Wikipedia:査読依頼/田沼意次 20070217

田沼意次 - ノート[編集]

たまたまこの記事をみたら加筆したくなったので足りないところを補う形で加筆していましたが、もう加筆することも殆ど自分ではない気がしたので、査読にかけてみました。どなたか査読をお願いします。--Kuty 2007年2月17日 (土) 06:43 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
コンパクトに必要なことはまとまっている良質な記事だとは思いますが、歴史の記事は理由⇒結果という構図がどうしても求められると思います。
その上で、いくつか気になった点を指摘させていただきます。
  1. 経歴
    1. 相良藩主になるまでの道程が短い。600石からスタートした旗本が大名になるということは封建制度の世の中では相当、才覚に恵まれていなければ不可能のはずです。旗本時代にも、目立った業績はなかったか気になります。また、郡上百姓一揆についてのもう少し細かい言及が必要。
    2. 田沼時代の業績はほぼ問題ないとは思います。ただ、パラグラフが長すぎる感がなくもないので、パラグラフを短くしてもいいのでは?
  2. 人物評価
    1. 田沼時代に対しての評価ははっきり言えば、真っ二つに分かれると思います。私個人としては、蝦夷地開拓や景気対策のための貨幣改鋳という先進的な政治家であったと評価したいのですが、当然、賄賂政治であったという評価も残る人物でもあります。脚注をフルに利用して、両論併記での記述を行えば、客観的かつ中立的な記事が完成すると思います。

田沼意次は、最近、再評価が進んでいる人物ですので、ある程度、まとまった資料が手に入ると思います。記事が充実すれば、Wikipedia:秀逸な記事の選考にかけても問題ない良質な記事の種を持った記事なので、ブラッシュアップしてください。--Tantal 2007年5月6日 (日) 08:08 (UTC)[返信]

【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など
(コメント)Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成を考えると、年にリンクをつけすぎに見えます。Himeta 2007年3月16日 (金) 10:05 (UTC)[返信]