Template‐ノート:和暦/過去ログ2

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subst展開を一時控えていただくことのお願い[編集]

解決済み説明している一時的な変更は行わないことになりました。--Hatukanezumi 2010年7月14日 (水) 17:42 (UTC)

とある場所での話し合いをうけて、当{{Jdate}}と{{和暦}}の議論をこちらでやらせていただこうとおもっています (テンプレートそのものについての議論です。年号の表記順序といったスタイルガイド系の議論を意図していないので、この場所を選びました)。

ついては、議論の前に個人的に調査しておきたいことがあり、そのために{{Jdate}}と{{和暦}}に一時的に変更を加えます。表示上はなにも変わりませんが、subst展開で問題が起きます。両テンプレートでのsubst展開はお控えいただくようお願いします

変更は、数日たったらもとに戻します。その際はまたお知らせします。 --Hatukanezumi 2010年7月14日 (水) 13:44 (UTC) fix lk --Hatukanezumi 2010年7月14日 (水) 14:25 (UTC)

差戻しました。Template‐ノート:Jdate#subst展開を一時控えていただくことのお願いで既に指摘されていますが、「一時作業用カテゴリ」なる閲覧者に無用のカテゴリを挿入する改変は行うべきではありません。--kahusi (會話) 2010年7月14日 (水) 16:34 (UTC)
そうですか。じゃあこちらもやめときましょう。実際は、半日程度でデータの採取は終わるんですが。まあ今後しなければならないとおもっている作業にくらべれば、この部分の作業の手間なんて、どんなに増えてもわずかなものですが。 --Hatukanezumi 2010年7月14日 (水) 17:42 (UTC)

三たびおさらい[編集]

もう一度おさらいです。

現状Frozen-mikanさんにより、subst 展開可能なテンプレート

が作成されました。

これによって、私は「テンプレートのままにしておかなければならない」理由は、

  1. <ref>タグ内ではうまく展開できない。(Wikimediaのバグ)

を除いてなくなっていると判断しております(このバグについては現在は注意しながら修正しています。)。テンプレートのままにしておかなければならない理由を示している人はいません。

テンプレートのまま残しておくことに対するデメリットは、

  1. 明治5年以前で使用されると正しい日付が表示されない。({{和暦}}、{{Jdate}}、{{Jdate-y}}のすべて)
    1. {{Jdate}}、{{Jdate-y}}は1867年以前に対応していない。
    2. {{和暦}}は1867年以前に一応は対応しているものの、日付を入力項目としていないため改元がある年やそもそも旧暦→新暦変換に対応できない。
  2. 明治6年以降でも改元がある年については正しく表示されない({{和暦}}および{{Jdate}}、{{Jdate-y}}において年指定のみ行われた場合。)
    {{和暦}}に関しては回避する方法が用意されているものの、そもそもテンプレートの使用目的の1つが「改元年を意識せずに和暦を表示できる」点にあると考えているのでテンプレートの存在意義に矛盾する。また、{{Jdate}}に関しては回避方法がない。({{Jdate|1989}}の出力結果なんて有効なのが7日しかない。)
  3. リンクの形式が固定され、かつWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成およびWikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成氷鷺氏の改定案に矛盾する。
  4. ソースから、本文が読みとれず修正しづらい。

という、私にとっては耐え難い問題があります。

和暦系のテンプレートについてはテンプレートのままにしておかなければならない理由が「紛いなりにも」示されない限りsubst:展開することの何が悪いのかと考えている次第です。(注:私の編集はただsubst展開をしているだけではありません。これもわかっていない利用者が少なくとも1人いるので困っています。)

反論等があればいつでもどうぞ。ただし、私の態度に対する書き込みおよび修正済みの過去のミスに対する突っ込み等はここではしないでください。これらについてはここでは議論する気はありません。あくまでテンプレートに関する議論のみでお願いします。--Goki 2010年7月15日 (木) 08:16 (UTC)

問題点(と主張される内容)については理解しました。結局のところ『私にとっては耐え難い問題があります。』とあるように、個人的な嗜好・我儘に過ぎず、「俺が気に食わない」という以外の「テンプレートを外さねばならない理由」を示している人も、今のところいません。利用者ページの冒頭の『<BR/><BR /></BR></br><BR><br>タグ撲滅中 』と同様、記事の内容に影響のない意味のないことをして、何か貢献したつもりになっている人が一人いるだけです。まぁ、最近は少しはマシになりましたが。こういうこと――上のような改行タグだとか、画像名前空間だとか、デフォルトソートとか、表示に影響のない編集(を主目的とするもの)は、一切禁止したほうが良いんじゃないでしょうか。そういう編集を趣味とする方は、一人や二人程度ではなく、しばしば見られますが。
で、私の名前を出されるのは非常に不愉快というか、一言でいえば Goki氏の妄想なのですが、まぁ、仮に私の提案に従った内容であるとしても、提案の段階のものを、あたかも強制力のある「必ず守らないといけない」ものとして振りかざし、リンクを外すだけの作業を繰り返すのはどうでしょうか。「botではできないから俺がやる」というのも、その編集の根拠(bot作業依頼の理由)がないからそうやって逃げているだけにしか見えません。改元の年の表示にしても、記事の執筆者がその辺りの知識をもたない、あるいは注意していないならば「1989年1月1日→平成元年」「1926年1月1日→昭和元年」と書かれてしまうことは回避できませんし、出典からして間違えているものもあります。またそれを修正する(探し出す)ことは容易であり、テンプレート側で対策を講じることもできるはずです。
というか、いずれの問題も、新暦旧暦の変換すら、テンプレートの機能として対応・実現できるものです。和暦・Jdateの「正式な廃止」と「botでの置換」には反対しませんが、勝手にどこかの誰かが暴走して剥がして回っていることは到底見過ごせません。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 10:35 (UTC)
はぁ~。また個人的な問題に摩り替える。手続き上の問題にこだわるなら一生こだわってください。--Goki 2010年7月15日 (木) 10:42 (UTC)
テンプレート自体の問題も2年前から指摘しているにもかかわらず、誰も直さないから展開してるんじゃないの。何言ってんだか。--Goki 2010年7月15日 (木) 10:43 (UTC)
あなた自身の問題に過ぎず、人に説明できるほどの根拠がないから、bot作業依頼にも出せず、こそこそとやっているだけでしょう。リンクの方法にしても、『和暦→西暦の変換もないとスタイルをいじるのは駄目 』と言って提案を潰したのはあなたじゃないですか。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 14:05 (UTC)
コメント 上節ではお騒がせして申し訳ありませんでした。今晩からデータベースダンプ取得に取りかかります。木曜は記事編集がすくなめなんでね。ただ、記事数が1万を優に越えそうなので、今週末から分析に入れるかどうか……。
で、{{Jdate}}と{{和暦}}に関して、Gokiさんの出された論点にひとつ追加しておきます。
  • (論点追加) 誤った年号表記を誘発している (と強く推認できる)。そして、それに気づくすべがない。
推認と書きましたが、これは確実でしょう。旧暦と西暦では年初・年末がそれぞれ1箇月前後ずれますから、単純に西暦←→旧暦の変換を行うと12回に1回は間違った年代が表示される計算です。また、ひとつの年に複数の称元がなされる場合もあります (これは明治改暦以降もあります)。
両テンプレートでは、その対策として日付を入力させたり特殊な引数を指定できるようにしたりしていますが、それは解決になっていないと考えます。なぜなら、テンプレートを使うひとすべてが年号入力の際に正しい結果になっているかどうかチェックしているとは限らないからです。ほかの記事で使われているのをみかけて「便利なテンプレートがある」とおもって使うひともいるでしょう。
そして、なによりも問題なのは、テンプレートの表示は検証可能な執筆の結果ではないことです。テンプレートを使ったひとは表示される年代を外部の資料で確認したかもしれませんし、していないかもしれません。つまり両テンプレートは、執筆者が書いてもいない年代を書いたことにしている可能性があり、しかもその年代が正しい保証がありません。
両テンプレートを使って既述のような問題が (ほぼ) 起きないのは、次の期間だけです。
  • 明治6年-44年 (1873-1911年)
  • 大正2年-14年 (1913-1925年)
  • 昭和2年-63年 (1927-1988年)
  • 平成2年-現在 (1990-現在年)
すなわち、「グレゴリオ暦に基づいていて、年内に複数の称元がなかった年」です。
わたしの意見としては、すくなくともこれ以外の期間 (もちろん未来も) については、両テンプレートとも使用できないようにすべきだと考えます。 --Hatukanezumi 2010年7月15日 (木) 12:32 (UTC) 少し修正しました--Hatukanezumi 2010年7月15日 (木) 12:37 (UTC)

改元年で日付や元号の指定がない場合は、「1989年(昭和64年/平成元年)」とするか、「1989年」のように元号表示なしにすれば良いと思いますが、どうでしょうか? このテンプレートの場合、仮に「廃止」するとしても削除はできませんから、今後使い続けるかどうかと関係なく、改善できることは積極的に修正していく必要があると考えます。それと、リンク方法の指定、和暦西暦の順序の指定、和暦西暦の変換、この辺ができれば特に問題はなくなるように思いますが、如何でしょう? 前2つは(技術的には)今すぐできますし、和暦西暦の変換も難しいことじゃありません。--氷鷺 2010年7月15日 (木) 14:05 (UTC)

「『1989年(昭和64年/平成元年)』も可とする」でいいのではないでしょうか。ちなみに、Jdateについては対応可能です。
和暦西暦の順序についてですが、Jdateで対応させることは可能ですが、明治以降についてはその必要があるのか非常に疑問です。--Lincun 2010年7月15日 (木) 14:50 (UTC)
コメント
Hatukanezumiさん「(明治6年から現在において、)グレゴリオ暦に基づいていて、年内に複数の称元がなかった年以外の期間について、これらのテンプレートを使用できないとする」という意見に賛成します。
出典に基づいて記述された記述を、新規編集者や暦法に詳しくない編集者が、安易にこれらのテンプレートを用いることで、検証可能性を満たさない記述に変更される恐れがあるというのは深刻な問題であると考えます。
例えば、元の記事が「[[元禄]]3年(1691年)[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]」と記述してあるのを、{{和暦}}を使用して「{{和暦|1691}}[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]」と書きかえられると、「1691年(元禄4年)12月24日」と誤った和暦が表示されてしまうため、検証可能性を満たさなくする。
和暦と西暦の換算や、改元年の和暦の扱いという厄介な計算が、完全にできるテンプレートでなければ不完全なテンプレートであると考えます。--Resto1578 2010年7月15日 (木) 16:01 (UTC)
「『1989年(昭和64年/平成元年)』も可とする」…。何にもわかってないよね…。「1989年(昭和64年/平成元年)4月1日」なんて表記もありですか?
私ならぶん殴りますよ。--Goki 2010年7月16日 (金) 06:34 (UTC)
…と一言で済ませるとあれなので、私が展開作業をやっている中でいろいろ気づいている点を挙げておきます。(一部はもう書くのが4,5回目ですけど…。)
  1. 明治5年以前のすべての日付及び、それ以降の改元年(1912年、1926年、1989年)について年のみで変換できることを許可していること自体が問題であることがわかっていない。具体例は上でも挙げてますが、{{和暦|1989}}4月1日、{{Jdate|1989}}4月1日と書く利用者も多数いるのです。そもそもテンプレートを利用すること自体が「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」にある(でなきゃ意味ないよね)ので、改元年にあたる年を無条件で変換させていること自体問題がある。警告でも出して変換させない処理を入れるのなら別ですが、それだと「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」に矛盾するよね。
  2. テンプレートのまま置いておかれることでリンクの形式が固定される。
上記2点がガイドラインがどうのこうの以前の根本的な問題だと考えているのです。それを個人的な感情の問題だなんて書いている時点でもう…(以下自粛)なのですよ。--Goki 2010年7月16日 (金) 07:39 (UTC)
「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」という限定的な目的が我儘だと言っているのです。それは、改元年を意識しない利用者の責任であり、その手間は、テンプレートの有無に関わらず、執筆者・編集者の側に「必ず」求められるものです。改元年の元号表示を(指定がなければ)非表示にすれば済むことでしょう。現在、和暦テンプレートの動作は
  • {{和暦|1989}} → 1989年(平成元年)  ―(修正案)→ 1989年
  • {{和暦|1989s}} → 1989年(昭和64年)
  • {{和暦|1989h}} → 1989年(平成元年)
  • {{和暦|1989sh}} → 1989年(昭和64年/平成元年)
こうなっています。この一番上が問題なのでしょう? Jdateだと「もっと面倒で、使いづらい」のですが……いずれにせよ、改元年で元号指定がない場合に「勝手に」元号を出すのはまずい、これは皆さん一致しているのではないかと思います。Gokiさんはテンプレートそのものの排除にかかっていますが、その是非とは別に、この問題を解決する事にも反対なのでしょうか? 元号の頭文字を使うのもややこしいので、それも修正の余地がありそうですが。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 08:47 (UTC)

以下は、Wikipedia:井戸端/subj/同じテンプレートを複数回使ったときに、同じ内部リンクを2回目以降貼らないようにする方法はありますか?で述べたことですが、こちらでも述べます。

私はふだんjdateなどを迷惑に感じています。私は文章をいったん自分のパソコンに引き取り、長い期間いじることが多いのです。コピーしたテキストにjdateなどがあると、わずらわしいだけで利益がありません。特別:データ書き出し機能を使って自分のパソコン上のメディアウィキに取り込むと、肝心の年の部分が表示されなくなります。ちなみに「テンプレートも含める」というオプションは今のところ使い物になりません。

メディアウィキはHTMLのような言語を学ばなくても書けるようにと工夫して作られているわけでしょう。jdateなどはそれを逆行させるものだと思います。これなくしては実現できない大きな利益があるなら話は別ですが、jdateは使いたい人のほんの少しの操作を省くだけです。使いたくない人に学習・利用を強制するほどのものではないと思います。

subst展開を基本とし、テンプレートの形で埋め込むのを禁止すれば、使いたい人だけが使い、使いたくない人が迷惑を受けずにすみます。--Kinori 2010年7月16日 (金) 09:02 (UTC)

「改元年を意識せずに和暦年を表示すること」という限定的な目的が我儘だと言っているのです。それは、改元年を意識しない利用者の責任であり、その手間は、テンプレートの有無に関わらず、執筆者・編集者の側に「必ず」求められるものです。

テンプレートを使用している人(特に{{和暦}}と{{Jdate}}で年指定のみで使っている場合)は少なからず、責任を持って編集していない方がいるのは間違いありません。しかもテンプレートを使用しているため、テンプレートの不具合に気づかず、結果的に責任の欠如が見られます。
私が冒頭に書いている問題点の3つ目、4つ目も見てますか?私的には優先度は低いですがKinoriさんのように(私以外にも)迷惑がっている方もいるのですよ。
で、私が現在行っている行為はテンプレートの排除ではなく、テンプレートの展開重複リンクの修正です。いずれの行為もガイドラインなどに外れているとは考えていません。--Goki 2010年7月16日 (金) 09:23 (UTC)
会話ページに書いてきたところですが、テンプレートの排除が目的でないのなら、「間違い」を検索して修正するようにしてください。昭和期とかの「表記に影響のない」修正ばかりでは、説得力に欠けます。Goki氏が本当に記事のことを考えているのなら、明治6年以降の(改元年でもない)テンプレートなんか放置して、それ以前か改元年の修正だけ集中的に作業されているはずです。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 09:39 (UTC)

もう一度書いておきます。このテンプレートの場合、仮に「廃止」するとしても削除も無効化もできませんから、今後使い続けるかどうかと関係なく、改善できることは積極的に修正していく必要があります。既に1万以上の記事で使用されている以上、「廃止・使用禁止にするならればテンプレートを修正する必要はない」というのは間違いです。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 09:44 (UTC)

だーかーらー、重複リンクの修正もやってるよっていってるでしょうが。--Goki 2010年7月16日 (金) 10:55 (UTC)
重複リンクを規制する――それも「わざわざ修正するよう」強く求めるようなガイドラインが、どこに存在するのでしょうか? 仮に、重複リンクは排除「しなければならない」としても、年や日付の「間違い」をたびたび指摘している方が、「間違い」の修正と、表記に変化のない(リンクの)修正の、どちらが重要かも分からないのですか。何をどう言おうと、あなたはただテンプレートが嫌いで暴れているだけなのですよ。頭の中でどう考えてるかは知りませんが、見た目はそうなんです。動機がただの好き嫌いでも、合理的に廃止に向けて動いてくれれば、何も言わないし、むしろ協力したでしょうけど、ただ我儘を言って、「記事の(間違いの)修正」なんかそっちのけで「テンプレート根絶」に向かって走ってるだけですからねぇ。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 12:34 (UTC)
情報 多数の記事で使われていたテンプレートを廃止した経験があります。Template‐ノート:機種依存文字#統合提案の議論をご覧ください。このテンプレートの場合は、大部分を「用途別に別々のテンプレートに統合する」という形にし、残りのうち多くは「テンプレートが必要ない」ということで使用をやめました。実際のテンプレートはがし・貼り替えにはボットも併用して1000を超える記事で修正しました。
最終的に数百の記事が修正方法の判断がつかずに残りましたが、テンプレート自体を執筆者への修正依頼のリンク (右上のようなものです) に置き換えておいたところ、1年ほどで問題のテンプレートを使用する記事はなくなりました。参考まで。
今回の場合、ほかのテンプレートに問題のテンプレートが含まれているために対象記事数が多くなっているという事情があります。そのようなものはある程度一括して結論がだせるとおもわれますので、実質的な検討対象は1000件程度ではないかと予想しています。--Hatukanezumi 2010年7月16日 (金) 12:43 (UTC)

subst展開について[編集]

