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Wikipedia:井戸端/subj/メディアウィキの開発、翻訳と日本語版ウィキペディアの今後について

メディアウィキの開発、翻訳と日本語版ウィキペディアの今後について[編集]

現在、メディアウィキの最新版の反映について議論が行われていますが、これを契機に、この両者がどうあるべきか、少し本格的に議論できればと思って、これを投稿します。既にこの件について議論が行われているようでしたら、それを教えてくれると助かります。

ただし、このセクションでは、「現在議論になっている名前空間の翻訳の反映」は対象外です。あくまで、両者がどうあるべきか、どういう方法であればスマートなのか、ということについて意見を募って、あわよくば新しい体制作りが出来ればと思います。--ゆきち 2010年5月22日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

  • コメントまずは、自分のコメントです。ひとつ議論しておきたいのが、メディアウィキというツールのあり方です。英語圏ではウィキと言えば「とりあえずメディアウィキ」みたいなところがあって、相当多くのサイトがメディアウィキを使っていて、「mediawiki」と「wikipedia」が別のものであるという認知はそこそこ成立している感じがするのですが、日本ではpukiwikiなどに比べると採用例が比較的少なく、まだこの両者が切り離しきれてないのではないかと思います(特に、最新版の反映に対してセンシティブに感じている人など)。そういうことを考えると、もしかしたら、現時点では「日本語版ウィキペディアで議論してからメディアウィキに採用」という行程の方が望ましいのかもしれません。もちろん、本来的には、この両者は別物であるということを理解してもらう必要がありますが、そのための助走期間として、この両者を一度一体にした上で、啓蒙、認知を進め、最終的には日本語圏から、ウィキペディアとは独立してメディアウィキにコントリビュートする環境があるべきだと思います。まあ、具体的にどうするということは奇麗に思いついてないのですが...。単なるユーザー会作りというのも芸がないけど、開発、翻訳を実務とするグループはどこかの時点で作っていった方がいいとは思っています。 --ゆきち 2010年5月22日 (土) 16:26 (UTC)[返信]
    • コメント 《もしかしたら、現時点では「日本語版ウィキペディアで議論してからメディアウィキに採用」という行程の方が望ましいのかもしれません》については、絶対に間違っていると断言します。「MediaWikiの開発」と「Wikipediaでの適切な設定」を別けて考えられない人がそれなりの数存在するということは (現在進行中の話題も含めて) これまでに確認されてきました。もちろん、そのこと自体は「Wikipediaというプロジェクトに参加する」という観点からはあまり問題はありません。しかし、「MediaWikiの開発」に参加するのだとすれば、それは重大な問題を引き起こします。例えば過去に「Template」名前空間の日本語訳をどうするのかという話題に「慣れているからそのままでいい」「英語のままがいい」という意見がでていました。「MediaWikiの開発」の場でそのような発言をされると困ります。(無視すればいいだけという意見は理解できる。が、そうするのであれば、ゆきちさんが「現時点では望ましい」と思うようにウィキペディア日本語版という場で話を進める意味はない)
      また、ゆきちさんの仰るように日本語圏でMediaWikiの使用例は英語圏よりも少ないのかも知れません。だからといって、「MediaWikiの開発」の場を「ウィキペディア日本語版」内に設けるということはおかしいんじゃないでしょうか。それはつまり、「MediaWikiの開発 (翻訳) に参加したかったらウィキペディア日本語版のアカウントを取れ」と言っているようなものですよね。--iwaim 2010年5月22日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
      • コメントけっきょくのところ問題になるのは「ウィキペディアとメディアウィキ」を巡る共通の認知がない事なんですよね。なので、ここで本当に必要のは、実は啓蒙なんだと思っています。それを飛ばして作業してしまうのは、摩擦を生むだけだと思います。 --ゆきち 2010年5月22日 (土) 17:03 (UTC)[返信]
        • コメント 理解なさっていない方に理解していたたくってのは重要なことではありますよね。しかしながら、皆が理解するまで翻訳作業の手を止めるというのはありえないでしょう。--iwaim 2010年5月22日 (土) 17:07 (UTC)[返信]
          • コメント止めるとは思っていません。上記案も僕も思いつきを出ないので、良い体制があれば、それを使うまでです。何らかの形をここを契機に作っていった方が、今後のメリットはあると思っています。--ゆきち 2010年5月22日 (土) 17:21 (UTC)[返信]
  • コメント 設定ファイルでカスタマイズ可能な部分に関しては、mediawikiとしての設定のデフォルト値としてふさわしいものと、wikipedia日本語版での設定値としてふさわしいものは、当然に異なりうるわけで、その場合、wikipedia日本語版としてはふさわしくないものをmediawikiのデフォルト設定にするのも文句なく正しいことだし、それをwikipedia日本語版が受け入れないのも文句なく正しいことで、それは両立しうるし、日常的に行われても構わないものでしょう。そうした差異をwikipedia日本語版のコミュニティが開発に参与することで、事前になくすことが、良い方向だとは思えません。(翻訳コミュニティや開発者側が主体的に是々非々で参考にするべき、というのは別の話です)ソフトウェアはユーザーごとにカスタマイズされて当然ですし、逆にデフォルト状態で使え、というのも無茶なことです。今回のようにカスタマイズの範疇の案件であればなおさら、「勝手に変えた」という議論も「文句を言うな」も変です。開発が勝手に変えたものをカスタマイズで勝手に戻す、それはどちらの行為も問題ないでしょう。開発者は勝手に変えるべきだし、ユーザーは勝手にカスタマイズすべきです。問題は、ですから、「カスタマイズ」の範疇にない機能的な変更(設定ファイルに外出しされていないコードの変更が必要になるもの)に限って、クリティカルな問題になるんじゃないでしょうか。メディアウィキはすべてのプロジェクトがプロジェクトごとの設定ファイル以外は同一のコードで動いているらしいので、その場合には、現実問題として、決まったら受け入れるしかない以上、いわれているような、開発に事前に意見のフィードバックを行うことが唯一の選択肢かもしれません。それと設定ファイルでカスタマイズできるようなことがらはわける必要があるのではないかと思います。
  • 事前に意見を聞き、移行を反映させる、そのことで、事後の面倒や騒動をなくす、という方向で、wikipediaの意向が反映するようになれば、wikipediaでは文句が出なくなるかも知れませんが、それは別のプロジェクトやメディアウィキのほかのユーザーにはけっしてよいこととはいえないでしょう。どのプロジェクトにも適切な唯一の解があるとはかぎらないのですから、デフォルト設定はデフォルト設定に過ぎないものとして、カスタマイズされることを前提とする、という立場は寧ろ当然のようにも思います。

