Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カワード1世 20200228

カワード1世 - ノート[編集]

選考終了日時:2020年3月13日 (金) 14:48 (UTC)

  • (推薦)月間新記事賞に漏れた記事です。英語版の良質な記事からの翻訳で、訳にわかりづらいところは特にないと思います。きちんと出典も明示されていて、わかっていないところとわかっているところを区別して書かれており、十分な水準に達しているものと思います。--Tam0031会話2020年2月28日 (金) 14:48 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Tam0031会話2020年2月28日 (金) 14:48 (UTC)[返信]
  • 賛成 サーサーン朝は日本語の文献がほとんど無いので検証が難しいのですが、翻訳記事として良く仕上がっていると思います。
  • その上で、本記事に限らず英語版Wikipediaのサーサーン朝関連記事を通じて非常に気になる点があります。それはカワード1世の記事内でも3度登場しているイランの七大貴族(Seven Great Houses of Iran)の記述です。英語版Wikipediaのサーサーン朝関連記事は全体的にPourshariatiを多用しており、その影響を強く受けています。そしてPourshariatiはサーサーン朝の体制を「Sasanian-Parthian confederacy」と呼び、パルティア系貴族(パルティアの後裔、パフラヴィーを名乗ったとされる貴族家系)the seven Parthian clans(つまり七大貴族)をとても重要視しています。ですが、この用語について以下の問題があります。
    • 数少ない日本の専門家がサーサーン朝について述べる際にこの用語を(「アーリア人」をはじめかなり突飛な見解を持つ青木健氏でさえ)全く使用しないこと。
    • Pourshariatiはパルティア系貴族(とされる)家系をつとめて重要視していますが、それでもスーレーン、カーレーン、ミフラーン、アスパーブバドの4氏族を除くとほとんど実態不明で、ジーク、スペンディアード、ヴァラーズの3氏族についてはほぼ名前が羅列されているだけと言って良く、「七大貴族」という表現は「四天王」などと同じく非常に修辞的なものであると見られること。
    • 英語版Wikipediaでこの用語が使用されている箇所に使用されている出典では実際にはカーレーンやミフラーン等の氏族名が書かれているだけである場合が多いこと。従って「one of the Seven Great Houses of Iran」という表現はWikipedia執筆者が(恐らくは強いこだわりによって)各記事に付与しているものであると予想されること。
  • 3点目については具体的に、本記事にある「ペルシアの七大貴族の一つであるカーレーン家のスフラがすぐに新しい軍隊を編成してエフタルによるさらなる侵攻を食い止め...」に出典として記されているPayne 2015bの該当部分は「Nethertheless, the Karinid Sukhra was able immediately to raise a new army to prevent the Hephthalites from ...」となっておりKarinidに「七大貴族の一つである~」というような修辞は付けられていません。よってこれは英語版Wikipedia執筆者による潤色であることが確実です。
  • これは本記事の問題では必ずしもありませんが、上記のような点から調整・修正が必要であると思います。--TEN会話2020年3月2日 (月) 18:02 (UTC)[返信]
  • すみません、良質な記事の選考としてはむやみに厳しい気もするので賛成に変更します。上記点については後日少し編集させていただこうと思います。--TEN会話2020年3月2日 (月) 18:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 初版投稿者です。まずはTam0031さん、TENさん、推薦およびコメントをいただきありがとうございます。ご指摘の点に基づき加筆、改稿いただいた箇所を確認しました。特にこれで問題なく良質な記事の目安は満たしていると思いますので、自薦票となりますが賛成票を入れます。なお、ご指摘のあった七大貴族の表記は日本語の文献で全くゼロという訳でもなく、注釈ベースですが私が唯一発見したのが「青木健 ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究 1 80頁」です(ウズルグ・フラマダールを「大宰相」としたのもここから取っています)。但し、日本語文献ではこれしか見つかりませんでしたし、英語版の該当箇所の出典元の記載でも当該表記が見られないのは確かなので、修正いただいた点に特に異議はありません。サーサーン朝の日本語書籍は自分も手元にはなく、ウェブ上で見つかる論文ぐらいしか日本語表記は参照していませんが、その少ない論文の中でも人名など表記に揺れがあり、翻訳にあたっては悩ましい点が多いです。そもそも日本語表記自体見つからないことが多く、個人的にはなるべくラテン文字表記は避けたいところですが、文献自体が少ないと仕方のないところかもしれません。--Los viajeros 77会話2020年3月13日 (金) 01:47 (UTC)[返信]
    • 返信 選考終わった後の返信ですみません。記事の訳出と七大貴族の日本語出典のご教示ありがとうございます。確かに使用されていることを確認し、また同じく青木健氏の『新ゾロアスター教史』でも七大貴族の用語が使用されていることを確認しました。なので、日本の専門家に全く使用されないという私の見解は誤りでした。以下は蛇足ですが、青木氏の著作を出典として用いるのはかなり慎重でなければならないという気がしています。青木氏は「ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究」では大宰相ミフル・ナルセを「イスファンディヤール家の出身」と書き、『新ゾロアスター教史』では「スパンディヤール家の」と書いていて、音訳が一定しません。さらに、ミフル・ナルセはPourshariatiでは「スーレーン家の」となっており、Encyclopedia Iranicaでは貴族とあるのみで出身家系には言及されずとなっています。『The Cambridge History of Iran』第3巻第2号Part5では「Mihr-Narseh, a representative of the noble family of the Mihranids.」と書かれていて「ミフラーン家の」となっており、これは多分テオドール・ネルデケアーサー・クリステンセン英語版がイスファンディヤール家とミフラーン家を同一の氏族としたことを受けたものだと思います。Pourshariatiの注釈によればミフル・ナルセをスーレーン家とするのはアルメニアの伝承から、イスファンディヤール家とするのはタバリーの伝承から来ているそうですが、「七大貴族」の実体は上の通り鵺のように姿を変えている感があり、こうした背景を考慮せず説明もなく単純に「七大貴族の~」と書いてしまう青木氏の姿勢にはかなり強い疑問を持ちます。サーサーン朝の固有名詞の日本語表記については本当に難しい問題ですが、英語圏のラテン文字転写ですら各書籍・論文で一定していないので、Wikipediaの日本語表記が多少アバウトになるのはやむを得ないかもしれないですね・・・--TEN会話2020年3月18日 (水) 16:54 (UTC)[返信]
      • ひと月程経ってしまっていますが、ご返信ありがとうございます。TENさんが加筆された七大貴族の記事も拝見しましたが、資料や学者の見解の違いもあってパルティア期以降のペルシア貴族に関する情報は錯綜していますね。私自身もまだパルティアからサーサーン朝期でいくつか書いてみたい(というより翻訳ですが)記事が残っていますが、ペルシアに限らず古い時代の記事は出典の違いで関連記事間の情報に整合性が取れていないのはよくあることなので、その辺りを上手くまとめるのは難しいです(ペーローズ1世の記事などはかなり他の記事から出典を移植したり差し替えたりしています)。いくら出典があるとはいってもその妥当性まで検討するとなると大変ですが、その辺りを考えるには今回の記事はいい機会になったと思います。--Los viajeros 77会話2020年4月13日 (月) 23:33 (UTC)[返信]
  • 賛成 分かりづらいところも特に無く、良質な記事としては十分だと思います。--ポータル王朝の編集者会話2020年3月13日 (金) 07:42 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成4票のため、通過となります。--Tam0031会話2020年3月13日 (金) 14:56 (UTC)[返信]