この節の提案は、このテンプレートをsubst展開でだけ使用することにしよう、という趣旨でした。ならば、substで使うことによってのみ発生する欠点と、それと関わりなくこのテンプレートを使用することで発生する欠点を、分けて考えませんか。

subst展開と無関係な欠点。これは、このテンプレートの使用を望む人が好ましくない編集をする問題です。1) 明治以前の誤表記期間、2) 改元年の誤表記期間、3) 元号への過剰なリンクです。どれも注意深い使用やオプションにより解決可能ですが、元の簡便さは損なわれます。しかし、それでもなお利便性がまさると考える人に対しては、強いて止めるまでもないことかもしれません。

subst展開しないために生じる欠点。このテンプレートの使用を望まない人が余計な面倒にまきこまれる問題です。1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる。注意事項やオプションを増やすと、これらの欠点の程度は増します。テンプレートから便益を受けない人に不便だけ押し付ける構造は、subst展開を義務付ければたちどころに消えますが、そうしないかぎり消えません。

subst展開で生じる欠点。<ref>タグ内でうまく展開できない。これはその箇所でテンプレートを使用せずに書き下ろせばすみます。

テンプレート呼び出しのままにしたいとする積極的理由は、昨年の議論でも、今の議論でも、示されないままです。私には思いつきません。何かありますか。ないのであれば、Jdateと和暦テンプレートはsubstでのみ使う方向にもっていく、とここで合意できませんか。細かなところを詰める話は、その後も続行すればよいでしょう。--Kinori 2010年7月21日 (水) 00:37 (UTC)

結局は「私のような行為を許したくない」から賛成したくないですよね?--Goki 2010年7月21日 (水) 01:23 (UTC)

あと、subst:展開を「してはならない」、「テンプレートのまま記事においておかなければならない」と思っている方の意見をお待ちしております。なお、作業ミスについては触れていますしHatsukanezumi氏によって対策はとられていますのでコメントは不要です。私としては議論の余地があるのは{{人口統計}}のようなテンプレート内で自動展開が必要になるもののみだと思っています。記事本文でsubst展開することについては何も批判されることはないと考えています。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:20 (UTC)

反対がありませんでしたので、そろそろまとめてよいかと思っていましたところ、ここ数日、下のほうの議論でsubst義務化への反対意見が相次いで出されました。
まず氷鷺さんが「substを使うと、記事のソースで見かけなくなり、知名度が下がります」「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」といった意見を、8月2日に出されました。[3]
しかし私が思いますに、それは、このテンプレートがすべての編集者に習得させるだけの価値があり、また、このテンプレートが初心者に使いやすいという前提が成立しなければ、成り立たない話です。このテンプレートは、作者にとっては非常に複雑な大作なのでしょうが、執筆者からみるとほんのちょっとした働きしかしません。ウェブ上ならそのまま検索すればいいのだし、オフラインでは年表・手帳のたぐいで足ります。もちろん便利に思う人は一定比率いるでしょうが、思わない人も一定比率いて、その人たちはむしろ足を引っ張られる思いをするのです。そして、初心者に使いやすいわけではないことは、新幹線さんが指摘しました。私も同感です。特に、「使用上の注意」を読んでから使うことを想定しているなら、誰にとってもハードルが高いものになります。そのような観点からすると、安易に知名度を上げるのが良いこととは思えません。
続いて、「「和暦」の排除を望む方々が言うテンプレート使用に伴う弊害が、subst化によってどれほど除去できるのでしょうか」という意見を、Lincunさんが8月3日に出されました[4]
subst化によって除去できるのは、1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる、の3つです。テンプレートから便益を受けない人に不便だけ押し付ける構造は、subst展開を義務付ければたちどころに消えますが、そうしないかぎり消えません。こうした弊害が除去できるのですから、subst展開を義務付けましょう。
さて、私は日本史の記事を長短さまざまに書いている者です。その中でわずらわしさを感じ、井戸端とこのページで二度、苦情を書きました。他に同調し注意を喚起してくださる方もいました。しかし私が示した3点に向かい合った反対はないままです。このテンプレートは執筆支援を目的として作られたものではありませんか。それが執筆者の不便を無視するのではいけないでしょう。--Kinori 2010年8月5日 (木) 16:12 (UTC)
subst義務化については時期尚早、改元年や旧暦の問題を解決してから検討すべきという意見もありますので、今回は「単なる導入」にとどめ、後日再び検討するという形でどうでしょうか?--新幹線 2010年8月6日 (金) 14:28 (UTC)
私があげた「subst展開しないために生じる欠点」3つは、テンプレートの改良と無関係です。改元年や旧暦対応が解決しても、3つの欠点はそのままです。その時点で検討しなおしても、今と変わった展望が開けるとは思えません。subst展開の義務化は主として使わない人のために必要なのです。「subst展開と無関係な欠点」3つの改良は、使いたい人がいくらでもやればよいです。二つの議論は、並行して続けられるので、並行してほしいと思います。有効な反論が出ないことを念入りに確かめてから、subst展開義務化で話をまとめたいというのが、ここでの私のもくろみです。
subst義務化を決めても、それをどう実現していくか、詰めなければならないことはいろいろあるだろうと思います。しかし、大きな方針としてsubstなしには使わないということが決まれば、少なくとも、テンプレートを貼った剥がしたで編集合戦がおきる可能性がなくなります。ここまでの議論を読んでも、また記事の編集の動静をみても、subst対応しただけの現状では、編集合戦勃発の可能性はかなり高いという気がしています。それは不毛でしょう。私も、自分が新規に書いた記事、これから加筆する記事でそういう小競り合いに遭いたくはありません。なおも粘り強く議論を続け、結論を出すことには意味があると思います。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)
並行して議論を進めることには反対しませんが、改元などの問題が解決しないままsubst義務化されてしまうと、あとから間違った使い方がされた記事を探すことが難しくなるので、実際にsubst義務化するのは問題が解決してからにしたほうがいいと思います。--新幹線 2010年8月7日 (土) 23:07 (UTC)
特に改元年については「あとから間違った使い方がされた記事を探すことが難しい」かどうかは検索の仕方次第ではないかと思います。{{和暦|1912}}で検索するか1912年(大正元年)または1912年(明治45年)で検索するかの違いですよね?リンク元から絞り込むのは難しいかもしれませんが単なる検索であればあまり変わらないのではないかと思います。--Goki 2010年8月8日 (日) 01:49 (UTC)

「外部での再利用に困難」とのことですが、ウィキペディアの方針・ガイドラインの中に、独自に作成されたパーサへの配慮を求めるような文書は見たことがありません。そもそも、ウィキペディアと互換性のあるものを作成しようとする場合、作成する側がウィキペディアの実情に合わせるのが当然であって、ウィキペディアの方が独自に作成された技術的に不完全なパーサに合わせなければならないというのは全く理解できません。もしこの手の主張をするのであれば、方針・ガイドラインといったレベルで合意を取り付けることが先ではないでしょうか。

それと、このテンプレートが執筆者によっては「不便」なものであるとのことですが、全ての執筆者にとってウィキペディアの編集を容易なものとすることを目指すのであれば、ウィキペディアがテンプレートなるものを扱うことそのものを再検討していく必要があるのではないでしょうか。割と難易度の低いテンプレートと思われる和暦テンプレートにここまで喰い付かれる様子を見ていると、そのように感じざるを得ません。--Lincun 2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)