--Clinamen 2010年5月23日 (日) 07:53 (UTC)[返信]

    • なるほど、意見としては、「開発はこのままやってもよい、日本語版ウィキペディアの方が、もっと自主的に対処すべし」という感じでしょうか。ただ、ウィキペディアは最新のメディアウィキを使う事が前提になっており、ここの調整を行わないと、自主的にカスタマイズする余地が無くなってしまいます。また、その点からして、ウィキペディアというプロジェクトが、メディアウィキの一種の「人柱」的な位置づけになっており、そういう意味では、ウィキペディアこそカスタマイズ無しに最新版を受け入れて、そのフィードバックをするべきなんではないかと思ったりもします。これは、権利じゃなくて、義務として。--ゆきち 2010年5月23日 (日) 08:46 (UTC)[返信]
  • コメント デフォルトを上書きするのであれば、問題としている特定のメッセージだけではなく、場合によってはそれに関連する他のシステムメッセージも上書きする必要があり、またMediaWikiの機能変更・追加、仕様変更に追従してそれを保守していく必要があります。ウィキペディア日本語版コミュニティがそのコストを負担できると思うもの、負担しても上書きしたいと思うのものだけ上書きしていけば良いのではないでしょうか。もっとも、私はそれで負担できるコストはとても小さいと思いますが。
    前回の名前空間の変更提案ウォッチリストの変更のときにウィキペディア日本語版コミュニティのかなりの人は事情を知ったはずなのに、今回もまたこの騒ぎなわけで、ウォッチリストの変更のときに行われ、また今回も行われようとしているように、「いったん(上書きで)元に戻す」ことでとりあえず騒ぎを静めるというのが現実的な解決だと思います。たぶん、このまま、これを慣行化していくのはそう難しくないのではないでしょうか。
    その後、デフォルトに反対した人たちを含めて、新たな議論、つまり上記のコストを考えながら冷静にデフォルトに追従するかどうかを相談できれば良いのですが… そこはむしろ「いったん(上書きで)元に戻す」ことを素早く行うことで、そこでエネルギーを使わない、「ここまでくれば、いったん(上書きで)元に戻すことは確実なので、その後のことを考えよう」という空気を作っていったほうが良いのかなと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2010年5月23日 (日) 18:10 (UTC)[返信]
    • うーん、一度実行してから戻して、再度実行というのはさすがに無駄なコストではないでしょうか。それであれば、どちらかと言えば告知の方法を定めて、それを通せば告知不足の点については問題を問わない(戻さない)、くらいのガイドラインを作った方が、全体のコストが低くて済むような気がします。--ゆきち 2010年5月23日 (日) 21:25 (UTC)[返信]
      • 今の段階であまりに消極的・悲観的なことをいうのもどうかと思って逡巡していたのですが、まぁ、ひとつの見方として書いておきます。
        たしかに、「いったん(上書きで)元に戻す」というのは、それ自体に建設的なところがどこにもないという意味では「無駄なコスト」といえます。しかし、今回のような大騒ぎを毎回行うよりは、ずいぶんマシだろうと私は思います。今回の名前空間の問題はかなり特殊ですが、そうではない普通のシステムメッセージは以前の状態に戻すこと(上書き)もデフォルトを受け入れること(削除)も管理者権限でできるのですから。
        私は、「啓蒙」にも、translatewikiとウィキペディア日本語版の何らかの「決め事」にも悲観的です。なぜそう考えるのかうまく言い表すのは難しいのですが、前回の名前空間の変更提案ウォッチリストの変更を見ていてそう思います。
        そういったことができないとは言いませんが、まず、いつ起こるか分からない「次回」の対策としては、「いったん(上書きで)元に戻す」を慣行として受け入れておくのが現実的だと考えています。--mizusumashi(みずすまし) 2010年5月25日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
        • システムメッセージに限ってなら、そういう選択肢には賛成します。積極的なみかたをすれば「後方互換性を確保するための対策」に関わりますしね (まああんまり関係ないのだが)。ただ、どこかで破綻はくるでしょうから、その時点で大幅な改訂が発生します。その点を思い患ってもしかたがないという意味では (つまり、MediaWiki名前空間の編集権限を持っている方々に苦労をかけることを考えないという意味では)、特に異議はありません。で、そのへんは、MediaWiki名前空間の編集権限をもっているひと (つまりはjaWPの管理者) で話し合って、だれがどこまでできるか詰めたらいいんじゃないでしょうか (前もこんなことを言った気がする)。 --Hatukanezumi 2010年5月25日 (火) 14:03 (UTC)[返信]
    • まず、事後の対策について。mediawikiの最新の変更をウィキメディア財団の諸プロジェクトのウィキが問答無用でいったんは共有する、ということを変更するのは現実的でもなければおそらく利点もないので、こんかいと同様に、その変更が、議論の余地がある、もしくは変更したい人が一定以上いる場合の、処理フローを制度化してしまうのがよいのかな、と思います。そうなれば揉めることなく、粛々と処理を進めればいいということになるでしょう。今回の話って、責任論が出るような性質の問題ではないと思うんですよね。対応の処理フローが固まってなかった、という話で。(そのフローに技術的コスト評価も含める)で、事前の対策、たとえば、開発陣とwikipediaのユーザーが意向をすりあわせる、もしくは相互のコミュニケーションをより密接にするにはどうすれば、というような話についてはまた別で、そちらはそちらで、たしかに歴史的にmediawikiはwikipediaのためのwikiであったし、現在の最大ユーザでもあり、コミュニティ的にもある意味で一体である、あるいはあるべき、という観点からはいろいろあるんでしょうけど、そちらはちょっと私のほうからはあまり思いつきません。ただ、事後の対策と両立するものだと思うので、わけて平行して考えてよいんじゃないでしょうか。私としては、新しいユーザーに歴史的なmediawikiとwikipediaの伝統的な一体不可分性を説いて、積極的に開発に参与しよう、そのかわり事後には文句を言わない、というようなコンセンサスをとるのは、事実として難しいのではないかと思います。--Clinamen 2010年5月24日 (月) 08:39 (UTC)[返信]
