ノート:タウヒード

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vs キリスト教におけるイスラームのコンセプト[編集]

Aphaiaさんによって、キリスト教とイスラームとの比較のところで、要出典を求められたのでの回答です。この部分を依拠しているのは、参考文献に提示した黒田壽郎『イスラームの構造』pp.76-80が主題となりますこのノートを書いた時点で、追記しても良かったのですが、差し控えます

イスラームの預言者に対する立場は、たとえ、神の言葉を託されたとしてもムハンマドと他の人間は、平等であり、差別化しないという文脈、このことこそがタウヒードを考える上で、最も重要となってきます。ウィキペディアにおける三位一体説の2007年1月17日 (水) 15:03版([1])がこのノートを書いている際の最終版ですが、ここに記述があるとおり、三位一体説とは、

「父なる神」と「ロゴス (λογος) である子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の3つが、皆尊さが等しく、神は固有の三つの位格(自立存在: 希 υποστασις (hypostasis), 羅 persona)でありながら、実体(希 ουσια (ousia), 羅 substantia)は同一であるという意味

:: であるため、キリスト教は、キリストに神性を認めていることとなります(キリスト教においてもキリストは預言者かどうかは、私は判断できないので、ここではコメントしません)。

イスラームは、キリストもムハンマドも預言者は、一人の人間を採るため(というよりアッラー以外に神性を認めていない)、初回投稿時の文章から、イスラームは三位一体説自体を否定した文章を書いた次第です。

ただ、私自身は、イスラームに多少の造詣はありますが、イスラーム教徒でもないですし、ましてやキリスト教徒でもない葬式仏教徒ですから、キリスト教の教理に関しては、教理に詳しい人のコメントがほしいところではあります。--Tantal 2007年2月17日 (土) 14:26 (UTC)[返信]

上に引用されている文章は三位一体の説明として正しいと考えます。「イスラムは三位一体説を否定する」というのは知っていますが、要出典を入れた箇所は、誰がということを明示せずに「三位一体は問題である」等となっており、いわば神の視点での叙述になっており問題であると考えました。また被造物うんぬんとありましたが、イスラム教の被造物概念がキリスト教に妥当しないことが問題であるというのは言い方は悪いですが、難癖といえるのではないかと思います。誰の目からみて問題であるということが明示されていないままでは、そういう言い方は中立性の観点からして問題があるのではないでしょうか。--Aphaia 2007年2月17日 (土) 15:00 (UTC)[返信]

あと、一般にキリスト教ではイエス・キリストは預言者ではありません。ユダヤ教でもキリスト教でも預言者を通じて神が話すのであって、キリストの神性ということが確立してしまえば、「ナザレのイエスが預言者である」というのはカテゴリミステイクでしかありえません。同時代人にはイエスを預言者として認識していた形跡が新約聖書文書からは伺えますが、40年代から60年代のパウロ書簡にすでにそれは希薄です。したがってキリスト教においては、イエスは預言者の系譜の最後にいるけれども自身は預言者ではない、というのが妥当なところではないでしょうか。そしてヨハネ福音書(100年頃)では、キリストははっきり神として書かれています。いわゆる三位一体説は3世紀前半の成立ですから、キリストの神性ということはもっと早い時期に確立しているといえます(三位一体が神論において問題になるのは聖霊論がからんでくるからで、聖霊についての定式化はもっとずっとあとのことになります)。--Aphaia 2007年2月17日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

もうひとつ、だからキリストの人性にしか着目しないのは、キリスト教からみればまったく理解できていないので、キリストが預言者であるというイスラム教の主張自体に「問題がある」ということになります。そうした相対性がないままに「キリストの神性を主張することは人性を否定することだ」というのは、神人二性というキリスト教内の議論を理解していない乱暴な縮約とみえます(そしてこのことは三位一体論が確立した後に問題になるので、三位一体を持ち出すのはその意味でも間違いです)。むしろ三位一体よりも1世紀後半の異端であるエビオン主義などと関連付けたほうがいいのではないでしょうか(いわゆるユダヤ系キリスト教でキリストの神性を否定し、預言者であると主張。神殿崩壊後キリスト教とユダヤ教の両方から排斥されるかたちで運動は消滅した)。Aphaia 2007年2月17日 (土) 15:11 (UTC)[返信]

