さてこの記事に関しては概要に相当するものが存在せず、

  • ダ埼玉(ダさいたま)とは、「ダサい」と「埼玉県」を掛け合わせた造語である[1]。この造語は1980年代初頭にタレントのタモリによって考案されたもので[2]、埼玉県を「野暮ったい」「垢抜けない」ものと見なして揶揄することを目的とした[1]。

序文のこれ以外の部分の理解が非常に難しくなっていると感じました。より簡潔な「概要」を作成することをお願いしたいと思います。--肉欲獣会話2021年12月19日 (日) 07:37 (UTC)[返信]

序文の後に加えるとするとこんなイメージでしょうか。
「タモリといういちタレントの発言に端を発したこの用語は広く普及するとともに、語の使用のみならず、この語が含意する埼玉のイメージをめぐって、行政をはじめとする幅広い人々の反応を引き起こした。以下では、その経緯や背景、その後に与えた影響について詳述する。」--HANSON会話2021年12月19日 (日) 08:36 (UTC)[返信]
肉欲獣さんからご指摘の概要節ですが、節の作成ありきではなく、それに相当するような導入部の加筆という形でも構わないでしょうか(詳細はWikipedia:スタイルマニュアル/導入部#「概要」節を作る場合にある通りなので控えます)。その場合、今現在の定義や導入部、HANSONさんが掲示された雛型に肉付けしたものを考えています。
なお、資料探しの途中経過ですが、1980年代に刊行された『愛の傾向と対策』(松岡正剛とタモリとの対談)、『「笑い』の構造』(山藤章二と横澤彪との対談)『「笑い』の解体』(山藤とタモリ、所ジョージ、景山民夫との対談)、『若者たちの神々 Part4』(筑紫哲也とタモリとの対談)、小林信彦の著書(『時代観察者の冒険』『笑学百科』『日本の喜劇人』、『キネマ旬報』のコラム)、2010年代に刊行された『タモリと戦後ニッポン』や『文藝別冊 総特集 タモリ』などの研究本に目を通しています。今のところ、この造語なり埼玉県について関係者本人が言及したものは見当たりませんが、『「笑い』の解体』収録の山藤と景山との対談、小林による『キネマ旬報』1985年3月上旬号収録のコラム、岸川真による『文藝別冊 総特集 タモリ』収録のコラムなどに、タモリの差別的芸風、地域差別、田舎嫌いについての考察が断片的に記されています。資料探しは来年も進めていく予定ですが、現状ではこれらを基に記事の改稿を進めていくことになるかと思います。--Ath02会話2021年12月21日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
その方向でお願いします。--肉欲獣会話2021年12月24日 (金) 13:51 (UTC)[返信]
たびたび返事が遅れて申し訳ありません。ご理解いただきありがとうございます。さっそく記事中に反映させていただきました。また、私の方で進めていた資料探しですが、『週刊現代』1983年2月5日号の記事中にタモリの発言を見つけることができました。要約すると「名古屋批判は日本人の嫌らしさが集約されているからやったまで。次は埼玉という人もいるが、名古屋とは次元が違う。ただ、東京の隣県ながら埼玉に一歩入ると田舎になるのは不思議」といったものです。これのみでは些か心もとないので資料探しは継続する予定ですが、いつまでも記事を放置しておく訳にもいきませんので、改稿作業に取り掛かろうかと思います。その際、『週刊現代』1983年2月5日号のタモリの発言、山藤と景山との対談、小林や岸川らによる意見を絡めながら、うまく「造語の背景」節に反映できればと考えています。何かご意見ありましたらよろしくお願いします。--Ath02会話2021年12月29日 (水) 12:06 (UTC)[返信]