      • コメント
      • 「処理フローを制度化」の最初に、「できること」と「できないこと」の線引きをしなければならない (「できないこと」は自動的に却下) ですが、おそらくほとんどのことは「できないこと」に仕分けられることになるでしょう。いっぽう「できること」というのは結局、MediaWikiのアカウントの権限でできることとほとんどイコールですので、サイト内でいつまででも議論すればいいはずです。今回のは「できないこと」にかなり近いです (MediaWikiのアカウントの権限ではできないことですから)。
        このあとはやや余談的なコメント。
      • ウィキペディアがMediaWikiの最大のユーザ集団であったというのは、もうとうに過去の話です。ウィキメディア・プロジェクトでのMediaWikiのインストレーション数なんて2桁どまりです。
        もちろん、「読者」をユーザの数に入れれば最大級のユーザ数かもしれませんが。ただ、だったら逆に100人やそこらの「執筆者」が勝手になにか決めてはいけませんね:-)。
      • 冗談はともかく、「MediaWikiとウィキペディアに密接な関係があるから協力しろ」なんて、実際に実務をこなしているひとの多くは思ってないとおもいます。まったく逆で、MediaWikiそのものが非常に分散的な開発形態になっているのですから、ウィキペディアといういちサイトのそのまた一部のユーザがMediaWikiをコントロールするなんて無理だ、という前提にたつべきではないですか。
        例を挙げると、▼MediaWikiそのものがオープンソースですから、さまざまな個人や団体によるパッチ (修正点) の提供や、セキュリティ上の観点からのレビューなどの協力をえて開発が進行します。▼機能拡張 (エクステンション) はMediaWikiとともに配布されていますが、ソフトウェアのコアとは別にそれぞれ開発主体 (ほとんどは個人か少人数のグループ) がいます。▼メッセージ翻訳は言語ごとに別のチーム (や個人) が行っています。TransWikiができるまでは、開発者に個々人が翻訳の修正を送って反映するように頼んでいました。▼そしてこれらのいずれにも、ウィキメディア・プロジェクトのユーザでないMediaWikiユーザが関わっていることがありますし、その傾向はこれからますます顕著になるでしょう。
        まとまりがないけどこのへんで。 --Hatukanezumi 2010年5月24日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
  • コメント ノートにお誘いをいただいていましたが、遅くなりました。とりあえず、今回起きた問題の原因である「翻訳の問題」と、MediaWiki自体のシステムアップデートはちょっと分けて考えるべきです。後者は、セキュリティの問題もありますから、最新版を使うのが望ましいでしょう(財団の方針として決まっている以上、この点はさすがにどうしようもない。システム的にどうしても不便な点は、開発者に直接言うしかないでしょう。ただ、個人ではその限りではないと思います。IEなんかはその典型ですね)。問題は今回の問題点でもある前者で、これは、所詮30人っぱかりが決めている翻訳にすぎません。たとえば、talk空間は、個人で使う場合には別に「チラシの裏」に改名しようが、はてまたまったく関係ない使い方の為に改名しようが関係ないわけです(ライセンスとして改変を認めているため、どんな改変をくわえても基本的には問題ない)。で、これがwikipediaっていう、コミュニティ的な代物になると、困ったことが起きます。今までの何人かの発言ではっきりしているわけですが、TransWikiは決して、wikipediaに最適化されたものを作っていないということです(精神的にも、現実的にも)。少なくともwikipediaとしては、トークという訳は(タブ名としても、空間名としても)改悪と考えられているというのは、投票の結果からもかなりはっきり読み取れます。もちろん、いままでは無条件で受け入れてきたわけではありますが、これからは、wikipediaの側で、何が適切なのかを自分たちのコミュニティで考えていく時期でもあるのではないでしょうか?もしそれが難しい場合は、wikipediaとしては数の力でTransWikiに乗り込んで改訂するしかなくなるわけで、それはTransWikiにとっても決して有益とは言えないと思います。--Koon16000 2010年5月24日 (月) 17:30 (UTC)[返信]
どうもありがとうございます。ただ、ここでは、翻訳の質や内容については語っておりません。また、「30人っぱかりが決めている」とおっしゃっていますが、それは単に現在参加していている人が30人だというだけにすぎません。この数が100だろうが、300だろうが、今のままでは、すれ違うことがおきたでしょう。おっしゃる通り、ソフトウェア開発と翻訳は別作業ではありますが、ウィキペディアへの反映という点では同じなので、ここではわけておりません。
どっちかというと、Koon16000さんは、ウィキペディア側でカスタマイズしろ、という意見でしょうか。 --ゆきち 2010年5月24日 (月) 22:26 (UTC)[返信]