下のほうの議論でLincunさんから私のコメントにお返事をいただきましたので[5]、そのままこちらに転記させていただきました。直上の発言です。subst義務化についての議論はこちらで続けてくださるようお願いいたします。
ウィキペディアは外部での再利用を当然に前提としています。自由な再利用を禁止し、知識を独占しようとする動きに反対して、ウィキペディアは生まれました。他はいざ知らず、ウィキペディアにとっては、外部で再利用を容易にすることは、困難にすることより良いのです。もし、この改善と引き換えに何か大きな不利益をこうむる、といった状況があるなら、そのときはどちらを重視すべきか比較検討しなければならないでしょう。そうした事情があるなら、それを示してください。そうした事情を示さず、方針文書にないことだけを理由に改善を否定するのはおかしいと思います。文書にないというだけなら、subst義務化を禁止する文書もないのですし、和暦テンプレートのような○○な性格のテンプレート(○○には何を入れてもよいです)の作成を許可する文書もないのですよ。
次の論点です。Lincunさんは和暦テンプレートは難易度が低いから不便の度合いも他のものより低いはずだとお考えのようですが、執筆者の観点ではその考えは誤りです。ほとんどのテンプレートは一般の執筆者に使用を強制しません。付けたい人が付けるだけで、そうでない人は無視していいものです。和暦・jdateは違います。至るところで遭遇し、嫌だと思っても避けようがありません。和暦・jdateテンプレートはこの点で特殊なのです。subst義務化すれば、この不便が解消します。そのために他のテンプレートの扱いまで再検討する必要はありません。Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。軽く見積もりたいのでしょうが、「ソースから内容を読み取りにくい」「エディタ等に引き取っての加筆を妨げる」というのは、執筆者にとっては軽くない問題です。記事本文を書き下ろしていく人を支援するためにテンプレートがあるのではなく、テンプレートを作ったり貼ったりする人を支援するために執筆者がいるのだ、というお考えでない限り、あっさり無視できることではないと思うのですが、どうでしょうか。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)
長くなってきたので節分けさせていただきました。節名や分割位置が不適切とおもわれるかたは修正ください。
コメント Kinoriさんの挙げた欠点のうち、「1) ソースから内容を読み取りにくい」にかかわることですが、年代を記載したり修正したりする場合、このテンプレートが使われることで編集に手間が増すようにおもいます。Template‐ノート:和暦/利用実態調査で年号の検証・修正を行ってみて実感しました。
  1. 本文を見て年号をチェック (たとえば「1856年(安政3年)」と書いてあったとする)。
  2. 修正しようとして編集画面を出し、ソースの該当個所を探す (「1856」と書いてある箇所を探す)。
  3. 修正する (「1856年(安政2年)」に直す)。
いちばん困るのは、1. から 2. に移った瞬間、実際に表示される年号が見えなくなることです。修正しようとしたところで「旧暦では前年になるんだけど、ええっと、いつの前年だっけ?」と思って閲覧画面に戻るか、プレビューするかしないといけません。そして、修正は完全に打ち直すか、閲覧・プレビューしてコピペしたうえでする必要があります。
テンプレートになっていなければ、作業はソースにある「3」を「2」に修正するだけです。自分がどう修正したかはその場でわかります。
しかもこれは、「年号表記には{{和暦}}が使われていることがある」という予備知識がある利用者の場合です。そうでない利用者ならまず 2. の時点で、ソース中に「安政3年」を見つけようとして戸惑うでしょう。
このようなことは{{和暦}}でも{{jdate}}でもそうですし、テンプレートの年代表示が不正確になる場合だけでもありません。
そういうわけで、わたしはテンプレート化で編集がしやすくなっているとは感じません。編集結果が編集している瞬間に見えないということは、ウィキのそなえている「編集の簡便さ」や「速やかな修正が可能になる」という利点を損なうようにおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 04:06 (UTC)
どういう事情かKinoriさんによって私の発言が勝手にこちらに移されていますが、面倒なのでこのままここでお答えすることにします。
知識の共有云々といった理念について語っておられるようですが、そもそもウィキペディアでは例外を除いて全てのページについて誰もが閲覧ならびに編集できる状況にあり、このことを以って十分その理念は十分実現されていると考えています。もちろんウィキテキストのフォーマットがよりシンプルである方が知識の共有という理念の実現に資することが皆無ではないとは思いますが、ウィキペディアの規格外のパーサに対する配慮は、あくまで副次的なものであると考えています。
ウィキテキストの変換についての技術的な問題についてですが、まともにフォーマットの変換をするつもりであるのであれば、正規表現による置換といったレベルでは対処できるようなものではありません。ウィキテキストではタグが入れ子で用いられることは頻繁にあり、それについても対応できなければ、正しい出力は得ることができません。そしてそれについてきちんと対応できるパーサであるのであれば、Jdate程度のテンプレートが変換の際に障害となることなどありえません。
知識の共有という理念の観点から語るのであれば、一般の編集者にとって便利な手段であるテンプレートというものを、一部の不完全なパーサしか作れない者たちの技術レベルに配慮して制限を加える方が余程問題であると私は考えます。
それと、jdateテンプレートがあなたにとって不便であることはわかりました。しかしそういう感覚の問題についてはひとそれぞれであると思います。jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたいと思います。
あと、「Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さ自体は認めておられるのですよね。」というのはあなたの勘違いかと思います。--Lincun 2010年8月19日 (木) 13:52 (UTC)
Lincunさんの意見に対して逐一お答えします。「どういう事情かKinoriさんによって私の発言が勝手にこちらに移されています」とのことですが、移動の理由については8月4日[6]、7日[7]に書いてあります。
「全てのページについて誰もが閲覧ならびに編集できる状況」で十分としていまいすが、そんなことはありません。率直なところ、こんな基本的なところで反対されるとは思いもよりませんでした。subst化の提案は、ウィキペディアをより良いものにしようという意図で出されています。ところが今のLincunさんの主張では、ウィキペディアの改善なんてしなくていい、という理屈にしかなりません。反対するなら、subst強制では改善にならないという理由を示してください。
subst展開で何か悪いことがあるのですか、とは、Gokiさんが繰り返して指摘し、質問していることでもありました。それに対して氷鷺さんは、初心者が気づかなくなるという意見を書きました(そして私はそれに対する反論を書きました)。ところがLincunさんはいつまでたっても「悪いこと」を示さず、「しなくてもいい」という理由しか出しません。私からも質問させてください。subst展開を「してはならない」、「テンプレートのまま記事においておかなければならない」と思う理由はなんですか。
また、「ウィキペディアの規格外のパーサ」について散々にけなしていますが、私があげた例はメディアウィキですよ。メディアウィキの機能を借りてテンプレートを作っている人が、なぜこんな態度をとれるのか、不思議です。大規模プログラムの例に漏れず、メディアウィキは過去からずっと、何かしらバグを抱えた状態で運用されています。それでも、メディアウィキは素晴らしく大きな仕事をやってのけるプログラムです。和暦やjdateテンプレートはそれと比べてどうでしょう。何が何に、誰が誰に合わせるべきかに、本末転倒があります。
Lincunさんは、和暦テンプレートの不便さについて私からも、他の方からも様々に指摘されたのに、ずっと「実は不便ではない」という主張をしないままでした。そこで私は、不便さについては認めているのだと思っていました。実は無視していただけだったのですね。その点は自分の誤解でした。確かに、Lincunさんが言うように、便利・不便はある程度まで個人の感覚の問題です。が、そもそもこのテンプレートの存在意義はそうした意味での便利にあったのではありませんか。Lincunさんは本文で文章を書くことがほとんどない方ですから、テンプレートを張り付けまくった時の感想しか持ち合わせていないはずです。ならば執筆者の感想を軽視すべきではないでしょう。
Lincunさんは、「jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたい」とおっしゃいましたので、示します。このノートでのHatukanezumiさん、新幹線さん。Template‐ノート:JdateでのTriglavさん。Wikipedia:井戸端/subj/同じテンプレートを複数回使ったときに、同じ内部リンクを2回目以降貼らないようにする方法はありますか?でのcproさん、ラッキースター・キッドさん、IPユーザー(219.163.200.74)さん。利用者‐会話:Law somaでのLaw somaさん。様々な理由で多くの人が不便・不都合を指摘しています。すべてLincunさんが参加した議論の中で出された意見です。
よって、多くの人が和暦テンプレートを不便だと考えているという前提で議論を続けさせていただきます。このテンプレートを不便だと思う人が多くいる一方で、便利だと思う人も多くいるでしょう。両方の執筆者が互いに邪魔せずに文章を書く方法は、substでのみ使い、本文中から消し去ることです。ですから、subst展開を義務付けましょう。--Kinori 2010年8月31日 (火) 14:16 (UTC)
まず、「Lincunさんの主張では、ウィキペディアの改善なんてしなくていい、という理屈にしかなりません」というKinoriさんの発言に驚かされました。Kinoriさんの頭の中では世界は善と悪の二つから成り立つものなのでしょうか。自分が正義であって、それに相対するものは悪であるというような発想はあまりにも単純で幼稚過ぎないとは思いませんか。自分は正義だけども、相手にも相手の正義がある。にもかかわらず対立するのは、場合によってはどちらかが正義にたどり着くプロセスの間に大きなミスを犯しているかも知れないし、場合によっては人間の能力では始めから一つの答えを出せるような簡単な問題ではないかも知れないわけです。そのような中で、うまいこと一つの決定を導き出すのが議論だと思うのですか、はなから相手が悪意があるかのごとく決め付けるというのは危険なことであると思います。また、「jdateテンプレートが不便なものであるという前提」が正当化される根拠として、これらのテンプレートに批判的な発言をしたとみられる人物の名前をリストアップされていますが、これもあまりに短絡的ではないでしょうか。ならば逆にjdateテンプレートを容認している人物をここでリストアップすれば、私が「jdateテンプレートがよいものであるという前提」で話を推し進めてもいいということになります。あるいは、Hatukanezumiというユーザが非常にたくさんのユーザから顰蹙を買っていることを示すことで、「Hatukanezumiの発言は参考するに値しない」という前提で議論をすることが許されることになります。また、Kinoriさんは「Lincunさんは本文で文章を書くことがほとんどない方」であり「テンプレートを張り付けまくった」と発言されていますが、自分の主張について説得力を高めたいという気持ちが嵩じて口を衝いてこのような発言をしてしまったのでしょうか。確かに私は文章を書き加えるといった編集がさほど多くはないということを否定するつもりはありませんが、執筆者の感想を軽視しているとの指摘はKinoriさんの願望に過ぎないことを一応言っておきます。
さて、私がjdateテンプレートをどう思っているかという話ですが、何事にも共通することですが、メリットもあればデメリットもあると思っています。一点の曇りもない崇高なものであるなどとは思っていません。ただ、このテンプレートに関してはメリットがデメリットを十分上回っていると考えているからこのテンプレートは使い続けるべき旨を発信し続けています。私が考えているメリットとデメリットが何なのか、今までの私の発言で十分把握できることであるとは思いますが、一応念のために申しておくと、メリットについては、和暦併記が容易にできること、西暦と和暦が一致しないというエラーを回避できること、リンクのマークアップが伴われやすい年月日の部分が簡略化されることでウィキテキストの見通しが向上することです。デメリットは、入力と出力が異なるので人によっては戸惑うこともあること、また和暦というものの基本的な知識を持ちあわせないユーザによって誤用される可能性があることです。私は以上のことからこれらテンプレートについて展開せずに用いられることに価値があると考えているので、subst展開に関しては、無理に展開させようという試みがよいものであるとは思えません。subst展開についてはむしろ複雑なテンプレートに手を入れることでエラーが発生することを懸念しました。なお、これは可能性の話なので、結果的にエラーが起きなかったとしても、それを以って私の主張が間違いであったという結論を出すことは控えていただきたいとは思っています。またsubst対応化に関しては、それ以外にも、どうせ展開されてしまうものであればsubst用のテンプレートを別名のテンプレートで用意したところで問題はなかったはずです。また、subst展開を主導したユーザが、もともとテンプレートの出力のされ方に問題があるとしていたことに重大な問題があります。出力のされ方に問題があるはずなのに、subst展開をしてしまえば、テンプレートという目印を失うことで問題となる箇所を見つけにくくすることになります。Hatukanezumi氏は後になってから、出力の「エラー」の問題について解決策を提示してきましたが、順序が全く逆であるし、むしろsubst対応化を急いだことに別の思惑でもあるのではないかと勘繰られても仕方がない状況にあると思います。
最後にパーサについてのお話ですが、Kinoriさんの発言からは何を主張しているのか全く理解できませんでした。「私があげた例はメディアウィキですよ」との発言ですが、メディアウィキが公表するパーサの中にテンプレートを展開できないものがあるという解釈でよろしいでしょうか。であればそのことについて詳しい話をお聞かせください。また、「メディアウィキの機能を借りてテンプレートを作っている人が、なぜこんな態度をとれるのか」も全く意味が理解できませんでした。改めて解説をお願いします。--Lincun 2010年9月1日 (水) 13:37 (UTC)
メディアウィキが対応していないという話は、このページでの私の最初の書き込みでしました。「特別:データ書き出し機能を使って自分のパソコン上のメディアウィキに取り込むと、肝心の年の部分が表示されなくなります。ちなみに「テンプレートも含める」というオプションは今のところ使い物になりません」です。まだ理解できないのでしたら、そのむねお知らせください。
また、私が多くの人の名を挙げたのは、Lincunさん自身が「jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたい」と要求したからです。要求に応じた答えを非難するとはどういうことでしょう。自分の前の発言を忘れたのですか。それとも何か別の方法で根拠を示してほしかったのでしょうか。
そして私は、「多くの人が和暦テンプレートを不便だと考えているという前提」と書きました。Lincunさんがいう「jdateテンプレートが不便なものであるという前提」とは異なります。私は「このテンプレートを不便だと思う人が多くいる一方で、便利だと思う人も多くいるでしょう」とまとめました。便利だと思う人がいることについて、私はLincunさんに「根拠」を求めるようなことはしません。私には、わかりきったことで他人に時間をかけさせる気はないのです。ですから、リストアップすればどうなるなどとと考えなくてよいです。このテンプレートを不便だと思う人が多くいる一方で、便利だと思う人も多くいるという前提で考えてください。加えて、便利だと思う人が「subst:」と余計にタイプするだけで、不便と思う人と棲み分けできるという一個の事実があります。なら、それに越したことはないでしょう。
Lincunさんは、テンプレートのメリットとして、「和暦併記が容易にできること、西暦と和暦が一致しないというエラーを回避できること、リンクのマークアップが伴われやすい年月日の部分が簡略化されることでウィキテキストの見通しが向上すること」といった理由を挙げました。しかし前の二つはテンプレートの展開・非展開と関係ありません。まさに、便利と思う人が便利と思う理由ですね。そこは誰も争っていないのです。三番目の「ウィキテキストの見通しが向上する」という意見だけが、テンプレートの展開と関わります。が、これは今までにどの執筆者からも出されたことがない意見ではありませんか。テンプレート貼りに専念している人にだけあてはまる感想ではないかと思います。これについては根拠を求めたいです。jdateなどを使うとウィキテキストが読みやすくなると主張なさるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示してください。
あと、個人批判を元にした反対をいくつか出されましたが、Lincunさんご自身がおっしゃるように、そうした反対は理由になりませんね。--Kinori 2010年9月11日 (土) 11:14 (UTC)
「特別:データ書き出し」についてはKinoriさんは根本的に勘違いしています。「テンプレートも含める」にチェックをつけた場合とつけない場合で出力結果にどのような差が出るのかご自身の目で確かめた上で人に物申すことをお奨めします。
  • > また、私が多くの人の名を挙げたのは、Lincunさん自身が「jdateテンプレートが不便なものであるという前提でお話をされるのであれば、多くの人があなたと同じ見解を持っているという根拠を示した上でお願いしたい」と要求したからです。
ウィキペディアの加筆作業は本当にたくさんの人の手でなされているわけです。そんな中で、10人にも満たない人の名前を挙げて「多くの人」と言われても私も困りますよ。もう少し常識的な会話はできないものでしょうか。
#旧暦年代について」のあなたと氷鷺さんの対話を読んで驚いたのですが、「私は今まで、和暦テンプレートは西暦→和暦で、jdateは和暦→西暦の面倒をみてくれるものだと思いこんでいた」という発言は本当でしょうか。これはあなたがjdateが実際にどのように使用されているのかを見たことがないということですよね。そういう方がなぜここまでここの議論に食いついてきたのか不思議でなりません。--Lincun 2010年9月15日 (水) 15:04 (UTC)
まず、メディアウィキとテンプレートについて。テンプレート付きで読み込むと表示が壊れます。
そして、気に入らない意見は10人以上集まらなければ多くない、だからそうした意見を前提にした議論は拒否するという論法は、明らかにおかしいです。和暦関連にかぎらず、ウィキペディアでこの種の論法が正当と認められた場面がありましたら、どうぞ教えてください。他のユーザーにも尋ねたいです。こういう議論の仕方をまっとうなものと認める方はどこかにいらっしゃいますか。
またそもそもLincunさんがこのページの中で主張した様々な意見に、10人以上の多くを代表したものがあるのですか。他人には10人以上を要求するが、自分は別、と言うつもりなら、それはどうかと。とりあえず、前に私がした質問にお返事をお願いします。テンプレートが埋め込まれているとウィキテキストの見通しがよくなるという意見を、多くの人が持っているという根拠を示してください。前記基準を撤回しないのでしたらもちろん10人以上。撤回なさるならそこまででなくてもいいです。10人以下は無視という論法を認めないのであれば、やはり、便利だと思う人も不便だと思う人もいるという前提で考えるべきだと思います。
それはそうと、jdateについては、まったく恥ずかしい限りです。加筆する記事の中でしばしば遭遇したので、わかっていないはずはなかったのですが、度忘れし、勘違いしておりました。しかしながらウィキペディアにとってのsubst強制の是非は、私のうかつさと一応別個の問題です。このような私が議論に参加すべきでないとお考えでしたら、どうぞ別に私に対するコメント依頼を立て、そこで意見を募ってください。個人への非難をもとにして対立意見を否定するのはよくないということは、Lincunさんが前にご自分でおっしゃった通りですね。--Kinori 2010年9月22日 (水) 06:00 (UTC)
まず、「編集内容の要約」欄において、「二重基準はやめてください」とのことですが、どういった趣旨でしょうか。そもそも「編集内容の要約」欄は、文字通り編集内容の要約を記入するところであって、独り言を呟く場所ではありません。私に対して仰りたいことがあるのであれば本文でお願いしたいと思います。
> まず、メディアウィキとテンプレートについて。テンプレート付きで読み込むと表示が壊れます。
エラーが起こるというのなら具体的な事例を見せてください。
> そして、気に入らない意見は10人以上集まらなければ多くない、だからそうした意見を前提にした議論は拒否するという論法は、明らかにおかしいです。
では、私がウィキペディア上で、Jdateを是とする発言を10人分にも満たない数を集めたら、Jdateは「多くの人」に支持されていると断じてもいいということでしょうか?当たり前のことをウィキペディアで執筆活動されているような自分の見識に自信のある方に申し上げるのも変な話ですが、「多くの人」がどう思っているかを知るというのはそんなに易しいことではありません。広く告知してアンケートをとるなりして、そこそこでも統計的に信頼できるデータを提示してくれるのであればまだ話はわかるんですが。
> それはそうと、jdateについては、まったく恥ずかしい限りです。加筆する記事の中でしばしば遭遇したので、わかっていないはずはなかったのですが、度忘れし、勘違いしておりました。
Jdateが話題となっているのに、Jdateの用途を「度忘れ」し、「勘違い」するというのはに私にはちょっと信じがたいことです。「わかっていないはずはなかった」という思い込みで今までやってきたということは、これ以外にもあなたが思い込みに基づいて物事を主張しているということは十分ありえるということですね。--Lincun 2010年9月22日 (水) 13:47 (UTC)
jdateのsubst対応、また強制について、本当に多くの人から支持されているか、支持されていないかは分かりません。しかし議論の中で支持した人が複数いるのに対して、不支持なのはLincunさん一人しかいないという事実があります。ですからjdateのsubst対応に賛成する意見は無視できないでしょう(もちろん反対意見を無視できるという意味ではありませんが、その意見に対して反論があり、そのまま議論が停止した状態など、概ね合意形成されたと判断できる状況もあるでしょう)。
なお、「多くの人に支持されている」ことをある程度実証できるなら納得するというのであれば、Wikipedia:投票という手段もあります。--新幹線 2010年9月23日 (木) 08:19 (UTC)

和暦・jdateを不便と感じる人が多いかについて

  • LincunがKinoriに対し、多くの人が同じ見解を持っているという根拠を示すよう求めた
  • Kinoriが不便を指摘した人をページへのリンク付きで示した
  • Lincunが10人以上でなければだめだと主張した

テンプレートが埋め込まれているとウィキテキストの見通しが向上するかについて

  • KinoriがLincunに対し、多くの人が同じ見解を持っているという根拠を示すよう求めた
  • Lincunが無視した
  • Kinoriが再度求めた
  • Lincunが回答を拒否した

自分が高い要求をふっかけておきながら、同じことを自分が求められると拒否する。きれいな二重基準ではないですか。こういう論法はやめてください。今度はエラーの証拠を見せろと言うわけですが、これでは何を言えば納得してもらえるのか自分にはわかりません。正直なところ、このあたりのLincunさんの論法につきあっていると、どんな議論も停止してしまうと思います。最終的なsubst義務化の是非については、投票で決めるしかないかなと思いますが、議論の中のいちいちの意見について、一方だけがアンケートを要求され、もう一方は何もしないでいいというのはどう考えてもおかしいです。--Kinori 2010年9月28日 (火) 01:23 (UTC)

> Lincunが10人以上でなければだめだと主張した
私の「ウィキペディアの加筆作業は本当にたくさんの人の手でなされているわけです。そんな中で、10人にも満たない人の名前を挙げて「多くの人」と言われても私も困りますよ。」という発言がどうすればそのような解釈になるのでしょうかね。「「多くの人」がどう思っているかを知るというのはそんなに易しいことではありません。広く告知してアンケートをとるなりして、そこそこでも統計的に信頼できるデータを提示してくれるのであればまだ話はわかるんですが。」という私の発言は理解できませんでしたか?
> 今度はエラーの証拠を見せろと言うわけですが、これでは何を言えば納得してもらえるのか自分にはわかりません。
「今度は」とかいう以前に、人に自分の主張を納得させたいと思うのであれば、その証拠を見せるというのは当たり前のことでしょう。「特別:データ書き出し」について言えば、あなたが言うようにエラーが起こるというのが事実であれば、書き出すべきページの名称ならびに、チェックボックスはどれとどれをチェックした上で「書き出し」ボタンを押すと、出力されるテキストのどの部分に問題が発生するかという具体的な事例を一件挙げれば済む話です。そもそも、「特別:データ書き出し」にエラーがあるというのが事実であれば、そこのページに警告を出すなり使用を中止させるなりすることの方が先ではないですか?--Lincun 2010年9月30日 (木) 13:01 (UTC)
質問 特別:データ書き出しの処理には別段エラーは起きていないとおもいますよ。データ書き出ししたものはテンプレートを含めるオプションを有効にしても「使い物になりません」というのがKinoriさんの主張です。Lincunさんは「使い物になる」というのですね。
どのようにして使えばそうなるのか、説明してくださいませんか。--Hatukanezumi 2010年9月30日 (木) 13:14 (UTC)
コメント (回答) お答えがないようなので、わたしがかわりに答えておきます。
データ書き出しにエラーなど生じていません。しかし、書き出したものが適切に表示されることはありません
Lincunさんは、ウィキペディア上での表示だけを見て論じています。しかし、Kinoriさんは記事を編集したり広く利用したりする立場から論じています。
最初のほうで指摘があるように、記事のソースを手もとに保存して編集を重ねるひともいます。ところどころをつまみ食い的に直すだけではなく、本格的に文章を書いたり推敲したりしようとするのなら、そうするものでしょう (わたしもときどきやります)。自分のつかいなれたテキストエディタを使って編集するひとがおおぜいいるのです。みんながMediaWikiの編集窓で編集しているわけではないのです。こうしたときにテンプレートの表示は「暗号」にしか見えません。
百歩譲って、編集にはかならずMediaWikiを使うべきだということにしてみましょうか。つまり、自分のコンピュータで編集するときはMediaWikiをインストールし、ウィキペディアで書き出したものをそれに読み込んで編集する、ということにしてみましょうか。しかし実は、MediaWikiをインストールしただけでは正しく表示されません。両テンプレートに使われている条件文を扱うためには、MediaWikiのほかにも拡張機能をインストールして設定しなければ「表示が崩れます」。スタイルシートやサイトスクリプトも、ウィキペディアで使っているものに合わせなければなりません。ウィキペディアやコモンズにある画像も扱えるようにする必要があります。……記事を編集するためだけにこれだけのことをするのは、普通は不可能です。
そもそも、ウィキペディアのコンテンツはライセンスに従うかぎり再配布・再利用が可能なものです。記事を利用するときに、テンプレートの機能がなければ記事になんと書いてあるか決められないなんて、困るのです。……テンプレートだけあればいいのではないですよね、それが同じように動作しなければならないのですから。MediaWikiでしか利用できないコンテンツでは、ライセンスの趣旨に反します。
いずれの例にも言えることは、「ソース (ウィキテキスト) で見るだけでなにが表示されるか把握できるようにすべきだ」ということです。和暦を表示する両テンプレートでは、自明でない計算結果を表示しているため、ソースを見ただけでは表示の予測がつきません。もちろん人間はコンピュータではないですから、記事のソースといっしょにテンプレートのソースを書き出してみたところで「使い物になりません」。MediaWikiが誤動作するかどうかなんてなんの関係もない。
以上で、KinoriさんがMediaWikiのエラーについて語っているというLincunさんの誤解は払拭されるものと考えます。--Hatukanezumi 2010年10月6日 (水) 00:03 (UTC) typo--Hatukanezumi 2010年10月6日 (水) 01:54 (UTC)
(補足)ここで、また「スピード違反の論理」を出されると時間の無駄なので先回りしておきます。{{Infobox}}、{{Navbox}}などのようなテンプレートはそのままで{{Jdate}}、{{和暦}}はなぜだめなんだという意見があるとすれば次元が違う話です。Kinori氏の説明や私の疑念をまったく理解していません。記事に対して補足的に使われるテンプレートと記事本文に埋め込まれるテンプレートを同じ土俵に乗せて議論することが間違っているからです。{{要出典範囲}}、{{Smaller}}と同じ土俵で議論するならまだ話はわかりますが先の2つのようなものは見ればすぐに仕様がわかりますよね。生没年月日、年齢関連のテンプレートも本文中に含めることを想定していないテンプレート(のように私は見ています)なので同じ土俵に乗せたくありません。--Goki 2010年10月6日 (水) 00:58 (UTC)

