Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Kengaku 他

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CU依頼の提案[編集]

チェックユーザーを依頼する提案をいたします。--青木(おおぎ)高校生 2010年3月17日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

文案[編集]

幸福の科学関連の宣伝的な編集をおこなっているユーザー群についてチェックユーザーを依頼します。--~~~~

コメント[編集]

こちらでチェックユーザーへの合意を形成するためのご意見をお願いいたします。--青木(おおぎ)高校生 2010年3月17日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

CU依頼の提案その2[編集]

仕切りなおして、もう一度チェックユーザーを依頼する提案をいたします。--青木(おおぎ)高校生 2010年3月21日 (日) 14:59 (UTC)[返信]

文案[編集]

幸福の科学関連の宣伝的な編集をおこなっている利用者群について、不適切に多重アカウントを使用している疑いがあります。この利用者群が本当に多重アカウントであるのか、また多重アカウントの不正利用が実際にあったのかを確認するため、チェックユーザーを依頼します。

コメント[編集]

コメントはこちらの節で承ります

  • コメント 追加依頼対象として、利用者:Kenkyu会話 / 投稿記録 / 記録さんを追加いたしました。引き続きご意見お待ちしております。
    それにしても、この審議といい削除依頼といい捨てアカウントによる投票などが多すぎます。こちらに関してもCUが必要でしょうか。--Ohgi (元青木高校生) 2010年5月31日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
  • (取り下げ)CUのログは時間の経過によりなくなってしまったものと思われます。もはやCUを依頼しても有意な回答はないでしょう。--Ohgi 2010年8月14日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/Kengaku 他より転記

「幸福の科学グループ創立者にして総裁である大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動(すなわち幸福実現党)や宗教運動(すなわち幸福の科学)に重大な貢献をしている。」という仮説と、「大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしていない。」という仮説とがありえますが、前者の仮説を当然の事実であるかのように述べる人はたくさん居ても、後者の仮説を述べる人を寡聞にして知りません。

もしも、青木(おおぎ)高校生さんが、後者の仮説を述べる最初の人(Original Person)になるなら、まさに青木(おおぎ)高校生さんの独自研究(Original Research)であり、大変ユニークな、貴重なご見解になると思います。

逆に後者の仮説が正しいとする検証可能信頼できる情報源による出典が万一にでも存在しましたら、よろしければお示しください。

特筆性の存在証明は、神の存在証明とかクオリアの存在証明と同じで、本来、証明が不可能です。いかなる項目であれ、その特筆性の存在は決して証明できないにもかかわらず、ウィキペディアにこれだけ項目が溢れているのはどうしたことでしょうか。--Demian 2010年4月5日 (月) 15:48 (UTC)[返信]