Wikipedia日本語版の中で何かを議論するといっても、結局、Wikipedia日本語版のユーザーの中のごくわずかしか議論に参加しないわけでしょう。 OSSなのだから、MediaWikiの開発に参加したい方は勝手に参加すればいいと思います。--වෙ 2010年5月26日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

これは、どういう意味でしょうか...。まさか一度でもウィキペディアに参加した事ある人全員に参加をしてもらうとわけにもいかないでしょう。何にせよ、「物事にコミットする」という人は常に少数です。ここで話をしたいのは、そうあっても、出来るだけ関係者、参加者の負担を減らし、よりよいシステムを作るのはどうしたらいいかです。その上で、どうだったら、ご自身は納得できるのか、教えていただければと思います。--ゆきち 2010年5月26日 (水) 16:06 (UTC)[返信]
「日本語圏から、ウィキペディアとは独立してメディアウィキにコントリビュートする環境」というのは、今でも誰でもできることであって、それをわざわざ日本語版ウィキペディアが取りまとめるというのは不要だと思います。
Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすというガイドラインでは、ウィキペディアのデフォルトと異なる設定にするようユーザーに要求しています。デフォルト値を変え、裏技を使うことで一つの問題が回避できるなどと主張しています。そこには、なぜデフォルトの設定が編集内容の要約の記述を強制しなかったのか?という検討はまったく含まれていません。開発者の意図を尊重していないコミュニティの一部のアクティブユーザーの意見を取りまとめ、それがウィキペディアの総意であると主張することにはそもそも意味がないですし、開発を疲弊させるだけだとおもいます。--වෙ 2010年5月26日 (水) 23:57 (UTC)[返信]
おっしゃっていることは間違ってないと思います。そして、現状もほぼその通り機能していると思います。でも、それにも関わらずいちいち些細な文字列変更が1-2週間にわたってつまらない騒ぎを起こしているのも事実です。
ここで出てきてほしいのは、「主張」ではなくて、「調整」する人材です。単にウィキペディアから主張するのではなくて、ウィキペディア、メディアウィキ双方を取りまとめる人材が欲しいのです。--ゆきち 2010年5月27日 (木) 01:30 (UTC)[返信]
ウィキペディア、メディアウィキ双方を取りまとめる人材が欲しいとおっしゃっているのはなにをさせるためですか?
私は、合意形成を尊重するという原則を無視して投票が行われたということが騒ぎの最大の原因だと私は思います。取り返しがつかないといって大騒ぎした人達が結果的に投票に及んだわけです。取り返しがつかないかどうかだって、実際のところウィキペディアで常駐しているような人たちの一部の感覚であって、ウィキペディアンが広く納得していたというわけではないでしょう。「取り返しがつかないから原則をはずれた行動をする」ということ自体が今後も行われてよいものなのか、まず審議されるべきだと思います。
実際、はるか昔からアナウンスされていた件だったわけです。ウィキペディアもオープンで、メディアウィキもオープンに開発されているんだから、そんなに取り返しがつかないと思う人は、今回のことを教訓にしてその程度のアナウンスに普段から注視していればよいわけです。ウィキペディアの利用者の中にはMediaWikiをインストールしている方もいるでしょう。もし、ある変更が気に入らないなら、その変更を取り入れるべきでない理由を説明する説得力のあるロジックを組み立てて、MediaWikiの開発者に伝えればよいのです。では、開発者に、特定の実装の問題点を指摘するのに「ウィキペディアンの総意」とか「ウィキペディアで合意された」とかいう言葉の応援が必要でしょうか?そんなものは不要です。だから、ウィキペディア、メディアウィキ双方を取りまとめるという発想は不要だし、それは今回の投票行動と根っこが変わっていないと思うのです。--වෙ 2010年5月27日 (木) 03:12 (UTC)[返信]