Lincunさん、ここまで指摘されながら、まだ私の質問を無視したまま、自分の要求をさらに吊り上げるのですか。もともと私は長らく和暦・jdateテンプレートをわずらわしく思っており、この機会にと問題点を指摘しました。もっと前から指摘した方もおります。上記Lincunさんとのやりとりまで、それらに具体的な反論はなかったので、一応指摘は受け入れられたものと思っていました。このような長い議論を経ながら、不便だと思う人の存在を否定しようとする意見が出るとは、思いもよらなかったのです。ところがLincunさんは「感覚の問題についてはひとそれぞれ」という言葉で片付けようとし、不便だと思う人が多いことに根拠を求めました。違和感を持ちつつ応じた結果がこれです。

テンプレートが埋め込まれているとウィキテキストの見通しが向上する、というのは、Lincunさんのほかに表明した人がいない意見ですよね。「[[1879年]]([[明治]]12年)」はリンク[[ ]]があるので見通しが悪く、「{{jdate|1879}}」のほうが見通しがよい、と。私は他に同じような意見を持っている人がいるのかと質しました。それには、前に要求されたことのお返しという面が確かにあります。しかしそれだけでなく、あるべき「明治12年」が欠落し、それどころか「年」がなくて「和暦」(あるいはjdate)とだけ書かれている文章のほうが見通しがよいという意見に驚いたからです。修正・加筆目的で読むときには生まれない、テンプレート貼りそのものを目的にした編集から生まれる感想ではないか、と思ったのです。ところがこちらの質問には全然答えてくださらない。

前にLincunさんは「執筆者の感想を軽視しているとの指摘はKinoriさんの願望に過ぎない」とおっしゃいましたが、10人に満たないという理由で他人の意見をないがしろにするような態度を軽視と言うのです。同じことをLincunさんがされたらどう思いますか、と尋ねたいのですが、尋ねる前から自分だけは別という態度をとっておられます。ここでのLincunさんの議論姿勢について、Wikipedia:コメント依頼/Lincun 20101004を出します。--Kinori 2010年10月4日 (月) 08:25 (UTC)

コメント私はコメント依頼の方ではコメントしないことをあらかじめ書いておきます(自分のときは拒否しておきながら他人の場合は…と言われたくないので)。--Goki 2010年10月4日 (月) 11:41 (UTC)
コメントコメント依頼のほうはいきなり8人が多いか少ないかという話になっているようですがそんなことはどうでもよいことです。そんな議論をするのなら退場してもらいたい。--Goki 2010年10月4日 (月) 15:54 (UTC)

コメント 問題解決の優先順位はひとによってそれぞれだとおもいますが、わたしは、subst義務化についての議論はほかの課題と別個にすすめていただいてかまわないと考えています。また、議論の優先順位としてはほかより高めだと考えています。
わたし自身の都合としては、subst展開はテンプレートの使用によって起きた問題を追うのが難しくなるので、なるべく事前に対策はしていこうとおもっています。つまり、▼誤記対応をしたこと、▼jdateで対応範囲外の年代 (1872年以前) の検証を急いだこと、▼注意書きテンプレートを入れる提案をしていること、がそれです。しかし、これらが実現しないうちにsubst展開されても、大きな不都合はありません。テンプレートを使用している記事の情報は採取ずみであるため、それを確認すればいいからです。
まあそういうわけで、下で{{jdate}}のsubst対応がスタックしている件は、どんどんすすめてもらったらいいとおもってます。そのほうが、この節での議論が具体的なものになるだろうし。--Hatukanezumi 2010年9月1日 (水) 17:07 (UTC)

subst展開義務化について[編集]

上記の説が長くなったことと、Wikipedia:コメント依頼/Lincun 20101004についても最後の書き込みから約1週間進展がないので、節を分けて次の段階に進めたいと思います。(最近特に反対されている方々の意見が停滞気味なので、これを書けば、反対者が何らかの反論をするだろうという意図もあります。)

{{和暦}}、{{Jdate}}(Jdate-yなどの派生テンプレートも含みます)の各テンプレートについてはテンプレートのまま放置した場合

  1. 明治5年以前の日付の表記があいまいになる(特に明治5年以前の使用を想定している{{和暦}})
    理由を改めて説明すると、{{和暦}}は月日を含んだ展開に対応していないため
    たとえば、記事内で{{和暦|1868}}1月1日と編集すると1868年(明治元年)1月1日と出力されますが、これが「明治元年1月1日」を指しているのか、「1868年1月1日」を指しているのかあいまいな状態になってしまいます。
  2. 記事とは独立した場所で出力されるテンプレートとは違い、大半が記事本文で使用されるため、テンプレートのまま残されると他の利用者の編集を妨げている実情がある
    (注)「多い」「少ない」は抽象的な話になるので議論しないでください。
  3. リンクの形式が固定される。
    1.の問題とも一部重複しますが、{{和暦}}は西暦年のみ常にリンク、{{Jdate}}は西暦年、元号、月日に常にリンク、{{Jdate-y}}は月日が指定された場合に月日にリンクという形式になりますが、1種類のみに使用した場合、特に{{Jdate}}の場合に元号の重複リンクが多数発生します。一部の記事に{{和暦}}、{{Jdate}}、{{Jdate-y}}を組み合わせて回避している記事がありますがかえって記事の編集を煩雑にし、可読性を損ねています。(先に書いておきますがこれを「ただの主観」と片付けないでいただきたい。主観「ということにしたい」方はもう議論しなくていいです。)

という問題があるため、subst展開すれば、

  • 上記の問題が解消される
  • テンプレートを使いたい人もテンプレートの使用を妨げない

と、丸く収まると思うのです。いかがでしょうか。--Goki 2010年10月19日 (火) 08:41 (UTC)

コメント「1968年1月1日」ではなく、「1868年1月1日」では?また、ここに節を立てるより最下部に立てたほうが新しい発言であることが分かりやすいと思いますが…。--新幹線 2010年10月19日 (火) 08:49 (UTC)
修正しました。--Goki 2010年10月20日 (水) 00:30 (UTC)
コメント 最下部に新節を立てることに賛成です。節題としては#subst展開についてが適切だったとおもいますが、subst義務化の議論が最近まで続いていたのは#Template:和暦: subst対応の正式化でした。さらに中間に新節を立てると議論のながれを追いにくくなります。
あと、率直に言って、subst義務化については議論が尽きているとおもいます。これまでの議論の要約だけでもいいかもしれません。--Hatukanezumi 2010年10月19日 (火) 09:52 (UTC)
反対 subst展開は「テンプレートを使用している」ことにはなりません。テンプレートが勝手に展開されてしまうのでは、「使用を妨げている」ことと同義です。表示される「情報」に誤りがない限り、テンプレートのまま残すべきです。
テンプレートのまま残されると他の利用者の編集を妨げる』のだとしても、それは無視すべきです。日本語が読めないひとへの配慮が要らない・すべきでないのと同様、この程度の「簡単な」「表示が見やすくなる」テンプレートによって、編集作業がまったく不可能になるほどのひとへの配慮は要りませんし、すべきでありません。むしろ、記事冒頭のように二重括弧になる(そこで元号を使うなとか、二重括弧はけしからんとかいう主張もあるようですが)ような箇所では、括弧やブラケットこそ邪魔になるでしょう。
それと、「重複リンク」と呼ばれるものは、それを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかに関わらず、現時点では「どこかの誰かの個人的な意見」に過ぎませんので、考慮すべきでありません。
表示される「情報」に誤りがあるもののみ展開して修正すればよろしい。それすらしない、できない方のようですが。--氷鷺 2010年10月19日 (火) 10:21 (UTC)
事実に基づかない誹謗に取り消し線を引きました。--Hatukanezumi 2010年10月19日 (火) 23:49 (UTC)
Hatukanezumiによる取消線[8]を除去。事実かどうか、誹謗かどうか判断できないなら手を出さない方が身のためだと思います。--氷鷺 2010年10月20日 (水) 03:28 (UTC)
誹謗または中傷に取り消し線を引く。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 12:06 (UTC)
Hatukanezumiによる取消線を除去。事実かどうか、誹謗かどうか判断できないなら手を出さない方が身のためだと思います。--氷鷺 2010年10月21日 (木) 03:39 (UTC)

ここにあった言い争いをコメントアウト。続けたければ議論に割り込まず、[[/サブページ]]など別の場所を作成して行ってください。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 12:06 (UTC)(非可視化に変更しました。--Goki 2010年10月21日 (木) 02:07 (UTC)

コメントアウトする必要も隠す必要もありません。何か都合が悪いのですか? --氷鷺 2010年10月21日 (木) 03:39 (UTC)
コメント最後にいやみを入れるのはやめろといってるだろうが。いい加減にしろ。言ってることがわからないのか。--Goki 2010年10月20日 (水) 00:30 (UTC)
コメント事実に基づかない悪口の類は誹謗よりも中傷の方が適切です。氷鷺氏は自分が他人よりも頭がいいことにしておかないと気が済まない方のようです。--Goki 2010年10月20日 (水) 00:33 (UTC)
コメント 記事の内容を読まずに機械的に処理[9]し、間違いを訂正[10]されても自らの間違いに気がつかず、嫌がらせ呼ばわりのうえ「誤った」内容に差し戻し[11]、説明してくれないと分からないと言い訳する[12]人に、どうこう言う権利があるのですか? --氷鷺 2010年10月20日 (水) 03:28 (UTC)
参考URL追加。--氷鷺 2010年10月21日 (木) 03:39 (UTC)

報告 ここにあった複数の発言を除去。残しておく必要がないため。
残しておいて「不都合」があるのか、とのことですが、あります。議論ができません。
Gokiさんがなにか発言すると氷鷺さんが中傷やあてこすりを含んだ発言を返し、それに対してGokiさんが怒り、以下言い合いになって議論が拡散する。これが何度も繰り返されてきたことです。論敵を貶めないと優位に立てないような輩は無視すべきですし、挑発に乗って議論を忘れて怒りをぶちまけるような輩も無視すべきです。
どうしても続けたければ、専用のサブページなり、自分たちの会話ページなりでやってください。今後当ノートで、Gokiさん、氷鷺さんの間に同様のことが起こった場合には、おふたりに対する投稿ブロック依頼 (議論の妨害) を提出する考えです。--Hatukanezumi 2010年10月21日 (木) 04:40 (UTC)
「怒りをぶちまける」行為についてはそう取られるなら謝ります。ただし、「議論を忘れて」これについては看過できないので、今すぐ取り消していただきたい。「議論を忘れ」てなんかいませんよ。何度注意しても当てこすりを繰り返すので強い口調で書いているだけです。--Goki 2010年10月21日 (木) 06:23 (UTC)
Hatukanezumi氏によって除去[13]されたコメントを復帰しました。残しておく必要がないという判断はおかしいですね。提案者がこのテンプレートの機能も問題点も正しく把握できていない(する気もない)のに、それを指摘することが議論と関係ないのですか?
根拠もなく勝手に他人の発言を改竄したり、堂々とガイドラインをねじまげたり(ノート:李垠)、投稿ブロックをちらつかせて黙らせようとする輩も、議論の妨害になるので排除されるべきでしょう。そもそも会話ページでやろうにも、Goki氏は会話ページでの対話を拒否しています(それどころか、自分に都合の悪いものは隠している)。--氷鷺 2010年10月21日 (木) 11:44 (UTC)
氷鷺さんもGokiさんもやりたい放題ですね。ブロック依頼はまだ早いと思いますが、そろそろお二方に対してコメント依頼を出そうかと思います。--新幹線 2010年10月21日 (木) 12:01 (UTC)
なんでその返事が私へのコメント依頼になるのか意味不明ですし、Hatsukanezumi氏に言われるならまだしも新幹線氏に言われる筋合いは何もありません。コメントを除去しているのはHatsukanezumi氏で、このページで罵倒三昧やりたい放題やってるのは氷鷺氏ですよ。会話ページについても氷鷺氏が罵詈雑言を吐きまくって「極めて不快なので」非可視化しているのです。以降この件については氷鷺氏以外は私の会話ページで行ってください。氷鷺氏はコメント依頼なりなんなり出してお好きに罵詈雑言を吐きまくってください。--Goki 2010年10月21日 (木) 17:13 (UTC)
やりたい放題というなら、それはHatukanezumi氏のことでしょう。普通は、相手がどんな出鱈目を言おうとコメントアウトしたり消したり、何度も執拗に取り消し線を入れたりはしません。それに、Goki氏同様、編集差分すら確認しない、何が書かれていて何が修正されたのかも理解できずに差し戻す[14]ような編集をするような方には、このような議論への参加は控えていただきたいと思います。--氷鷺 2010年10月21日 (木) 22:11 (UTC)
私はまさしく上記の「Goki氏同様~」の件での氷鷺氏の「他人に失敗を気付かせる配慮もせずに一方的に荒らし呼ばわりする」対応が不適切だとしてコメント依頼を検討していたんですが、Goki氏も一緒にコメント依頼をすると予告したのは(あくまで「予告」です)、Goki氏が氷鷺氏との対立を無駄に悪化させるような行動をとり、引き続き当ノートでの言い争いが続く可能性が高いと判断したためであり、Hatukanezumi氏がブロック依頼を提出する考えとのことであり、急を要する事態であるとも判断したためでもあります。(多分ブロック依頼の予告がなければこのような発言はしなかったでしょう)
なお、Hatukanezumi氏の執拗なコメント取り消しの件については、自分が正しいという前提で差し戻しを続ける氷鷺氏への対応としてはしょうがなかったと考えています。本当に不適切な取り消しなら第三者が差し戻すでしょうし、氷鷺氏の執拗な差し戻しの方が不適切です。--新幹線 2010年10月22日 (金) 09:59 (UTC)

コメント subst展開義務化で合意ができているとは言い難いように思います。双方譲れないのであれば、ここは投票にするしかないんじゃないでしょうか。ついでに言えば、日本史分野で投稿している人がほとんど誰も議論に参加していないのも問題です。もうちょっと人を集めるべきでは?この雰囲気で今から口を出せる人は少ないでしょうが、適切な選択肢を設けておけば、投票ぐらいならある程度の人数の参加が見込めるのではありませんかね。--Freetrashbox 2010年10月19日 (火) 10:37 (UTC)
コメント 投票の選択肢はいったいどのようなものでしょうか。また、投票の結果によってとるべきアクションの選択肢はどんなものでしょうか。--Hatukanezumi 2010年10月19日 (火) 14:27 (UTC)
コメント それを考えるのも議論の内と思いますが、(1)「subst展開を義務化する(言い換えれば、subst展開しない使い方を禁止する)」、(2)「subst展開を推奨する」、(3)「現状維持、使用者に任せる」ぐらいですかね。この選択肢はあくまでも一案ですが。アクションというのは、テンプレートをどのように変更するか、という意味でしょうか?ちょっと質問の意味が分かりません。--Freetrashbox 2010年10月19日 (火) 14:41 (UTC)
投票をへるにせよそうでないにせよ、議論をまとめたら、議論に参加したひとひとりひとりにその後なんらかの行動の責任が発生するわけですが、どんなことがあるでしょうか (もちろんテンプレートを変更するようなことも含みます)。現実の記事やウィキペディアの運営などにに対して役に立たない単なる人気投票なら、やらないほうがましですので。
なんにせよ、いったんこれまでの議論の要約をしてみるべきかとおもいます。当節でのわたしの発言はおわり。--Hatukanezumi 2010年10月19日 (火) 23:19 (UTC)
「役に立たない単なる人気投票」とはずいぶんな返事ですね。--Freetrashbox 2010年10月20日 (水) 11:56 (UTC)
うん。だから、まず議論の要約をしてみては、と言ってるんです。この節ででている意見は、いままでもでてきたものですし、それぞれに議論はつきていることがらです。議論全体の見取り図を示さないで、目先の「subst展開に是か否か」をたずねたところで、意味のある結果にはなりません。要約、やってみませんか>>Freetrashboxさん。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 12:06 (UTC)
要約が必要なのであれば、subst展開が必要だと思う人が、その理由を改めて挙げるだけでいいのではありませんか?その指摘が妥当なら、subst展開義務化に賛成する人が多数派となるでしょう。それでもなお反対する人が多ければ、その指摘は説得力を持たなかったということですから、subst展開義務化はやめた方がいいでしょう。--Freetrashbox 2010年10月20日 (水) 12:28 (UTC)
subst展開義務化には、さまざまな理由があり、それぞれが論点となってきました。ウィキペディアでの投票というのは、多数決でなんらかの結論を全体に強制しようとするものではなく、合意の手助けをするためのものです (WP:GVOTEおよびその冒頭文からリンクされている文書も参照してください)。いろいろの論点を捨象して二者択一の投票をしても合意を得ることはできませんし、そのようなことをするべきではありません。
投票を提案されるのでしたら、まず、これまでの議論をふりかえってまとめる作業をお願いします。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 12:38 (UTC)
投票がダメなら無理にとはいいません。ただし投票は、どちらかと言えば、新しい提案を通すための方法です。双方譲らない、どちらかが少数派というわけでもない、提案者側が投票という提案を呑まないという状況が続くようであれば、その提案(この場合はsubst義務化)は却下になるんじゃないですかね。合意が望ましいとHatukanezumiさんが考えるのであれば、Hatukanezumiさんは自分の意見に賛成する人を増やさなきゃだめでしょう。持論を繰り返すだけでは合意には至らないと思いますよ。--Freetrashbox 2010年10月20日 (水) 12:55 (UTC)
議論を読み返してみればわかるはずなんですが、わたしはsubst義務化をそんなに強く支持していません (もちろん、最終的にはそうなるほうがいいとおもっていますが、すぐにでなくてもいいです)。議論に参加しているひとを色分けするのはやめませんか。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 13:03 (UTC)
それは失礼しました。しかしいずれにせよ、合意が望ましいとHatukanezumiさんが考えるのであれば、自分の意見(あるいは自分が賛同できる意見)に賛成する人を増やさなきゃだめでしょう。よろしくお願いします。--Freetrashbox 2010年10月20日 (水) 13:08 (UTC)
Freetrashboxさんは議論をまとめてくださる意思がないこと、そのために議論を読み返してみようとは思われないことはわかりました。時間をみて自分でやってみることにします。--Hatukanezumi 2010年10月20日 (水) 13:14 (UTC)