おっしゃっている意味がよく理解できないのですが、私は『大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしていない。』とは申し上げておりません。また残念ながらこの文の出典を持ち合わせていません。
そもそも、特筆性は推定することができます。絶対にあるとはいえないものの、ほぼあると言うことはできます。『対象とは無関係な信頼できる情報源からの有意な言及』という明確なものがあるのですから、証明が不可能というものではないはずです。
もし、『大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしている。』もしくは『大川隆法氏の一連の著作は、著名な政治的運動や宗教運動に重大な貢献をしていない。』という言及が対象とは無関係な信頼できる情報源からあったのであれば、『大川隆法氏の一連の著作』には『重大な貢献をしている。』もしくは『重大な貢献をしていない。』という点で特筆性が生まれるはずです。どんな言及だとしても『対象とは無関係な信頼できる情報源からの有意な言及』があれば、特筆性があるものと推定可能です。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月5日 (月) 21:32 (UTC)[返信]
『対象とは無関係な信頼できる情報源からの有意な言及』があれば特筆性があるものと推定可能だという命題は、それが無ければ特筆性があるものと推定可能ではないことを意味しません。今回が良い例です。--Demian 2010年4月6日 (火) 15:44 (UTC)[返信]
なるほど。ようやくご主張の意味を把握することができました。特筆性があることを証明はできても、特筆性が絶対にないということは証明できないということですね。ここで一つ確認をしておくと、標準名前空間以外でのウィキペディアへの言及に執筆者の意見が混入してしまうことはしかたがないことです。以下私の見解を述べます。
基本的に、特筆性というものは、対象と無関係な信頼できる情報源からの有意な言及があらば発生するものであると考えております。Wikipedia:特筆性 (書籍)#判断基準には、『重大な貢献をしている。』ということが信頼できる情報源により検証できれば特筆性を満たすというように読み取ることができます。しかし、削除依頼の場ではその信頼できる情報源からの言及が示されておりません。もちろん、Demianさんからも示されておりません。よって、特筆性を満たすとは言い難い状況にあります。確かに私も『重大な貢献をしている。』のではないかと思います。ですが、私とDemianさんは信頼できる情報源でしょうか。答えは否です。
例を出しましょう。青木高校生はウィキペディアンです。これは誰もが納得することかと思われます。ですが今までにそれを信頼できる情報源に言及をされたことはありません。だから、青木高校生が特筆性を満たすとは言い難いです。
誰もが納得できるからといって、信頼できる情報源からの言及が確認できないのであれば、特筆性を認めるべきではありません。残念ながらWikipedia:削除依頼/日本の繁栄は、絶対に揺るがないでは信頼できる情報源からの言及は提示されておりません。Demianさんにもそれを提示していただけるということはなさそうです。現在、対象と無関係な信頼できる情報源からの言及は確認できていません。その言及が確認できれば特筆性が認められるでしょう。Demianさんの考えに青木高校生が納得しただけでは特筆性の証明にはなりません。
対象と無関係な信頼できる情報源からの有意な言及がなければ、安易に特筆性を認めるべきではないでしょう。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月7日 (水) 00:04 (UTC)[返信]
「対象と無関係な信頼できる情報源からの有意な言及があれば、特筆性があるものと推定可能である」。逆に「対象と無関係な信頼できる情報源からの有意な言及がなければ、特筆性を認めるべきではない」という青木(おおぎ)高校生さんの見解は理解しました。
以下、そのご見解に、2つの点から同意できない理由を述べます。
一つは、青木(おおぎ)高校生さんは、特筆性について、定義と、存在を確認する方法論とを、一体のものと扱っている印象を持ちましたが、その扱いについて、Wikipediaで合意ができているようには思えないからです。
定義と、確認する方法論を一体に扱う立場は、構成主義(Constructivism)的な立場です。が、私はその立場に疑問を持っています。
なぜなら、例えば刑法と言う実体法で定める犯罪の構成要件と、刑事訴訟法という手続法で定める犯罪の立証手続きは別々です。「きちんとした立証手続きを経ないで犯罪があったとするべきでない」という意見を述べる人がいれば、冤罪を防ぐためにもその通りだと同意します。しかしそれは、刑法で定めるその犯罪の定義とは別です。「かくかくしかじかの立証手続きを経て、その存在が推定可能な行為を『殺人罪』と呼ぶ」とは罪の定義をしていません。
特筆性についても、「その存在の推定可能性を検証する方法論で以って、Wikipediaでは定義する」とする合意が成立していれば別ですが、私には成立しているようには思えません。これが、同意できない一つ目の理由です。
もう一つは、特筆性を確認しにくい項目を切り捨てることにデメリットがあると思うからです。
特筆性は、有るか無いかの二値論理ではなくて、少なくともファジィ論理の領域だと思います。しかも、人によって異なるし、時間的にも変動するでしょう。もし、項目の候補となるすべての言葉に対して、その特筆性に関して、たとえば日本語などの言語の利用者全体で、ファジィ論理での真理値の平均を取り、大きい順に並べると、ロングテール現象が見られるでしょう。