当の人材に「何をさせるためか」といえば、「ウィキペディア日本語版(場合によっては各種日本語プロジェクト)とメディアウィキの開発の方向性の一致を図ってもらう」です。例えば、事前のアナウンスや、核プロジェクトでの合意事項、問題点のフィードバックなどです。
「「ウィキペディアンの総意」とか「ウィキペディアで合意された」とかいう言葉の応援が必要」か、という点については、メディアウィキ側には不要でしょうが、ウィキペディア側には必要でしょう。先に言った通り、「両者は独立したプロジェクトである」というのが原則だと思いますが、一方で「ウィキペディアはメディアウィキの最新版を使う」という原則もあります。そうなると、やはり、ある程度は両者が一体であるべきです。今、そういう環境でない、そういう認識が育ってないからこそ、些細な一言一句に対する文句が惹起されるわけです。「原則から外れた行動をする」という事に対しても、一致がとれていません。それも含めて、「文字列の変更がある場合はこうしよう」「日本語や文字入力に関する開発については、こういう風にフィードバックしよう」というガイドラインは必要だと思います。--ゆきち 2010年5月27日 (木) 16:01 (UTC)[返信]
投票は全体として (A)「開発者にコミュニティの声を反映させるにはどうするか」という話をしているのではなかったとおもいます。また大多数のひとびとの関心は (B)「利用者コミュニティとしてサイトをどのようにメンテナンスしていくか」という点にもなかったようです。主には (C)「運用担当者に設定の再変更を要求する」ということであったようです。
そして、この節での論題は (A) の点のようですが、そんなことවෙさんが言うように、ここで話してどうにかなることではないようにおもいます。たとえばエクステンションをひとつ書くのでも、解説文書を執筆するのでも、翻訳をするのでも、よそのウィキメディアコミュニティにでかけていってだれかの会話ページで話をしてくるのでも、なんでもいい。ひとりひとりが形のある貢献を積み重ねていかなければ、ボランタリーな組織/運動とはいえません。
ただ、投票に参加したひとの多く (投票の提案者もふくめて) には、上のような区別が必要であることさえも理解していただけていなかったのかとおもいます。
感想。
なんていうかな、……日本は豊かすぎる社会なので、普通のひとびとがあたりまえに、ものすごい物量の資源や人員を注ぎ込んで成り立つようなサービスを、日常的につかっています (ウィキペディアで日常的に編集しているようなひとなら特にそうです)。サービスの詳細だとか維持だとかに自分がエネルギーを注がなくても、お仕着せのサービスを使っていれば十分すぎるほど恩恵をうけられる。これはよいことのはずなんだけど、そういう社会では「ボランティアとして公共に貢献する」とか「ゆるやかに連携しながら全体として発展していく」とかいうビジョンは持ちにくいのかもしれない。
「消費者」として自分の目先の便益に汲々とする……繰り返しますが、そんなことができるのはよいことのはずなんですよ……態度を見て取ってしまいました、わたしは。
とっても疲れますね。 --Hatukanezumi 2010年5月28日 (金) 15:18 (UTC)[返信]