正直この節の冒頭に書いてあることが要約であると私は考えています。(おそらく反対者の意見をまとめろということだと理解しましたが)「多分に偏った要約である」と約2名から突っ込まれるのがオチなので反対者の意見についてはまとめる気は毛頭ありません。--Goki 2010年10月21日 (木) 02:13 (UTC)

テンプレートの「改良」について[編集]

jdateの手取り足取りバージョンを作成しました。(Template:jdate/xyz

Template:jdateとの違いは以下の通り。

改元が行われた年または月については元号情報を与えないとエラー表示ならびにエラーカテゴリとリンク。

{{jdate/xyz|1989}} 1989年エラー:改元
{{jdate/xyz|1989|s}} 1989年昭和64年)
{{jdate/xyz|1989|h}} 1989年平成元年)
{{jdate/xyz|1989|sh}} 1989年昭和64年/平成元年)
{{jdate/xyz|1989|1}} 1989年1月エラー:改元
{{jdate/xyz|1989|1|s}} 1989年昭和64年)1月
{{jdate/xyz|1989|1|h}} 1989年平成元年)1月
{{jdate/xyz|1989|1|sh}} 1989年昭和64年/平成元年)1月

明治元年以前についてもエラー表示ならびにエラーカテゴリとリンク。

それと、上のものとは別に元号の年号から西暦を換算し、標準のjdateに展開するsubstバージョンも作ってみました。

{{subst:jdate/h|22|7|17}} {{jdate|2010|7|17}} 2010年平成22年)7月17日

--Lincun 2010年7月16日 (金) 16:29 (UTC)

はぁ…。リンク形式の固定化に目をつぶってさらに新たなテンプレート作成ですか。開いた口がふさがらない。重複リンクの問題が大した問題ではないなんて主張している方もいますが、それこそ「個人的な主観」じゃないんですか?自己矛盾してるのはどっちなんだと100万回言いたいですな。--Goki 2010年7月17日 (土) 04:31 (UTC)
では、重複リンクが問題だと明記してある文書を出してみればどうですか。今すぐ、出してみてください。どこに「重複リンクは削れ」というガイドラインがあるのでしょう。「元号の間違い」と「リンクの有無」が同レベルの問題だと考えているのなら、あなたはウィキペディアからしばらく離れた方が良いかと思います。何度も言いますが、重複リンクなんて、現状ではただの「個人的な問題」に過ぎませんし、記述の間違いとリンクの有無のどちらが重要かも理解できない程度の方には、編集に携わらないでいただきたいと思います。--氷鷺 2010年7月17日 (土) 04:42 (UTC)
重複リンクについては氷鷺さんが仰るとおり大した問題ではありません。また、「リンク形式の固定化」といいますが、その表現が適切かはさておき、多様な表現方法を避け表現を統一させようといしているのは「西暦を原則とします。和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)も併記することができます。 」と謳っているWikipedia:表記ガイドそのものであり、Jdate・和暦の両テンプレートはそれに準拠した表現を再現させているだけです。--Lincun 2010年7月17日 (土) 12:50 (UTC)
(連絡) 節分けさせていただきました。
Lincunさんにお願いしたいんですが、テンプレートの試作品のためにTemplate名前空間に新ページを作るのはやめてください。Template名前空間にあるものは、原則としてだれでも使っていいもののはずです。試作や改良の提案は、▼自分の利用者ページのサブページを利用する、▼既存のテンプレートのサンドボックスを利用する、▼ウィキペディア以外のマシンにMediaWikiをインストールしてそこで試す、といった方法をとってください (なお、前二者の場合は履歴継承にもご注意ください)。 --Hatukanezumi 2010年7月17日 (土) 04:49 (UTC) 一部取り消し--Hatukanezumi 2010年7月17日 (土) 06:38 (UTC)
テスト用のページとして、Template名前空間にTemplate:Hex to dec/testcasesTemplate:年月日/testcasesTemplate:時分秒/testcasesといったページを新規作成し、また、すでに多数のページで使用されているテンプレートについてこういった([15][16]))編集を強行して一般の閲覧者に迷惑をかけることを平気でいられるHatukanezumi氏がよくぞまあ立派なことを仰せだと思いました。--Lincun 2010年7月17日 (土) 12:22 (UTC)
Template名前空間に新ページを作ってはいけないと、Hatukanezumiさんはわざわざ私のページ(利用者‐会話:Lincun#Template‐ ノート:和暦でのご指摘について)まで出向かれて大熱弁を振るわれましたが、結局のところHatukanezumiさんの思い違いだったようです。--Lincun 2010年7月22日 (木) 12:58 (UTC)
今までここの議論を静観していたものですが横から失礼します。テスト投稿をWikipedia:サンドボックスのようなテスト投稿用ページ以外の所で行ってはいけない。これで説明がつきます。--新幹線 2010年7月23日 (金) 06:11 (UTC)
Wikipedia:サンドボックスで想定されている「テスト投稿」とは、専ら投稿者が単独でマークアップ等の確認のためだけに行われるものであり、次の瞬間には抹消されても構わないという意識の下で行われる投稿行為だと思うのですが、その様な意味では私の行為は「テスト投稿」ではないと考えています。おそらく新幹線さんは「テスト投稿」という言葉をまだ実用化されていないテンプレートを作成するという意味で使われていると思うのですが、それを規制する文書も「Wikipedia:サンドボックスのようなテスト投稿用ページ」がいかなるものなのかを説明する文書も見たことがありません。これらについて新幹線さんにご提示いただければと思います。--Lincun 2010年7月23日 (金) 12:31 (UTC)

どうもLincunさんは批判されたら批判で返し、質問されたら逆質問で返す傾向があるようです。疑問があれば質問されるのは大いにかまいませんが、質問された項目についてちゃんと回答してくださいな。前から書いていますが、Jdateを作成された当初のスタイルに関しての疑問に対してまともに回答せず、テンプレート除去に対する批判に終始されていた方にあーだこーだ言われたくないのですよ。--Goki 2010年7月18日 (日) 14:15 (UTC)

コメント すまないが、Gokiさんも言葉遣いをあらためてもらえないでしょうか。「あーだこーだ」なんて書いても、相手の感情を逆撫でするだけで、伝わらないですよ。「ぶん殴る」とかいうのもあったな。
Gokiさんの言うことはおおむね筋が通っている。だからわたしも支持することが多い。でも、言葉遣いが荒いと、支持したわたしまで荒い言葉を発しているように見られてしまうのですよ。
投稿ボタンをクリックする前に、50数えてください。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 14:23 (UTC)

表示がおかしい?[編集]

私の環境で見る限り、Gokiさんが最近日付の表示を編集された項目のうちのいくつかに、現在でもテンプレートの呼び出し方を間違っているような感じで日付の表示がおかしくなったままの項目がいくつかあります。とりあえいくつか目に付いただけなので全体でどのくらいあるのかは分かりませんが紫式部占星術日本国憲法錬金術ポツダム宣言未確認動物天皇の一覧などがそうです。これは私の環境の方の問題なのでしょうか。もしそうでないなら修正する必要があるのではないかと思いますがどうでしょうか。--211.135.54.237 2010年7月16日 (金) 12:18 (UTC)

ここでやる話なのかどうかわかりませんが、話題にされるのなら具体的にどこがおかしいのかを指摘していただいたほうがいいです。手作業でやっていると間違いもありえますから (そういう意味で、当該テンプレートは二重に間違いを誘発しているとも言える)、具体的な指摘があるとその後の間違いが減らせます。また、わたしは手順化できるところはボットでやったほうが確実な結果がだせるとおもっているので、その点でも「なにに気をつければいいか」を知りたいです。--Hatukanezumi 2010年7月16日 (金) 12:26 (UTC)
IP氏がここに書いたのは、Goki氏が「会話ページに書き込むな」と主張しているからでしょう。テンプレートに問題があると言い、それを根絶やしにしようとしている人が問題まき散らしてるのを、『当該テンプレートは二重に間違いを誘発している 』とは、どういう意図で言っているのでしょうか。冗談にしか聞こえませんが。--氷鷺 2010年7月16日 (金) 12:40 (UTC)
個人攻撃はおやめください。わたしは実例を知りたいのですし、個人の会話ページで書くよりも共有できる場で書くほうがいいでしょう。邪魔をしないでください。--Hatukanezumi 2010年7月16日 (金) 12:46 (UTC)

私が気にしているのは例えば紫式部だと脚注に挙げられている文献の出版年の部分なのですが、「subst:和暦/sandbox」といったソースコードのようなものがそのまま表示されてしまっているという状況のことです。なお、「Goki氏の会話ページに書き込む」ことも考えたのですが、Goki氏の会話ページはIPユーザーが書き込むことの出来ない設定になっているので出来ませんでした。--211.135.54.237 2010年7月16日 (金) 12:49 (UTC)

WP:BUG#refタグ内でテンプレートのsubst:展開とパイプの裏技が使えないで報告がありますが、以前から知られている (知られていない?) MediaWikiのバグ (それとも仕様?) によるものらしいです。これについては編集した当人も認識しているようですが、修正漏れがあったのでしょう。見つけたら直してあげてください。--Hatukanezumi 2010年7月16日 (金) 13:11 (UTC)
IP氏が指摘のとおり、諸事情により会話ページはIPユーザーが書き込むことができない状態になっています。(注:理由は申し上げませんが、私からは解除申請はいたしません。)紫式部については確認次第修正します。--Goki 2010年7月16日 (金) 14:36 (UTC)
氷鷺氏の「会話ページに書き込むな」は誤解です。個別の指摘には会話ページでも応じますが、私の態度に対する罵倒にしかなっていない氷鷺氏と昔の行為を棚に上げて私の態度に対する罵倒を繰り広げるLincun氏については会話ページでやってもリソースの無駄遣いにしかならないので会話ページで書くのをやめてくれと強くお願いしているのです。個人的には、頻繁に会話ページで書き込みされると「あなた宛のメッセージが届いています」と表示されるのが非常にうっとおしいというのがありますがそれはそれです。--Goki 2010年7月16日 (金) 14:46 (UTC)
また氷鷺氏は「テンプレート根絶」していると勘違いしているようですが、私は「テンプレート根絶」なんてやってませんよ。(subst展開でテンプレートを使っているわけで、それの何が根絶なんですか?紫式部などの件はもうわかってるからもう書かないででください。しつこくてうざいだけだから。)「テンプレートの廃止」を提案している人は今はだれもいません。--Goki 2010年7月17日 (土) 04:24 (UTC)
自分が撒き散らしたゴミを指摘されているのに『しつこくてうざいだけだから。』などと言う権利があるのでしょうか。テンプレート外して回り、ごく少数のリンクを外して「重複リンクを修正した!」と主張。重複リンクなど(一部の)個人的な好き嫌いに過ぎませんが、それにしても、たかだか数個のリンクを外して何が変わるのでしょうかね。7割8割の文字が青くなっているならまだ分かりますが、たかだか数文字程度のリンクを外しただけで、よくもまぁそこまで自信満々に『重複リンクの問題が大した問題 』と言えたものです。--氷鷺 2010年7月17日 (土) 04:50 (UTC)
はいはい。あらさがしを好きなだけやっててください。100個直した内の10個くらいがそういうのがあったからと言ってそれがなんだというのですか--Goki 2010年7月18日 (日) 03:54 (UTC)
subst展開することが何が悪いのということについて正面から答えず、大した問題でないところをつついて何をしたいのかさっぱりわからない。印象操作ならしたいだけすればいいよ。何度でもやれば?--Goki 2010年7月18日 (日) 03:56 (UTC)
それはあなたが、「問題」には目をくれず「大した問題ではない」ことばかりやっているからでしょう。それはそうと、重複リンクが問題だという、それを削る根拠はまだですか? --氷鷺 2010年7月18日 (日) 04:40 (UTC)
リンクを多数設けるとしつこいし、無駄に(変換後の)ページの容量が増えるから。はい、書きましたが何か?--Goki 2010年7月18日 (日) 06:44 (UTC)
氷鷺氏が読む気もしない私の行動に対する罵倒に終始するので質問にはまったく目が届きませんでした。今後も左記のフィルターがかかりっぱなしになるのでもし質問があるのなら質問だけ書いてください。よろしくお願いします。--Goki 2010年7月18日 (日) 06:48 (UTC)

上記の私が気がついた項目のうちGokiさんが直された紫式部とIPユーザーの編集が禁止されている日本国憲法以外の項目は修正しておきました。日本国憲法についてはどなたかお願いします。--211.135.54.237 2010年7月18日 (日) 23:57 (UTC)

お手数をおかけして申し訳ないです。日本国憲法のほうは私がさきほど修正しました。--Goki 2010年7月19日 (月) 08:37 (UTC)

本テンプレート作成の趣旨[編集]

本テンプレートは、西暦に対応する和暦を簡易かつ正確に表記するために作成しました。ただし、西暦と和暦の対応の正確さについては、完璧に一致することまで追求しておらず、高等学校の日本史教科書程度の正確さを目標としました。標準的な高等学校の日本史教科書である山川出版社の『詳説 日本史』(2007年発行)の凡例には、次のように記載されています。

「年は年代を知るのに便利なため西暦を主とし、日本の年号は( )のなかに入れた。明治5年までは日本暦と西暦とは1ヵ月前後の違いがあるが、年月はすべて日本暦をもとにし、西暦に換算しなかった。たとえば天正14年12月1日は、西暦では1587年1月9日であるが、1586(天正14)年12月とした。改元のあった年は、その年の初めからあたらしい年号とした。たとえば慶応4年は9月8日に改元して明治元年となったのであるが、この年のことはすべて1868(明治元)年とした。」

ウィキペディア日本語版では、これよりももう少し正確に、旧暦の年月日が判明しているときには西暦に換算して併記すること、および、大正元年以後の改元のあった年については、改元のあった日を基準に分けて記述することが推奨されています。そのため、本テンプレートの使用法の説明でも、この二点については注意を喚起していますが、おおむねご理解の上使用されており、大きな問題も生じていないと思います。subst展開については、慎重に進めるならば、特に反対も賛成もしません。--唐棣色 2010年7月16日 (金) 14:27 (UTC)

コメント 某所での議論は読んでいますが、立ち入りません。
で、わたし自身は、率直に言うと、両テンプレートは廃止できるものならしてほしいとおもっています。理由はふたつあります。
  • 上で述べたように、単純な入力で検証可能性を保てる期間は、近代以降の不連続な期間だけになる。それ以外の期間 (明治改暦以前、改暦以降の改元年、未来の日付) について、なんらかの警告を表示したりして執筆者を誘導することはできるでしょう。--- しかしそれは、執筆者にとってはかえって煩雑になります。
  • 上でもほかのかたが言っていますが、ウィキテキストで見たときに「なにが表示されるのか」がわかりにくい。「{{和暦|1912t}}」とか「{{Jdate|2010}}度」と書くくらいなら、「[[1912年]](大正元年)」とか「[[2010年]](平成22年)度」とそのまま書いてもらったほうがありがたい。和暦でさまざまな元号に対応するための特殊な引数が使われないのも、執筆者がおぼえきれないからでしょう (たとえば、和暦の「m1」から「m5」までは使用例がなく、「m6」という誤記が1例あるのみです)
要するに、編集の手が止まってしまうので、テンプレートが使われているとかえって不便に感じるのです。
ここで重要なのは、「だったら自分が使わなければいいだろう」では解決にならない、ということです。だれでも、他人が執筆した記事に加筆することがあるのですから、テンプレートが存在するかぎり使わざるをえません。
しかし、(ここは強調しておきたいのですが) わたしは強いて廃止しようともおもっていません。理由は、実際に多くの記事で使われているからです。
  • 上で述べた近代以降の期間については、執筆者自身の誤記や転写ミス以外での問題はありません。年代のわかりにくさもすくないです。使いつづけたいひとが使い続けるのはかまわないでしょう。
  • 5000を越える旧暦表記の検証 (ちなみにこれは、和暦だけではなくJdateでもあります。明治1-5年の表示ができるので) が終わるまで、この期間の使用をやめるわけにはいきません。執筆者への告知を表示するなどして生かしておかなければならないでしょう。
で、これまで当ノートでは「旧暦の正確さ」「西暦の改元年の正確さ」「本当に便利なのか」「未来の日付」「誤記による予期しない動作」などと、両テンプレートで起こりうる問題が挙げられてきました。このことを「自分のテンプレートを否定しようとしている」と受け取らないでいただきたいのです。この点について、ちょっと説明します。
  1. 未来の日付については、わたしは問題だと感じたので使えないようにしたらどうかと提案しました。
  2. それに対して「執筆者の自由にまかせる」という意見がでました。「禁止」という表現も見られました。
  3. しかし、じゃあわたしの自由はどうなりますか。「元号が自動的に表示されるから使いたいが、未来の年号まで自動的に『平成』になるのは困る」というひとの自由は?
このように、ひとつのシステムがすべてのひとの「自由」をみたすことはできないのです。どんなシステムにもなんらかの制約が必要ですし、そのために、できることの取捨選択をしなければなりません。機能を増やすだけでは、より便利なものにはならないのです。
両テンプレートはこれまで多くの記事で使われ、成功をおさめてきたといえます。しかし、成長の時期はもう終わりです。つぎは、テンプレートでできること、できないことをひとつひとつ仕分けて、より安心して使えるものにしていくべきだとおもいます。
あいかわらずの長文で失礼しました。残っている大きな課題は「旧暦年への対応をどうするか」です。テンプレートにもなんらかの変更が必要かもしれません。主作者の唐棣色さんにご協力いただければ、たいへんうれしいです。 --Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 14:05 (UTC)
コメントこの点について、私は対応の必要を感じません。冒頭に示した作成の趣旨から、また、「具体的な日時まで明らかでなければ和暦年と西暦年を併記してはならぬ」とは考えないからです。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)