議論拝見しました。Aphaiaさんにおかれては「問題」の部分を大きく取り上げすぎている感があります。というのは、この部分は、おそらくセム的一神教における神の絶対性という観点から考えた場合、キリスト教における三位一体説というか単意論だの単性論だのが出て来るという神のあり方はかなり独特である、という言い方がしかったのではないかと考えるからです。日本における一神教理解の多くがキリスト教経由のそれであるということから、キリスト教との比較において、預言者が「ものを食い、市場をうろつく」人に過ぎないという点を強調することになっているように思います。--Kotoito 2007年2月17日 (土) 17:12 (UTC)[返信]
Kotoikoさんのおっしゃる視点は分かります。ですが、「イスラム教からみて」ということが自明でない立論は、どの論者のものかわからない点で問題があると考えますし、その場合キリスト教側からみて、イスラム教のそのような主張はそもそもなりたたないということを付け加えておく必要がNPOVという観点からみて望まれるとも考えます。少なくとも、イエスは人なのだから神ではないというのは(そういうふうな立論だと思いますが)、キリスト教が最初期に克服した点でそれを「イスラム教から見れば」という限定なしに問題だと言っているのが論としておかしいといっているのです。「キリスト教ではこうである。これは問題である」というような(これは乱暴な省略ですが)いいかたをしているので、それはないでしょうといっています。問題なのはあなたがたにとってだけそうなのであって、キリスト教のほうではなにも問題ではないのですから。であれば誰にとって問題と感じられるのかということを明確にするべきではないですか。Aphaia 2007年2月18日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
ええとおそらくAphaiaさんも私もTantalさんも認識は等しくしているかな、と思います。もちろん「問題」という表記は問題でして、それを除くかたちでの記述でよいかと思われます。イエスは人だから云々というのも、イスラームにおけるタウヒードの理念から、イスラームにおけるイエスもまた預言者であって云々という書き方が出来ると思うのですが、いかがでしょう。--Kotoito 2007年2月18日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
そうですね。「三位一体論はイスラームが把握するタウヒードとは調和しない、なぜならイスラームにおいては……」というような叙述であれば、私もとくに問題ではないと考えます。コメントをいれた時点での記述は残念ながら、そのような記述には受け止められませんでした。もうすこし付言すれば「イエスは人だからおかしい」というのは叙述が粗すぎて、「イスラームにおけるイエス理解においてはこれこれなので、その限りで……とイスラームは主張する」という相対化が望ましいと考えます。いまの叙述ではイスラーム側の主張を超越的な立場から主張して、キリスト教に「問題がある」といっているので、それはNPOVの観点からして受け入れられないだろう、ウィキペディアで許容される記述ではないだろうと指摘しているのです。また出典として提示するなら、「○○である某は……と主張している」というような書き方が望ましいかと考えます。某がいったからそれは議論の余地なく問題である、というのは、すこしナイーブにすぎるのではないですか。その意味で、こういう主張をしている研究者が居る、ということを本文ないし注に明記した上でなら出典を出したといえると思いますが、たんに脚注に出典を添えるだけでは不十分だと考えます。本文の叙述の大幅な組み換えが必要であると思います。Kotoikoさんが述べたような調子にいまの叙述が読めるとは私には受け止められませんので。Aphaia 2007年2月18日 (日) 08:40 (UTC)[返信]
確かに、文章は少々粗野だというのは、指摘を受けて、そうだなと思いました。今回の場合は、黒田の文節をもう少し、丁寧に文章に織り込めればいいかと思います。
(追記1)ただ、その部分の文章の推敲は、少し、時間ください。昨晩、Amazon.co.jpで、羽田正『イスラーム世界の創造』、青柳かおる『イスラームの世界観-ガザーリーとラーズィー』、M.A.H.フサイニー『イスラーム神学50の教理-タウヒード学入門』を購入したばっかりなので、これらの文章にも目を通したいと思います。
(追記2)昨晩、査読依頼にもかけたので、まだ、不十分な点が出てくるかと思います。どしどし、意見を提示してください。--Tantal 2007年2月18日 (日) 08:58 (UTC)[返信]