何人か、「メディアウィキの開発は一方でやってもらって、ウィキペディア日本語版はそれを修正して使おう」という(と読める)意見がありますが、僕は大いに反対です。なぜなら、それはとある人が「ガラパゴス」と呼んだものそのものだからです。メディアウィキ側から見れば、ウィキペディアは最強のテスト環境です。ここでの問題点の指摘や、修正項目のフィードバックは、必ずやメディアウィキの開発に大いに貢献する事でしょう。「トークという訳語が気に入らない」というのも十分なフィードバックです。だからこそ、出来る限りウィキペディアは最新版を使ってその問題点をとりあげ、きちんとフィードバックしていく必要があると思っています。そういう認識が育つまでは、「メディアウィキ開発ウィキペディア日本語版支部」みたいのがあってもいいと思っています。--ゆきち 2010年5月27日 (木) 16:01 (UTC)[返信]

メディアウィキに対して、ウィキペディアのコミュニティから意見を言うことは良いことだと思います。お互いのコミュニティは独立していますが、孤立しているわけではないでしょう。個々人が直接意見を言うより、コミュニティ内で議論して、より洗練された提案を作ることもできるはずです。今起こっている問題も、お互いに理解やコミュニケーションが足りなかったために起こっているのであって、冷静に対処すれば克服できるものでしょう。避けなければならないのは、コミュニティ同士で感情的な対立が起こることです。--有足魚 2010年5月28日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
しばらく考えていましたが、まだまとまり切っていません。
まず、「現時点では「日本語版ウィキペディアで議論してからメディアウィキに採用」という行程」には賛成できません。translatewiki.net で翻訳しなければならないメッセージの数からいって現実的ではなく、「重要な」あるいは「異論が強そうな」翻訳だけを選び出すのは問題を複雑化しすぎそうに思います。
ただ、「メディアウィキ側から見れば、ウィキペディアは最強のテスト環境です」というのはもっともであり、ウィキペディア日本語版で、それはウィキペディア日本語版が勝手にやっていることであるという建前のもと、(1)システム・メッセージのありかたについて一般論・個別論を含めて継続的に議論し、(2)MediaWikiへのフィードバックとなることを目指す、という二つの目的を持つ場所はあったほうが良いのではないか、とは思いはじめています。--mizusumashi(みずすまし) 2010年6月1日 (火) 16:11 (UTC)[返信]
メディアウィキの翻訳にしても、いろいろな意見があると思うのです。ただ、今まで翻訳作業に携わっていなかった人が、いきなりそれに意見するのは難しいでしょう。そこまでの経緯を知らないわけですし、翻訳については英語力も要りますから。そういうときに、事情に詳しい人と相談できる場があるだけで雰囲気は変わると思うのです。つまり、ウィキペディア側から物を言う時はそこを通さなきゃいけない、という性質のものではなく、あくまで情報提供や対話の場です。ウィキペディアのコミュニティが、数に物を言わせて何かを要求することはあってはいけないことです。そうならないように、冷静に話し合える場が欲しいと感じます。--有足魚 2010年6月2日 (水) 12:07 (UTC)[返信]
コメント なんでゆきちさんはそんなに歪んだ構成にしたがるのかな?《メディアウィキ側から見れば、ウィキペディアは最強のテスト環境です》というのは賛同しますけど、ウィキペディア日本語版というテスト環境で、MediaWiki側で変更すべきと判断できることが見つかれば、そのときフィードバックすればいいんです。で、「MediaWiki側で変更すべき」と判断できる人は、ウィキペディア日本語版の「利用者」の中でも極めて少ない人数しかいません。まあ、それは当然ですよね。ウィキペディア日本語版の「利用者」は、ソフトウェアの開発に来ているのではなく、百科事典を作り上げに来ているんですから。
《「メディアウィキ開発ウィキペディア日本語版支部」みたいのがあってもいいと思っています》というのは別に作ってもいいとは思うのですが、それにtranslatewikiでの翻訳を含めて、MediaWikiの開発に対して影響力を持つ組織にしようということは間違っています。--iwaim 2010年6月2日 (水) 03:25 (UTC)[返信]
コメント 論点が2つあってどっちにどうコメントしたらいいのか分かりづらいですが、両方まとめてここに書きます。