Template:Jdate、Template:和暦の利用実態調査[編集]

Template‐ノート:和暦/利用実態調査参照

未来の年代が表示される[編集]

当節の議論はWikipedia‐ノート:表記ガイド#未来の日付の和暦表記についてに移りました。--Hatukanezumi 2010年11月20日 (土) 03:39 (UTC)

Template‐ノート:和暦/利用実態調査によると、{{Jdate}}と{{和暦}}で、執筆時点で未来の日付を表記するのに使っていると考えられるものが数百例あります。未来の元号は未定なので、これは独自研究になっていると言えます。例を挙げます。

記事名 確認した版 引数 ウィキテキスト
CTC多古中継局 2010-05-05T02:40:29Z {{jdate|2011|7|24}} llow;">'''{{Jdate|2011|7|24}}正午で完全停波。'''</
ゆとり教育 2010-07-05T15:57:16Z {{和暦|2011}} **{{和暦|2011}}度から実施。'''・・・教育の

ゆとり路線

つくば中央インターチェンジ 2010-05-09T10:06:18Z {{和暦|2012}} * {{和暦|2012}} [[久喜白岡ジャンクション|久喜白岡J

こういった年代は指定できなくするべきだとおもいますが、逆に、いつまでの年代を表示可能とすべきでしょうか。なお、{{Jdate|2010}}といった今年の年を指定している例もありますが、執筆時点では未来の日付を意図している例があるようです。

さしあたり、執筆年の前年までは表示可能、当年以降は不可、とすることを提案します。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 03:57 (UTC)

特に行政関係の各種文書に「平成23年度」など未来の文言が出ることもあるので何が何でも当年以降は不可とするのはおかしいと思いますよ。ただし、リンクの形式に疑義があるのでテンプレートで未来の年を使用した場合はエラーにしてしまってもいいとは思います。--Goki 2010年7月18日 (日) 04:18 (UTC)
未来の年の場合は、出典とするものが「平成30年」など、元号を使っているもののほうがむしろ多いでしょう。30年後だとか100年後はともかく(打ち間違いの可能性もありますし)、10年15年程度の未来なら、平成表記も容認されるべきではないでしょうか。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 04:29 (UTC)
(反対)未来の年代について、和暦表記を不可とすることには反対します。そのような表記をするか否かは、個別記事の執筆者の裁量に任せるべきことです。--唐棣色 2010年7月18日 (日) 05:06 (UTC)
そのご意見の趣旨は分かりますが、打ち間違いを防ぐためにも、「ある程度」の制限はあったほうが良いと思います。{{和暦|2100}} とか {{Jdate|2100}} は、いずれも「2100年(平成112年)」と表示されますが、このような機能が必要とは思えません。近い未来(10年15年…20年?)に限定されるべきでしょう。--氷鷺 2010年7月18日 (日) 05:26 (UTC)
反対 それは使う側が注意すべきことで、区切る年代を決めるだけ面倒だと思います。別の方からご指摘のある2100年(平成112年)にしても政府が出す文章にはあるにはありますし[17]、他にも超長期的な話題もあるでしょう。この先、改元された場合にテンプレートが修正されることも含めて、適切な場所で使われている必要はあります。テンプレート自体としての問題は色々あるでしょうが、ここでは「未来の年代」機能に限定します。--Frozen-mikan 2010年7月18日 (日) 06:13 (UTC)
コメント確かに使う側が注意すべきなのですが、Hatukanezumi氏が指摘しているように間違った使い方をしている利用者も少なからずいるわけです。未来の年月に対しては積極的に賛成はしませんが、間違いを間違いのまま許容するテンプレートの修正にも賛成できかねるのです。--Goki 2010年7月18日 (日) 08:11 (UTC)
コメント 競合したようだがそのまま。
そういう表記を用いる場合があるのは事実ですが、ウィキペディアでの年代の表示としてそれを採用すべきでしょうか。過去の年代については元号が確定しているのに対して、未来の年代については結果的に「あとで事実と異なるとみなされる可能性のある年号」を表記していることになるのですが (「平成112年」にいたっては、常識的に考えて実現することのない年号です)。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:22 (UTC)
(追記) ウィキペディアの記事は再利用が認められていますから、「元号が変わったらそのときにテンプレートを修正すれば記事も変わる」というわけにもいかないのではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:33 (UTC)
情報 Template‐ノート:和暦/利用実態調査#2011年以降の年代を表示しているものに全例挙げました。253件。このほかに、2010年のものがあります。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 08:53 (UTC)
そのような表記を禁じるべきであると主張するならば、まず、Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間の修正を提議すべきだと思います。なお、明確な間違いを発見した場合には、都度修正されればよいと思います。--唐棣色 2010年7月18日 (日) 09:13 (UTC)
コメント うん。議論の場を移しましょうか。
いま買い物にでていて考えたんだが、「自由」の話をここでするのはおかしいね。
  • 「個々人の表記は自由だ」という話をするのなら、テンプレートは表記を固定するものなのだからここではなすのはおかしい。
  • 「テンプレートを使うか使わないかは自由だ」というのなら、テンプレートに独特の配慮があることがいけないというのはおかしい。
  • 逆に「使わない自由もある」というのなら、テンプレートはだれにでも使われうるのだから、当のテンプレートのノートで言うのはおかしい。
ともかくじゃ、続きは表記ガイドのノートでいいですか。そちらでなにか結論がでたら、テンプレートにも反映させることにしましょう (わたしのポリシーは「機械のプログラムは人間のポリシーを越えてはならない (なるべくなら)」なのです。テンプレートもプログラムですよね)。 --Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 09:55 (UTC)

報告 Wikipedia‐ノート:表記ガイド#未来の日付の和暦表記についてで提起しておきました。--Hatukanezumi 2010年7月19日 (月) 00:13 (UTC)

Wikipedia‐ノート:表記ガイド#未来の日付の和暦表記についてにおける議論を見たところ、未来の年代に和暦を併記することは控えるべきであるという意見が大勢を占めているようです。そこで、このテンプレートの説明文中に、未来の年代については本テンプレートの使用を控えるよう追記しました。--唐棣色 2010年7月19日 (月) 12:57 (UTC)

すみませんが、差し戻させていただきました。結論を急ぎすぎです。説明も曖昧で不適当に感じました。どういう問題があるのか、ガイドラインがどうなっているのか、どういう場合が良いのか/悪いのか、それぞれ明確にすべきですし、注意するくらいあるなら機能自体を制限したほうがいいでしょう。--氷鷺 2010年7月19日 (月) 15:39 (UTC)
コメント 結論を急ぎすぎない、というのには賛成ですし、ガイドラインのノートでの議論が決着してからどうするか考えればいいとおもいますので、いま当ノートでこの件について続ける必要はないでしょう (ただ個人的には、あの注意書きは急いで差し戻さなければならないほど不適切なものだとはおもいませんでしたが)。
テンプレートにはテンプレートの課題がありますので、そちらに集中しませんか。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 12:05 (UTC)

提案ですが、引用文――「一字一句そのまま」書き写されているべき引用文、すなわち内容の変更が(事実上同義の元号であっても)問題となる可能性のある箇所のみについて、和暦・Jdate(および類似テンプレート)の使用は一切禁止(要修正)としておくべきではないでしょうか。主に、未来の年が対象になるかと思いますが、いまテンプレートで「平成100年」という表示が得られていても、将来的にそれは変更になる可能性があるので、「変更されてはまずい」使い方をしない、ということです。(逆に言えば、後に修正されるべき未来の記述には、「テンプレートを使用したほうが良い」とも言えます) 常識的なウィキペディアンであれば、決してそういうことはしないはずですが……念のため。著作物性がないものなど、多少の補記などが問題ない「厳密に引用文である必要のない」引用文は除きます。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 11:15 (UTC)

パラメータの誤記[編集]

解決済み{{和暦}}テンプレートで誤記対応を実施。--Hatukanezumi 2010年11月20日 (土) 03:41 (UTC)

Template‐ノート:和暦/利用実態調査#誤記にパラメータの誤記の全例 (調査したデータの限り) を挙げました。このデータは今後数回アップデートするかもしれません。

記事の修正にご協力ください。また、テンプレートでの不正パラメータ処理の参考にしてください (特に、{{和暦|}}がへのリンクになるのはバグでは?)。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 11:29 (UTC)

現状存在する誤記についてはほぼ修正が終わりました。修正の際はページ中にほかのテンプレート呼び出しがあればそれも調べて適宜修正しています。どんな修正がされたかご覧になると、いろいろと参考になるのではないかとおもいます。
で、提案なんですが、{{和暦}}に、誤記があったらエラー表示とする機能を付け加えてはどうかとおもっています。基本的な動作は、想定外の範囲の引数 (引数が空の場合も含む) が与えられたら通常の年代表示ではなくエラーメッセージを表示する、というものでいいでしょう。
subst対応との関係が問題になるかもしれません。エラーの場合はsubstしないようにすることって可能なんでしょうかね。できるような気もしますが、まだよく調べてません。--Hatukanezumi 2010年7月25日 (日) 11:44 (UTC)

Template:和暦 - パラメータの誤記への対応[編集]

なんか節の順序がひっくりかえっててすみません。つぎのような方針で、誤記への対策をしたものをサンドボックスに作成しました。

  1. 誤記をチェックする。つぎのようなチェックを行う。
    • 引数があるか。
    • 引数に数字を要求する場合は、数字かどうか。
    • 西暦年数の場合は小さすぎないか。和暦年数の場合は1以上で元号末年以下か。
  2. 誤記の場合、エラーメッセージを表示する。また、Category:テンプレート呼び出しエラーのあるページ/Template:和暦を付与する。
  3. 誤記の場合、substしても展開されない

テストケースで表示の変化を確認ください。また、変更履歴でコードの過不足が生じていないことを確認ください (差分を見やすくするために、複数回に分けて編集しています)。

対応していない部分もあります。

  • 和暦→西暦 ({{和暦|m|1}}等) では、年数が数字になっているかどうかをチェックしていません。コードが煩雑になりすぎるためですが、対応は容易です。
  • 南北朝時代の各統年号 ({{和暦|南朝|...}}{{和暦|北朝|...}}、) では、年数が数字になっているかどうかだけでなく、範囲もチェックしていません。実際に使用されている例がないため。
    • ちなみに、{{和暦|南朝|1328}}{{和暦|北朝|1333}}{{和暦|南朝|1333}}{{和暦|北朝|1328}}と入力すると、なにも表示されません。コードのタイポだとおもいます。
  • 未来の年号かどうかは、別途の場所での議論をまつことになっていますので、チェックしていません。

なにか問題になる動作がありましたら、指摘してください (自分で修正できるかたはしてください。修正のしかたがわからなければ、だれかがやってくれます)。

特に異論がなく、かつ、最後の修正から1週間以上あらたな修正がなければその時点でサンドボックスを本テンプレートに反映してはどうかと考えます。よろしくお願いします。

なお今後のことですが、subst対応に続いて誤記対応がすめば、やっと、表示される内容やその検証・修正についての議論に移れるとかんがえています。そのときは、コメント依頼でも出して議論への参加をよびかけたほうがいいかもしれませんね。 --Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 03:01 (UTC) 訂正--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 12:54 (UTC)

誤記でなくてもsubst展開されないバグがあったので修正しておきました。substの場合の確認もお願いします (実際に投稿しなくても、差分で見れば確認できます)。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 12:54 (UTC)

紀元1年~644年については現状どおり西暦のみ表示でいいと思います。--新幹線 2010年8月7日 (土) 23:28 (UTC)
そこは議論のあるところだとおもってました。
  • 扱える年代を明確にするという意味では、(ユリウス暦が規程どおりに実施されていなかった西暦8年2月28日以前もふくめ) 元号のない時代はエラーにしてもいいんじゃないかとおもいます (天皇在位年表示という手もありそうですが、そうすることになったら対応範囲を広げる)。
  • いっぽうで未対応期間を明確にするのなら、日本で元号が使われだしたころは元号のない年もありますから、その期間も未対応としてエラーにしたほうがいいんじゃないかという話もあるとおもいます。
つまり、わたしはテンプレートで対応できる期間を明確にしたいという意見なのね。--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 01:52 (UTC)
このテンプレートを改良するということは、過去版でもエラー表示が起こる可能性があることを意味します。それで、問題のある出力ではないにも関わらず、あえてエラー表示にすることに抵抗を感じます。--新幹線 2010年8月8日 (日) 02:44 (UTC)
過去版での表示まで考えていませんでした。では、この点については特に異論なければ次のようにしたいとおもいます。
  • 年が0か負 → エラー (現サンドボックスのまま)
  • 1-644年 → 西暦年記事へのリンク
  • 654-670年 → 西暦年記事へのリンク (現状のまま)
  • 687-700年 → 西暦年記事へのリンク (現状のまま)
--Hatukanezumi 2010年8月8日 (日) 03:11 (UTC)
報告 修正してみました。--Hatukanezumi 2010年8月9日 (月) 12:48 (UTC)

報告 最後の修正から1週間たち、特に議論もないことから、サンドボックスでの変更をテンプレート本体に反映しました。こんご数日たっても特に問題が起きないようでしたら、当節は冒頭に{{解決済み}}を貼り付けるなどして閉じていただいてかまいません。ご協力ありがとうございました。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 13:48 (UTC)

Template:和暦: subst対応の正式化[編集]

済み{{和暦}}テンプレートをsubst対応させた。--Hatukanezumi 2010年11月20日 (土) 03:43 (UTC)

frozen-mikanさんによってsafesubst:を使ったsubst対応が導入されています[18]が、現在サンドボックスにあるものをテンプレート本体に反映させたいとおもいます。

特に異論なければ、今週末にでも実施します。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 12:11 (UTC)

(反対)(条件附き賛成)おやめください。Hatukanezumiさんは鹿児島市立福平中学校の2010年7月18日 (日) 10:52の版で、Gokiさんは2010年7月1日 (木)の星新一哲学などで、このテンプレートのsubst展開に関する軽率な編集を行いました。Hatukanezumiさんがお調べになったとおり、このテンプレートはすでに7000以上の記事で使用されています。そのため、この編集には慎重の上にも慎重を期すべき所、つい最近かような大失敗をやらかした人に大幅な改変を任せることには、非常に不安を覚えます。少なくとも、相当期間をおいて複数の詳しい方にご意見を聴取した上で、行われるべきです。--唐棣色 2010年7月20日 (火) 14:09 (UTC)
コメント うん。だから、そのようなことを起こさないために、subst展開に対応しましょうと言っています (わたしやGokiさんはもう失敗しませんが、次にだれが失敗するかわかりません)。提案の趣旨が逆です。
それと、サンドボックスはテンプレートの改良を確認するためにあるものなので、十分にテストされたら本番のテンプレートに反映すべきです。そうしないと、ほかの改良ができません。
safesubst:によるsubst対応で、なにか問題が起こるというのなら、反対も結構です。なにか問題がありますか。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 14:30 (UTC)
コメント 何やら政治的思惑が散見されるので、Hatukanezumi氏・氷鷺氏・Goki氏の御三方には対処してほしくないなと、隠しても仕方ない(通じない)ので言っておきます。平たく言えば、貴方は弄るな、と。
Frozen-mikan氏あるいはその他の方による、慎重な対応であれば、特に反対しません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年7月20日 (火) 23:30 (UTC)
個人を標的にした反対は、喧嘩の輪を広げるだけです。「あいつのすることは」という心理が奥底にあって話がややこしくなっているという気はします。しかしそれに対して「あいつのすることには反対」を拡大連鎖させたところで、ことが良くなるはずがないです。ラッキースター・キッドさんは今までこの議論に関与していなかったからご自分の中立公正な立場を確信しているのでしょうが、このような発言はその立場を自ら崩すようなものです。唐棣色さんも、ご再考ください。--Kinori 2010年7月21日 (水) 00:59 (UTC)
いいえ、私は中立ではありません。「中立」というのは、その対象に対して興味や意見がありながら、敢えて中道を行く場合のことを指しますが、私は {{和暦}} に関して何ら意見を持っていませんし、興味もありません。単純に、ウィキペディアでの編集を(ウィキペディア内での)政治的な材料にしてほしくないこと、ウィキペディア内でそれなりに名の通っている御三方がそのような行動を取られることで悪しき前例となることを防ぎたいだけです。私なりに。御三方が喧嘩していようが私の知ったことではないが、他所に影響が出ると困ります。
この一件を政治的な材料に使わないと仰ってくだされば、特に反対はしません。確約は必要有りません。守ってくださればそれでよし、守ってくださらなくても「ああ、やっぱり」と思うだけです。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年7月21日 (水) 21:54 (UTC)
御三方の対立に対する中立の話です。御四方に増やしていいわけないでしょう、と申し上げたいのです。私はこの問題に一定の関心を持っており、理にかなった解決を望んでいるので、個人に対する反発で議論が左右されると困ります。--Kinori 2010年7月22日 (木) 03:25 (UTC)
(反対)変更箇所があまりにも多いので、sandboxを正式な版に置き換えることに反対します。テンプレートをsubst展開してしまえば、テンプレートを使用しているという痕跡は残らないのだから、subst対応版については別のテンプレートとしてしまっても何の問題もないでしょう。むしろ、現状で使用されている箇所についてエラーを発生させないことへの配慮を最優先すべきと考えます。--Lincun 2010年7月21日 (水) 12:50 (UTC)
現在サンドボックスにあるものを使って問題が起きるのであれば、ぜひ修正をお願いします。どのようなときに、どのような問題が起きますか。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 22:11 (UTC)
コメント 変更箇所が多いとのことですが、どの点が問題なのでしょうか。私は必要な処置を行ないました。テンプレート呼出やマジックワードは有りませんでしたし、条件文も正規表現で置換しました。見落としがあるのならば、ご指摘いただけると有り難いです。--Frozen-mikan 2010年7月26日 (月) 08:27 (UTC)

