Wikipedia:査読依頼/差延 20060312

差延 - ノート:差延[編集]

前の項目がはてなのキーワードの要約でしかなかったので書いてみました。哲学に詳しい方のコメントや訂正をお待ちします。やはり難しいです。ハイデッガーの存在論的差異との関係が少し怪しいように思います。また、スタイルや読みやすさなどのコメントも歓迎です。Clinamen 2006年3月12日 (日) 09:54 (UTC)[返信]

Toki-hoです。哲学にまったく詳しくないものの意見です。まず大部の記事のご執筆おつかれさまです。「差延」ということばがデリダの造語だということ、それが、前世紀後半に話題になったことくらいの前知識で拝読しました。そういうレベルだったのですがこの記事の概要と、「フッサールの現象学との関係」を読んで、デリダがこの言葉でいいたいことが、直感的にわか(ったような気にな)りました。しかし、これはどうなんでしょうか、百科事典的にわかったことになるのかどうか、よくわかりません。これは御記事を貶めていっているのではなく、「文章」として、人の心に訴えかける力、その力で直感的に「わからせる」力はあるが、それが、「(百科事典の目的であると思われる)知識の伝達」ということになるのかどうか、私には判断がつかない、という意味です。と、いいますのも「ハイデッガーの存在論的差異との関係」の項が、私にはまったく「わから」なかったからです。これは、私がハイデッカーの存在論にまったく触れたことがなく、フッサールの考え方には、教科書程度の知識ながら触れたことがある、ということが原因かもしれません。この例でも申せますように、なんらかの前提的な資質がある人には直観的に、「あ!」とわかるが、そうでない場合にはわからないというのが、はたして百科事典的であるのかどうかということです。しかし「概要」はたいへんすばらしいと存じます。ただ、少々、長すぎかもしれません。ですので。。
「概要の概要」といった感じの「導入部分」をつくられ
  1. 現在の概要の第1パラグラフ  →  定義
  2. 第2 第3 パラグラフを 簡潔にまとめ、それがデリダのどの時期に どの著書でなされたかという説明  → この語発生のの経緯
  3. 第4 パラグラフの冒頭一文 と 第7パラグラフを まとめたもの  → この語の意味するところ
  4. この語の影響
↑ 以上のような構成にされたのち、現在の「概要」をあらためて述べられてはいかがかと存じます。そしてその「概要」の末尾に、フッサールとハイデッカーとの関連でこの語を述べることの意味をもってこられて、次につなげられてはいかがかと存じました。
素人が長々と感想的な意見を申しまして、申し訳ございません。百科事典読者のなかにも、私のようなレベルの方が大勢おられるかと勘案し、あえて書かせていただきました。非常に優秀な記述で敬服したことを、申し述べておきます。ありがとうございました。Toki-ho 2006年3月18日 (土) 03:19 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ハイデッガーは存在論的差異の説明、それへのデリダの批判、差延がなぜその批判にかかわるのか、という三点のつながりが弱いので、そこが問題なんだろうと思います。概要については、確かにもう少し簡潔な定義を冒頭に掲げられるかどうか考えて見ます。書誌的な情報についてはちょっと手元に資料がないので少し遅れるかもしれません。Clinamen 2006年3月18日 (土) 16:27 (UTC)[返信]
さっそくの御改稿ありがとうございます。ソシュールとの関連もでき、より充実したと思います。こういった哲学用語を「知識的」に説明するのは、難しいなあと、あらためて思いました。Clinamenさんのご努力に敬服します。もう少し時間をかけて拝見させていただきます。Toki-ho 2006年3月19日 (日) 03:02 (UTC)[返信]
ハイデッガーの節を改稿。前よりは多少マシになったと思うけれども、最終段落はもっと書誌的な裏づけが必要かも。デリダのハイデッガー批判は理解が怪しいので削って、系譜的な関係のほうにシフト。Clinamen 2006年3月21日 (火) 18:01 (UTC)[返信]