1つ目の「jawpでMediaWikiの最新版を使うのをやめさせるかどうか、つまり、LocalisationUpdateの停止とアルファ版ではなく安定版で、かつ変更のタイミングはjawp側が決める」という案ですが、本当にそれをやって保守作業ができるほどjawpに能力があるならやればいいと思います。しかし個人的な意見を述べますと、今回の名前空間名の変更のbugzillaへの依頼等を見ていても分かりますが、本当にMediaWikiあるいはウィキメディアの管理体制に関して、正確に理解している人は極少数のように思いますし、「変更前にシステム管理者に問い合わせておいたほうがいいよ」と言ったのにも関わらず何も反応しなかったところをみると、システム管理者との連携もうまくやれない(やろうとしない?)気がします。更に言うと、ウィキペディアンは百科事典を作りに来ていて、そっちに集中するためにシステム管理者にシステム管理をせっかく任せられているのに、そこまで管理したいというのは、私には全く理解できません。以上から考えるに、もしそのように考える方がおられるなら、それはウィキメディアではなく、どこか別の自分たちで好きにできるサーバーでやるのがいいと思います。
2つ目の「MediaWikiとjawpとの連携」ですが、「連携」はともかくも、フィードバックするページ、あるいは告知ができる体制はあってもよいでしょうし、可能ならそういうのがあれば良いとは思います。ただ、(話を大きくしてしまいますが)名前空間名変更のtalkでも述べたように、それはjawpに限らずMediaWiki開発側(translatewiki.net含む)とMediaWiki利用者側(jawpやウィキメディアの日本語版も含むが、それに限らない)との間の問題として捉えるのがよいと思います。ゆえ、やるのであれば、MediaWiki日本語版ユーザー会的なものになるでしょうか。具体案は何もありませんが、個人的には、時間等できたら、そういうものも本格的に考えるべきかなと思っているところです。--青子守歌会話/履歴 2010年6月2日 (水) 16:45 (UTC)[返信]
コメント ゆきちさんの発言には、若干 (全部じゃないです)、誤解に基づいている点があります。
先にも挙げましたが、MediaWikiのリリースエンジニアリングの方針は、要約すると「なるべくすばやく最新の修正を反映させ、ユーザに安心して使ってもらうために、古いバージョンは一定期間で見切って、次々に新しいバージョンを供給していく」というものです。開発者の趣味や気まぐれでどんどんバージョンが上がるわけじゃなく、必要があってやってるんです。もしもおっしゃるようなことを考えるのなら、個々の変更がユーザに与えるインパクトがどういう種類のものであるかをきちんと把握したうえで、考えなければなりません。
あと、「MediaWiki日本語ユーザ会」みたいなものができるのはとてもよいことだとおもいますが、わたしも、日本語版ウィキペディアが核になる必要はないとおもうし、現状を見るとまず無理だろうともおもいます。むしろ、これも先に挙げたFedora Projectのように、開発の視点からMediaWikiを見られるひとのコミュニティが核になるべきです (もちろん、Fedoraはやらないでしょうけどね。もののたとえです)。 --Hatukanezumi 2010年6月3日 (木) 12:21 (UTC)[返信]


コメント 会話ページでお誘いを受けましたので遅くなりましたがコメントさせていただきます(全体に対するコメントのためインデントなしにしておきます)。私の問題意識はWikipedia日本語版利用者とMediaWiki開発者・翻訳者の間のコミュニケーション・ギャップに関するもので、当面の問題点はWikipedia・トーク:井戸端/subj/名前空間名の変更への対応#本質的な問題で述べさせていただいた通りですが、敢えて繰り返しますと、

  • MediaWikiとWikipedia(日本語版)の区別
  • MediaWikiのローカライズ(日本語化)のプロセス
  • MediaWikiの更新(日本語化を含む)をWikipedia日本語版(や財団の他のプロジェクト)に反映するプロセス

が「Wikipedia日本語版のコミュニティで十分に理解・共有されていない」ということです。このために無用な混乱や対立が生じてしまっているように見えます。私自身細かいところまで精通している訳ではありませんが、まずこの問題を改善する方向に動けないかなと思っています。もちろん一朝一夕に大きな成果を得ることはできないでしょうが、できそうなところから少しずつ、が現実的な対応かなと考えています。