情報 safesubst:についてまだご存知ないかたは多いと思いますが、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テンプレート#safesubst: の紹介とそこからリンクしている説明をお読みください。subst展開を安全に行うための機能です。--Hatukanezumi 2010年7月20日 (火) 14:39 (UTC)

コメント私はこの件については意見しませんが、文句を書く人に文句があります。「あなたは聖人君子なのですか」と。--Goki 2010年7月21日 (水) 01:05 (UTC)

コメント (実例) subst化対応についてわかりにくかったかもしれませんので、実例で説明します。

このページをご覧ください。ここには同じ年代が3つ表示されていますが、ページのソースを見ると異なっています。

それぞれ、「{{和暦|1999}}」、「{{subst:和暦|1999}}」、「{{subst:和暦/sandbox|1999}}」と入力して保存したものです。ふたつめとみっつめはsubst展開されますが、ふたつめの結果はとうてい受け容れられるものではないでしょう。みっつめの結果が得られるようにしようというのが、わたしの提案です。

わたしはもちろん、思惑があって提案しています。すでに述べたように、両テンプレートが表示する数千の年代に検証が必要な可能性があります。検証の作業には、多数のかたの協力が必要です。検証に集中するあまり、わたしやGokiさんがやったようなミスをするひとはでてくるでしょう。ですから、なるべく安全にテンプレートを利用できるように、準備をしておかなければなりません。--- またそういうわけですので、テンプレートの改良の提案は今後もしていきます。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 12:18 (UTC)


subst対応の修正で問題が起きるという指摘はありませんので、異論ないものと考えます。
今週末をめどにTemplate:和暦/sandboxTemplate:和暦に反映する作業を実施しようとおもいます。もちろん、わたしでないとできないといった作業ではありませんので、ほかのかたが作業なさるのも自由です (念のためですが、作業する際は履歴継承にご注意ください。WP:MM#項目一部転記を参考にしてください)。
なお、作業が実施された場合、差し戻しをしないよう強くお願いします。有害な結果を生まない編集を差し戻すことは無益ですし、編集合戦を引き起こしかねません。万一編集合戦になった場合は、テンプレートページの保護を依頼します。--Hatukanezumi 2010年7月21日 (水) 22:11 (UTC)
コメントこれまでのところ、提案者Hatukanezumiさんのほかに賛成意見はなく、反対意見の方が多いと思いますが、それでも強行されるのですか。本件大改変をHatukanezumiさんがご提案されたのは「2010年7月20日 (火) 12:11 (UTC)」です。それから5日程度で「即時」実施しなければならないほど急ぐ理由は、Hatukanezumiさんから一切ご説明されていません。Hatukanezumiさんにおかれましては拙速に事を運ぶことなく、落ち着いて合意形成を図る努力をお示し下さい。--唐棣色 2010年7月22日 (木) 02:56 (UTC)
この状態で強行するのは間違っています。いつまで待っても具体的な指摘がないままだったり、個人に対する反発だけが理由とされるのであれば、私が賛成に回りましょう。Hatukanezumiさんは、たとえば来週末まで、どんな問題点が指摘されるかじっと待ってみてはどうですか。--Kinori 2010年7月22日 (木) 03:25 (UTC)
コメント 待つのはいっこうかまいません。先日来言っているように、テンプレートの変更は主目的ではありませんので。
しかし、Lincunさんや唐棣色さんは、他人に合意形成への姿勢についてあれこれ言う前に、この場で議論にかかわってきたかたがた全員に謝罪すべきことがあるのではないでしょうか。そうでないかぎり、その発言に誠意を感じることはできませんので、おふたかたの主張がどんなものであろうと、勘定にいれる必要はないと考えています。
したがって現状は「提案があったが特に異論はなかった」という状態です。--Hatukanezumi 2010年7月22日 (木) 12:25 (UTC)

私はお2人についての反対は勘定に入れています(理由は手続きに関する反発としか考えていませんが)。--Goki 2010年7月23日 (金) 18:59 (UTC)

結局、反論を無視して、自己中心的な態度を採ったあげく、何もせずに逃亡ですか。(「週末」までに編集が行われなかった。)というわけで、この件は一旦終了ですかね。--okegawa 2010年7月26日 (月) 07:51 (UTC)

上のokegawa氏のコメントはひょっとしてHatukanezumi氏に対するものか?氏はちょっと待てと言われたので待ってるだけだと思うが。それが逃亡??--219.67.171.131 2010年7月26日 (月) 08:36 (UTC)

再度。

現在サンドボックスにある版ではsafesubst:を使ったsubst対応が導入されています[19]が、テンプレート本体に反映させたらどうでしょうか。--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 00:07 (UTC)

だれも反対していませんよね。--Goki 2010年7月31日 (土) 09:23 (UTC)
コメント明確な反対票が2票で、賛成票は一つもありません。賛同される方は、人格攻撃や不可解な謝罪要求などの前に、まず賛成の表明を行い、その編集の必要性を説明されるべきでしょう。--唐棣色 2010年7月31日 (土) 09:36 (UTC)
(賛成) 既存テンプレートへの機能の追加であり、仕様上問題が起こらないのであれば、特に反対する理由はないと思います。全面的に賛成します。あと、「明確な反対票」を投票されたおふた方が、その票に対してHatukanezumi氏およびFrozen-mikan氏がされた問題点の具体的提示に関しての質問を完全に無視を通しておられることに遺憾の意を表明します。--るなあるてみす 2010年7月31日 (土) 10:05 (UTC)
賛成 特に強制・推奨しないという、純粋な「機能の追加」であれば賛成します。--氷鷺 2010年7月31日 (土) 10:32 (UTC)
賛成 賛成しますが、substを特に推奨しない理由はあるのでしょうか。substしたほうが記事のソースが分かりやすく、初心者にも編集しやすくなりますし、テンプレート自体の更新に呼び出し先の記事が対応する必要もないです。このことからテンプレートのままにしておくメリットはないと考えますが。是非ともsubst推奨を明文化すべきだと思います。--新幹線 2010年8月1日 (日) 13:12 (UTC)
コメント substする/しないを一律に決めるのはやめたほうがいいでしょう。少なくとも、未来の/予定の記述で、引用文ではないもの――すなわち「今後元号の変更があれば修正されるべきもの」については、「substしないことを推奨」したほうがいいです。逆に(まともなウィキペディアンはそんなことしないでしょうけど)引用文などに使う場合は「必ずsubst」すべきです。
substを使うと、記事のソースで見かけなくなり、知名度が下がります。もし、いま使用されている記事を「全て」subst展開すれば、初心者がこのテンプレートの存在を知る機会は激減し、「いつまでも知らないまま」の人さえ増えるでしょう。substを推奨するにしても、既に使用されている(使い方に問題のない)記事での大量置換は禁止されるべきです。
それに、ほとんどの記事には、インフォボックスをはじめ、要出典、告知や提案のテンプレート、スタブテンプレート、Mainなどの他記事参照テンプレート、曖昧さ回避テンプレートなど、何かしらテンプレートが使用されています。こういう状況で「テンプレートは難しいから初心者向けじゃない」というのはあまり合理的ではありません。もし、初心者のことを優先するのであれば、「テンプレートの存在を知る機会が多く」「使い方が分かりやすい」「実例を目にすることができる」非substを推奨すべきではないのですか? --氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:35 (UTC)
質問 これは氷鷺さんにということではなくて、みなさんに確認していただきたいのだけど、提案しているsubst対応をしても、{{subst:和暦|...}}としないかぎりいままでと動作はかわらないよね? 疑問のあるかたは自分で確認してみてください。--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 11:00 (UTC)
subst機能に問題があるなどとは言っていません。賛成と書いてあるのが見えませんか? --氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:35 (UTC)
追記 もし私「以外」の方へのコメントということでしたら、私の勘違いですのでお詫びいたします。--氷鷺 2010年8月2日 (月) 10:05 (UTC)
妙なところにコメントつけて混乱させたかな。本当に、氷鷺さんにむけたわけじゃない。純粋に確認です。詫びるようなことじゃないよ。--Hatukanezumi 2010年8月2日 (月) 11:10 (UTC)
コメント反対票は「手続きに関するもの」のみでテンプレートそのものについての反対なんかないじゃないですか。substしなくても影響がないのなら何の問題があるのでしょう。--Goki 2010年7月31日 (土) 11:05 (UTC)
コメント subst対応義務化についてですが、わたしは時期尚早かなあとおもっています。これまでの議論や作業ででているように、テンプレートの表示結果に問題があるケースが多いので (たとえばいま作業している感触では、{{和暦|1926}}は大半が正しくないとおもわれます1926年(昭和元年)になるのだけど、昭和元年は1週間しかない)。問題のある部分を修正・改善したあとでなら、subst義務化を検討することに賛成です。substしてしまったほうが、編集するひとにテンプレートについての予備知識を要求しませんから。
そういうわけで、今回はまずは従来との互換性を保った変更としてsubst対応を導入する、ということでいかがでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月1日 (日) 22:23 (UTC) 加除--Hatukanezumi 2010年8月2日 (月) 13:56 (UTC)
賛成
subst対応の正式化に賛成します。理由は、新幹線さんの2010年8月1日13:12の理由と同じです。
しかし、Hatukanezumiさんの仰る問題点の修正されるまでは、subst義務化はせずに導入のみとし、問題の修正後に義務化するというコメントに賛成します--Resto1578 2010年8月1日 (日) 22:38 (UTC)
コメント 義務化はやめたほうがいいでしょう。少なくとも、未来の/予定の記述で、引用文ではないもの――すなわち「今後元号の変更があれば修正されるべきもの」については「substしないことを推奨」したほうがいいです。推奨するにしても、「今後、新たに使用する際」に限ってsubst推奨とし、使用法に問題のない記事への遡及的な(大量の)適用は禁止されるべきです。初心者のことを考えれば、「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」subst義務化には問題があります。--氷鷺 2010年8月2日 (月) 03:42 (UTC)
なるほど。「初心者がテンプレートの存在やその使用法を知る機会を奪う」初めっからそれを言えばいいじゃないですか。なんで手続きがどうのとか人依存なものに文句を書くから面倒なことになるのですよ。
とはいえ、(実現趣旨は異なりますが)脚注ヘルプのような別の場所にリンクを張ることで対応することも可能ですし、テンプレートのままに「しなければならない」理由にはならないですね。単に私の行為を否定したいだけという雰囲気がものすごく漂っています。--Goki 2010年8月2日 (月) 06:31 (UTC)
コメント 確かに未来の年号についてはsubstしない場合、テンプレートの方で一律に更新できるというメリットがありますが、テンプレートの使用が強制・推奨されない限りそのメリットは十分に生かせないと思うので、subst推奨はしないまでも、substしないことを推奨までする必要性はあまり感じません。
また、他のテンプレートを引き合いに出して初心者がテンプレートを知る機会が激減することを問題としていますが、それらはお知らせ系テンプレートやメンテナンス系テンプレートなどの「そもそも初心者が使うとは考えにくいテンプレート」や、Infoboxなどの「表の外観を決めるテンプレート」(表のソースコードを出されるよりは変数名が出ているInfoboxの方が編集しやすいという人が多いでしょう)ですし、それぞれのテンプレートはテンプレートのままにすることによって「ソースを簡略化できる」「スタイルを統一できる」というメリットがあるわけです。これに対して和暦テンプレートは「記事の本文を構成するテンプレート」ですので、他のテンプレートと比べて初心者に編集しづらいというデメリットをまともに受けることになってしまいます。また、必ずしもソースが簡略化されるわけでもありませんし、テンプレートの使用が強制されないならスタイル統一のメリットもないでしょう。西暦・和暦は手で入力することもできるので、ある程度経験を積んでから和暦テンプレートの存在を知るのでも遅くはないでしょう。例えばWikipedia:表記ガイドあたりで和暦テンプレートの紹介をしておけば、一定の経験のある利用者には十分知る機会を与えられるでしょう。--新幹線 2010年8月2日 (月) 13:42 (UTC)
コメントテンプレートの導入のメリットとして
  • スタイルを統一したい
  • ソースを簡略化できる→編集しやすくなり初心者にも優しい?
があるわけですが、
  • スタイルを統一したい → Wikipedia:表記ガイドに矛盾するし、表記ガイドを考慮しなくてもリンク形式が固定されてしまうのはやっぱり不便ですよ。当初の{{Jdate}}のスタイルなんて使用される箇所をまったく想定せず、「俺様スタイル」に従えだったし…。(この件は作成者が「いろいろな箇所で使用されることを想定せずスタイルを強制していた」ことを認める発言をするまで何度でも例示します。)
  • ソースを簡略化できる → テンプレート内で使用するならともかく、本文中で使用することを想定しているわけでソースの簡略化にはなっておらず、むしろ編集の障害にすらなっている人もいる。
と否定されているわけです。結局私以外の方も含め同様の指摘を2年前からしているにもかかわらず、テンプレートのままにしたいといっているのは「俺の編集を否定されて癪に障る」とかそういうレベルなのではないかと思ってくるのですよ。
テンプレートを使用してはいけないとは言っていないのにそう思う人は後を絶たないし…。--Goki 2010年8月3日 (火) 00:51 (UTC)
質問 subst対応そのものについてはここ数日、賛成意見が多いようです。初版投稿者の唐棣色さんのご意向はいかがでしょうか。ウィキペディアでは、自分の書いたものを他人に変更されることは当たり前です (投稿するときに出てくる説明を読んでください)。が、だからといって書いたひとの意見は無視して変更するべきだということではないでしょうから。--Hatukanezumi 2010年8月3日 (火) 10:51 (UTC)
上ですでに「反対」の意思表示をしておりますが、その理由を補足しておきます。反対の理由として変更箇所の多さを私が挙げたのに対し、Frozen-mikanさんが、正規表現を用いて置換しているとの反論がありました。確かに手作業による変更より正規表現を用いた機械的変換の方がエラーが起こる可能性は大幅に低減するとは思いますが、皆無であると断言するのは難しいのではないでしょうか。この手の作業には思いがけないことが起こりえるからこそ、わざわざ「Wikipedia:テンプレートのサンドボックスとテストケース」なるお節介とも思えるぐらいのガイドラインが用意されているのだと思います。
また、編集者側に人為的なミスがなくても、MediaWiki側にエラーが起こる可能性もないとは言えません。
また、「和暦」の排除を望む方々が言うテンプレート使用に伴う弊害が、subst化によってどれほど除去できるのでしょうか。それらの方々が少しばかり溜飲を下げるためにsubst対応化を強行するのであれば、それはおかしなことではありませんか。
これらのことを総合的に考えれば、subst対応の和暦については別テンプレートにした方がトラブルの発生を懸念する必要もなく、一番無難だと思っています。--Lincun 2010年8月3日 (火) 11:43 (UTC)
コメント わたしはこの間、現在サンドボックスにあるもので大量のテンプレート呼び出しをsubst展開してきましたが、現在のテンプレートと異なる表示になった例を確認していません。
それと、この場で賛成を表明しているかたがたが、本当に「少しばかり溜飲を下げるために」賛成しているとお考えでしょうか。そこまで他人の言うことを悪意にしか受け取れないというのは、ちょっと驚きです。
Lincunさんと唐棣色さんのおふたりは、こんなこと[20]もなさっています。おふたりだけで決めたいのなら、ウィキペディアの外でやってはどうですか。
わたしはこのことについて、おふたりから謝罪の言葉があることを期待していました。個人的には、さらにもう数日だけ待つくらいならかまわないです。ですのでわがままを言わせてもらうと、しばらくの間、おふたりに対する非難めいた発言や、この間の議論姿勢に対する論評は、お控えいただければうれしいです。--Hatukanezumi 2010年8月3日 (火) 14:00 (UTC)
Hatukanezumiさん、「謝罪」なんて言葉だけのものなんていらないですよ。私はLincun氏に対しては一貫して指摘した「事実」を「認めろ(≠謝れ)」と書いているだけです。謝罪なんて書くとどんどんハードルをあげちゃいますから。--Goki 2010年8月4日 (水) 00:53 (UTC)
コメントHatukanezumiさんが謝罪してくださいなどと急に言われたので、何のことやらサッパリ分からなかったのですが、利用者‐会話:Lincun/暦で両テンプレートの統合についてコメントしたことについて拗ねておられたのですね。発言を読まれればお分かりの通り、おふたりだけで何か決めたということもなければ、その決定に従って編集または発言したということもありません。このテンプレートに関して、この場で大いに議論されることには異議ありませんし、議論の結果作り上げられた成案に従って編集されることにも異議ありません。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)
コメント唐棣色さんには「おふたりだけで何か決めたい」という意思は見られなかったと思います。利用者‐会話:Lincun/暦といった個人的な場所で(唐棣色さんにはそのような意図はないと思いますが)議論を行おうとしたのがまずかったかもしれません。Lincunさんは自分の意見に賛同するものだけで何かを決めようとする傾向があるのかもしれません。--Goki 2010年8月4日 (水) 06:21 (UTC)
ご指摘の通り、正規表現は間違いを侵さない「銀の弾」には成り得ません。正規表現文字列(今回は "{{\s*# → {{ {{{|safesubst:}}}#")を作成する時点のミスもあるでしょう。私としては、機能追加に最低限必要な修正を施したことに対して「変更箇所が多い」ことを理由に反対をされるのであれば、最低限の理解が得られていないと判断し、残念に思うのみです。subst展開が可能になったとしても和暦系テンプレートの評価が下がることはなく、subst展開を行っていること自体、テンプレートを肯定する行為と思います。(なお、「Wikipedia:テンプレートのサンドボックスとテストケース」の「ガイドライン」指定についてですが、内容は機能の説明や使い方が書かれているだけの解説文章です。一時期、各種文章をガイドラインや方針に「格上げ」しようとした活動の名残だと思います。)--Frozen-mikan 2010年8月3日 (火) 15:03 (UTC)
このテンプレートに欠陥があると喚き立てている方々が、subst対応化に積極的なことに非常に違和感を感じています。このテンプレートに批判的な方々にとってsubst対応化のメリットは、ウィキテキスト上にテンプレートが残らないという点のみであって、彼らが盛んに唱える改元の問題やら旧暦新暦の問題やらは何にも解決していません。それらの点が改善されないままsubstでの使用を推奨することとなれば、テンプレートを使用したという痕跡も残らず、逆に彼らが懸念する誤った使用を後から検出することが難しくなります。結局彼らにとってはテンプレートをウィキテキスト上から除去することが目的であって、いろいろと挙げる問題点についてはその目的を達するための後付けの理屈でしかないのかなとも感じてしまいます。
また、substというテンプレートの使用の痕跡が残らない使い方を前提とするテンプレートに無理に既存のテンプレートと同名にするメリットが見出せません。subst対応化に尽力された方はご自身の成果に自信をお持ちかも知れませんが、私が考えているデメリットを超えたメリットを見出せない以上、私の立場からは賛成することはできません。--Lincun 2010年8月5日 (木) 14:09 (UTC)
subst化によって除去できる弊害は、1) ソースから内容を読み取りにくい、2) 外部での再利用に困難が加わる、3) エディタ等に引き取っての加筆を妨げる、の3つです。subst化の目的は、テンプレートをウィキテキスト上から除去することで間違いないです。しかし他の問題は残されるので、subst化が終着点だと考えるべきではないでしょう。テンプレートの欠陥を指摘しつつ修正する意味は、7月16日に氷鷺さんが指摘しています[21]。膨大な記事で使われているテンプレートは、廃止したとしても過去版との関係でもはや削除できないので、修正が無益にはならない、ということです。--Kinori 2010年8月5日 (木) 16:12 (UTC)
「外部での再利用に困難」とのことですが、ウィキペディアの方針・ガイドラインの中に、独自に作成されたパーサへの配慮を求めるような文書は見たことがありません。そもそも、ウィキペディアと互換性のあるものを作成しようとする場合、作成する側がウィキペディアの実情に合わせるのが当然であって、ウィキペディアの方が独自に作成された技術的に不完全なパーサに合わせなければならないというのは全く理解できません。もしこの手の主張をするのであれば、方針・ガイドラインといったレベルで合意を取り付けることが先ではないでしょうか。
それと、このテンプレートが執筆者によっては「不便」なものであるとのことですが、全ての執筆者にとってウィキペディアの編集を容易なものとすることを目指すのであれば、ウィキペディアがテンプレートなるものを扱うことそのものを再検討していく必要があるのではないでしょうか。割と難易度の低いテンプレートと思われる和暦テンプレートにここまで喰い付かれる様子を見ていると、そのように感じざるを得ません。--Lincun 2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)
では、このテンプレートをテンプレートのまま残すことのメリットは何でしょうか?氷鷺さんから未来の年表示についてのメリットは挙げられていますが、過去の年代については挙げられておりません。メリットがないかぎり、外部での再利用を容易にしたり、できるだけ執筆者に不便を感じさせない方向に修正したりしていくのは当然のことでしょう。--新幹線 2010年8月6日 (金) 14:28 (UTC)
もちろん改元の問題などがありますので、今回は特に推奨はせず「純粋な機能の追加」として導入して、問題解決後にsubst義務化を検討するという流れになると思います。--新幹線 2010年8月5日 (木) 22:37 (UTC)
subst展開の義務化については、この節ではなく、上のほうで続行するようお願いします。Lincunさんの2010年8月6日 (金) 13:38 (UTC)の発言は、私がお返事をする都合上、上の節に転記させていただきました。--Kinori 2010年8月7日 (土) 16:51 (UTC)
コメントまさにここ数日、賛成される意見が多くなりました。私は当初から「少なくとも、相当期間をおいて複数の詳しい方にご意見を聴取した上で、行われるべきで す。」と主張しております。これは「条件附き賛成」を意図しておりましたが、Hatukanezumiさんがあまりにも拙速に事を進めようとされたため、 「反対」としておりました。しかるに、Hatukanezumiさんのご提案からすでに2週間が経過し、この間、複数の方の賛成意見によって技術的な問題 点がないということも担保されていると考えます。そこで、私は、「反対」としていた意見を改めて「条件附き賛成」とし、その停止条件として挙げた「1.相 当期間の経過、2.複数の賛同者からの意見聴取」をいずれも備えているため、条件も成就したと考えます。したがって、私は、Hatukanezumiさん ご提案によるsubst対応そのものについては、賛成します。ただ、なぜHatukanezumiさんが焦って編集を行おうとされたのか、その理由につい ては未だ明らかにされていないと思います。できれば、この点について少しくご説明いただければ、より一層張り切って賛成することもできると思います。--唐棣色 2010年8月4日 (水) 05:27 (UTC)
発言位置移動させていただきました。字下げを上げて途中に割り込むと、発言のつながりがわからなくなるので。
わたしは焦ってたつもりはないけどなあ。でも、怒ってはいましたよ。
陰で「クレーマー」とか言われているのを知った (17日) ので、まずいとおもって、上の節でかなり理をつくして説得につとめたつもりでした (18日)。そのうえでsubst反映の提案をした (20日) けど、それに対する唐棣色さんの反応 (20日) を見ると、説得は届いてなかったようにおもいました。率直なところを言うとね、「自分のつくったテンプレートが引き起こしているかもしれない5000回以上の失敗を正すことを意図した提案に反対するために、他人のたった一回の失敗をあげつらうとは、いったいどういうことだ」と感じました。対話が不可能になっているとおもいました。
そこで、意見がでなければ「今週末をめどに」(21日) やるよ、と言いました。注意してほしいんですが、「いますぐやる」とは言ってないです (もしそういうつもりなら、予告なしにやってます)。意見がでたので、ふたたび待ちました。で、現在にいたる。
こんなんで、説明になっていますか。--Hatukanezumi 2010年8月4日 (水) 12:25 (UTC)
コメント 誰かさんが罵倒とともに余計な突込みを入れる前に自分で書いておきます。「失敗」は1回ではありません。私が(このあたりの編集で)10数回やらかして海獺さんから5分間の投稿ブロックの処分を受けています。--Goki 2010年8月5日 (木) 02:16 (UTC)
もうちょっと範囲をしぼると、このへん[22]ですね。まちがいを指摘されて気づいて、やり直してますね。で、その後はおなじことを繰り返してないので「一回」でいいんじゃないですか。わたしのはこれ[23]です。投稿ボタンを押した瞬間、違和感があったんですが、差分を確認して青ざめました。これも「一回」ね。
そんな意味で「たった一回」と書きました。--Hatukanezumi 2010年8月5日 (木) 12:14 (UTC)
賛成 遅まきながら、この変更に賛成します。subst義務化について話しあわれていますが、それについてはこのページの上のほうで7月15日にGokiさんが提案し、私が21日にまたあらためて提案しなおしました。大本の議論を進めないまま、より限定的な問題にぶら下がる形で言及するのは、建設的なやり方とは思えません。ぜひ上の節での議論継続をお願いします。--Kinori 2010年8月4日 (水) 14:14 (UTC)