そのとき、ロングテールのしっぽ、すなわち特筆性真理値平均が小さい項目を切り捨てて良いのかと言えば、紙数に限りのある物理的な百科事典であれば切り捨てざるを得ません。しかし、Web百科事典は、ロングテールを残しておくことで、ネット書店などと同じメリットを享受できます。
ネット書店であれば、1冊の書籍に対して関連する書籍を芋づる式にレコメンデーションして、これが売上につながります。もし、ネット書店があまり売れていないロングテールを切り捨てたら、途中で芋づる式レコメンデーションのリンクが切れてしまい、売れている本の売上も減ります。
同様に、Web百科事典も特筆性の低いロングテールを残しておくことで、関連項目のリンクをいくらでもたどっていくメリットを享受できます。このことは、特筆性の高い項目の理解を豊かにすることにつながりこそすれ、理解を貧しくすることにはつながりません。これが、同意できない理由の二つ目です。--Demian 2010年4月8日 (木) 18:03 (UTC)[返信]
お返事をしたいのですが、今日はあまり時間がありません。ごめんなさい。ですので、2つほど参考になるであろう文書へのリンクをおいておきます。WP:NOT#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません利用者:Lonicera/ある寓話(ある元管理者の私論)。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月8日 (木) 21:10 (UTC)[返信]
時間ができましたので、両点について私の見解を述べます。ウィキペディアは、運営しているウィキメディア財団およびその代表ジミー・ウェールズから提示された、もしくはウィキペディア日本語版のコミュニティが決定したWikipedia:基本方針とガイドライン以下の各種方針に基づいて百科事典を作るプロジェクトです。
1点目について、ウィキペディア日本語版ではそのように運用されております。合意はないかもしれませんが、特筆性が争点の削除依頼でその記事の特筆性を証明する方法としては『対象と無関係な信頼できる情報源からの有意な言及』を提示することが一般的であり、それが提示されない多くの削除依頼は削除で決します。提示されなかったのにもかかわらず存続で決したものは、2009年8月から参加している私はWikipedia:削除依頼/猫が好き♪ 20091203程度しか知りません。
2点目について、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。これは公式な方針です。公式な方針、ウィキペディア日本語版という場のルールなのですから、従うべきものであります。
ただし、方針は変えることができます。この方針をどうにかされたいのであれば、こんな1コメント依頼サブページのノートではなく、Wikipedia:井戸端Wikipedia‐ノート:特筆性Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないかなどで提案されることをおすすめします。
最後に2つ、青木高校生は頭が悪いですので、もう少し平易な言葉でご説明いただけないでしょうか。今回、Demianさんのお言葉の意図を理解するのにかなりの時間を要しております。ご検討下さい。もう1つ、Demianさんはウィキペディア日本語版の各方針に疑問を抱いていらっしゃるようで、もしもウィキペディア日本語版はDemianさんの目指すものとは違うとお考えなのでしたら、Wikia(ウィキア)でご自分のウィキを作成なさったり、ウィキペディアを見限った方が多数参加していらっしゃるYourpediaへ参加なさることもご検討下さい。--青木(おおぎ)高校生 2010年4月9日 (金) 10:32 (UTC)[返信]
青木(おおぎ)高校生さんには、たくさんのことを教えていただきまして、感謝の言葉もありません。
平易な言葉で語れないのは、私も自分が使っている言葉の意味をよくわかっていないからです。
1点目を説明する中で、構成主義(Constructivism)という言葉から言いたかったのは、「ブラウワー直観論理みたいな特筆性の定義だなあ。でも、それって、実体法手続法が未分化なんじゃないか。ゲーデル不完全性定理が言うように、いくら特筆性の検証手続きを充実させても、検証不可能だけれども存在する特筆性ってあるぞ。だから、いつまで経っても特筆性をめぐる揉め事が絶えないんじゃないか。」といったようなことです。が、人を説得したいなら、もうちょっとよく考えて理解して、易しい言葉に置き換える努力をしたいと思います。
2点目は、1点目を踏まえて、「特筆性は、現状の運用のような直観論理モデルで考えるのではなく、ファジィ論理モデルで考えるほうが特筆性の実体に迫っているのではないか」という提案を含んでいます。その場合、「特筆性の大きさ、つまり0と1の間の実数を取る真理値は、Googleのページランクと同じ仕組みで決まるのではないか」と思いました。そして、何からも参照されない記事は、特筆性の真理値がゼロですから、「ガベージコレクタみたいなBotが巡回して記事を削除する仕組みにすれば、それで済むのではないか」などとも空想しました。
いずれ、「えー、その記事消すのーお?」と文句がある時がまた来ると思いますので、その時のために、人がわかる言葉を語れる努力をしたいと思います。いろいろありがとうございました。--Demian 2010年4月9日 (金) 16:16 (UTC)[返信]