ゆきちさんのご提案について:さてその上でですが、ゆきちさんの「日本語版ウィキペディアで議論してからメディアウィキに採用」(両者を一度一体にする)というご提案は、例え助走期間ということだとしても、率直に言ってあまり筋が良くないように私には思えました。開発者の方にはユーザー、例えば我々ウィキペディアンの要件を十分に把握・理解して開発していただきたいとは思います。ですがMediaWiki自体はあくまでも汎用的なソフトウェアとして開発・保守が行われるべきです。他の方も仰っていますが、もしカスタマイズ可能な項目でWikipedia日本語版側がMediaWikiの既定値を採用したくない場合は、カスタマイズすればいいだけです。もしカスタマイズ不可能な場合はカスタマイズできるように開発者に要望を出す、ということでしょう(それがいつも受け入れられるとは限りませんが)。個々のユーザー、例えばWikipedia日本語版の要件に応じて、本来提供されている機能でカスタマイズを行うことはソフトウェアの正当な利用方法であって、ゆきちさんの心配される「ガラパゴス化」(本流と乖離し日本独自の動きをしてしまう)にはあたらないと思います。むしろ先に挙げたコミュニケーション・ギャップの方が問題で、ITmediaの記事の趣旨もそういうことだと思います。

という訳で、「ウィキペディアこそカスタマイズ無しに最新版を受け入れて」の「カスタマイズ無しに」という部分はちょっと違うかなと私は思います。もちろん、MediaWiki開発側が(最大のユーザであろう)Wikipediaをリファレンス・サイト、あるいはMediaWiki自体の宣伝サイトとして大いに活用していただき、そこでの要件やフィードバックを積極的に取り込む、そのために例えば事前にリサーチしてカスタマイズ無しで利用してもらえるようにする、というのであれば理解できますが、それは開発側が決めるべき話です。ただ、フィードバックを円滑に行うための場があった方が良い、という部分には賛成です。

新しい仕組みの一案:最後に、開発側の話に一部踏み込みますが、ご参考まで私の考えを少し述べさせていただきますと、MediaWikiがカスタマイズ可能とは言え、同じような用途なのに個々のユーザー(サイト)ごとに似て非なるカスタマイズが個別にバラバラに行われると、ユーザー側のカスタマイズ、開発側の保守・サポートの両面で負荷が増大します。もし全体として無視できないほど非効率になっているのであれば、特定の用途向けに細かいカスタマイズをまとめ挙げた「テーマ」のような仕組みを導入し、いくつかのデフォルト・テーマをソフトウェア本体と一緒に配布するようにするのも一案だと思います(スキンに似ていますが、見た目以外のカスタマイズ項目も含まれます)。例えば「百科事典」というテーマが初めから提供されていれば、Wikipediaは独自のカスタマイズをせずにそのテーマを採用することができるかもしれませんし、「百科事典」テーマについては最大ユーザーであろうWikipediaがある程度主導的に「開発」することも可能かもしれません。問題は、現状そのような新しい仕組みを導入するだけの価値を見い出せるかどうか。個人的には、当面はカスタマイズ対処で十分かなという印象を現時点では持っています。--Penn Station 2010年6月3日 (木) 03:35 (UTC)[返信]

お返事遅くなりました。

まず、指摘について述べますと、「歪んだ構成」にしているつもりはありません。現状を改善する体制作りが、今後のためにも必要であると考えているだけです。ただし、前例に則るつもりもありません(そもそも存在しないし)。

まあ、多少の誤解は含んでいたようですが、それによって得られるものは一度検証していく必要があるかもしれません。

ユーザー会作りみたいな事をどう考えるか、僕はあまり肯定的ではありません。先に有足魚さんが述べているように、「独立しているけど、孤立している訳ではない」というのが、本来あるべきでしょう。現状は、残念ながら、孤立している状態なのではないかと思います。 ユーザー会を作って、そこを独立させてしまえば、また再度こういう疲れるだけの騒ぎが起きるでしょう。なので、出来れば、しばらくは「ウィキペディア日本語版との協同」という部分は残しておきたいのです。Penn Stationさんのいうような、「カスタマイズで十分」というのは、僕は思っていません。ここで話をしているのは、「対処」ではなくて、「体制作り」だからです。青子守歌さんの述べているように、それはそれで別途メンテナンス(の要員)が必要だし、それであれば、その人員を他に振り分けた方が良いからです。

というわけで、さて、どうしますか。まずは、システム周りのコミュニケーションチームみたいのを作る感じなのですかね。 --ゆきち 2010年6月12日 (土) 13:27 (UTC)[返信]