初版投稿者さんの賛意もいただけましたので、なにか根本的な問題が指摘されるとかいったことがないかぎり、今週末をめどにsubst対応の反映を実施させていただきます。わたし (Hatukanezumi) だと間違えそうで……とかいった不安がありましたら、どなたか作業者に名乗り出てください。

今後継続する課題としては、substの義務化の是非や、それに関係してテンプレートを推奨したりしなかったりすることの是非というものがあります。それについては、どなたか節をあらためて提起ください。あと、個人的な予定を書かせていただきますと、サンドボックスが空き次第、誤記への対応のための改良案を掲載してコメントを求めるつもりです。--Hatukanezumi 2010年8月5日 (木) 12:14 (UTC)

報告 サンドボックスの反映を実施しました。異常がないかご確認ください。テストケースにもケースを追加しておきました。
このまま数日程度問題が起きないようでしたら、この節は冒頭に{{解決済み}}を貼るなどして閉じていただいてかまいません。継続している議論については節をあらためてお願いします。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 01:29 (UTC)
コメント {{Jdate}}のsubst正式化はまだだったんですね…。「{{(jdate|和暦)\|([^}]+)}}」で置換できないから編集が少々面倒になりました…。(注:これも某利用者から突っ込みを入れられる対象になると思われるのであらかじめ書いておきますが、内容に対する精査は行ってます。単なる勘違いによる作業ミスです。同一記事にjdate、和暦の両方のテンプレートを使用している箇所が多数あるため両方を置換する必要があるのです。)--Goki 2010年8月9日 (月) 00:33 (UTC)
コメント
  • subst化について議論するのなら、「効率的に展開しようとするひと」の立場ではなく、「文章のなかで、なにか年代を書こうとした利用者」や「文章中の、ある年代を編集しようとした利用者」の視点で考えるべきだとおもいます。正規表現を使ってまとめて置換するような利用者は少数派です。
  • わたしはこれまで{{jdate}}については改良の提案をしていません。理由のひとつは、議論の結果{{和暦}}に統合される可能性もあるとおもっているためです (たとえば、リンクの形式についての議論がある程度整理されれば、両者の機能の差はほとんどなくなります)。もちろん、どなたでも提案されるのは自由ですが。
旧盆も近いことですし、今週はノートでの議論はあまり進展しないだろうとおもっています。また、この節の議論はある程度の成果を見ており、残りの議論への誘導もあるわけですから、終結させる方向でお願いしたいです。--Hatukanezumi 2010年8月10日 (火) 13:16 (UTC)
ということで別の節(#Template:Jdate: subst対応の正式化)で提案済みです。反対者がいなければ8月22日ごろをめどにJdateもsubst展開可能なものに入れ替えます。{{Jdate-y}}やJdate/*のテンプレートは使用されている記事も少ないので提案はいたしません。--Goki 2010年8月13日 (金) 00:32 (UTC)

検証が必要な年代表示[編集]

済み{{和暦}}テンプレートの仕様上、不正確な年号が表示される可能性がある場合の対策がされた。旧暦年代で西暦→元号年号の換算をする場合は結論が出なかった。--Hatukanezumi 2010年11月22日 (月) 15:56 (UTC)

明治改暦以後の改元年[編集]

誤記はだいたいかたづいたので、それに対するテンプレートでの対策は上の節でやるとして、次はいよいよ、不正確な年号が表示される可能性がある場合の検討にとりかかりたいとおもいます。まず検証が比較的容易な年について、説明します。

  • 明治改暦以後の改元年 (1912、1926、1989年) は、年内の特定の日に元号がはっきり変わります。したがって、両テンプレートを使った場合には正しい元号が表示されない可能性があります。
  • {{和暦}}と{{jdate}}では、これらの年に対する動作が異なります。前者では改元前の元号を表示するのに対し、後者では改元後の元号を表示します。
    したがって、元号が正しくない可能性が高いのはつぎの場合です。
    • {{和暦|1912}} - 明治45年なのに大正元年になっている可能性が高い (7月30まで明治、7月30日から大正)
    • {{jdate|1912}} - 大正元年なのに明治45年になっている可能性が高い (7月30まで明治、7月30日から大正)
    • {{和暦|1926}} - 大正15年なのに昭和元年になっている可能性が高い (12月25日まで大正、12月25日から昭和)
    • {{jdate|1989}} - 平成元年なのに昭和64年になっている可能性が高い (1月7日まで昭和、1月8日から平成)

「1926年はぜんぶ大正15年にしてしまえ」とかいうわけにはいかないのは、松田喜一の「昭和村」のような例もあるからです (1926年の年末に入植したのでこの名にしたと、なにかで読んだんだがいま確認できない。要検証貼っときました)。

  • さらに細かいことですが、明治→大正 と 大正→昭和 では、改元は即日施行されています。ですからこの2回の改元施行日当日は、新元号とみなしてさしつかえないようにもおもわれます。しかし、時刻によって旧元号だったり新元号だったりするとも言えます (実際、下の「大正」への改元の詔書の日付は明治45年、それを公布する告示の日付は大正元年です)。
    • {{jdate}}はパラメータに月日まで指定できますが、問題の日に関しては旧元号を採用しています (下表「*」の日)。
{{和暦}} {{jdate}} - 改元公布日 / 公布日の翌日 元号の期間
1912年(大正元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1912年明治45年) - 1912年明治45年)7月30日* / 1912年大正元年)7月31日 7月30まで明治、7月30日から大正
1926年(昭和元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1926年大正15年) - 1926年大正15年)12月25日* / 1926年昭和元年)12月26日 12月25日まで大正、12月25日から昭和
1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] 1989年昭和64年) - 1989年昭和64年)1月7日 / 1989年平成元年)1月8日 1月7日まで昭和、1月8日から平成

参考まで、根拠法令の引用。[§7 1][§7 2][§7 3]

具体的な対象記事のデータは後日出します。--Hatukanezumi 2010年7月26日 (月) 13:49 (UTC) すこし加筆--Hatukanezumi 2010年7月26日 (月) 14:13 (UTC) 根拠法令を脚注に移しました。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 14:10 (UTC)

報告 Template‐ノート:和暦/利用実態調査#明治改暦以降の改元年にだいたい掲載しました。200件あまりあります。検証にご協力ください。--Hatukanezumi 2010年7月28日 (水) 15:10 (UTC)

検証が必要な年代表示への対応の提案[編集]

両テンプレートの変更の提案です[§7 4]

問題点は次のとおりだと考えます。

  • 近代以降の改元年で、年号が正しく表示されないことがある。- 1912、1926、1989年。
  • 旧暦年は西暦と年末年初がずれるため、西暦と和暦の間で一対一に変換することはできない。やはり、年号が正しく表示されないことがある[§7 5]。- 1872年以前。
  • 加えて、執筆で参照した資料に西暦が記載してあった場合、年号がさらに1年ずれることがある[§7 6]。1872年以前。
  • テンプレート呼び出しになっているとソース上で表示結果を直接見ることができないため、確認や修正がしにくい。

対策として、次のように提案します。

  1. 両テンプレートで上記の年代を表示している箇所は、substした上で、注意書きのテンプレートを貼り付ける。
  2. その上で、両テンプレートでは、上記の年代を変換しないようにする。単に西暦年記事へのリンク (例: 1855年) を表示させる。
  3. 合わせて、上記の年代で年号を正しく表示させるためのオプション ({{和暦|1926t}}{{jdate|1926|*}}といったもの) も廃止する。

1. のねらいは、自動換算された年号が編集者にわかるようにすることで、検証に協力してもらうことです。注意書きのテンプレートはこれから試作します。substとテンプレート貼り付けはボットでの処理を予定しています。

2. のねらいは、これ以上自動換算された年号をふやさないことです。また、単に西暦年記事へのリンクとすることで、過去版での表示への影響を少なくできます。

3. は、もともと年代が正確に変換できないことの対策として導入されたオプションですから、変換しなくなれば不要になります。

コメントなどください。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 03:16 (UTC)

コメント 検証作業を無駄に増やすだけで、不適切な手法であると考えます。(1)の目的である「該当記事の編集者への周知」そのものには積極的に賛成しますが、確率的に「正しい(事実かどうかではなく検証可能な)はずの大多数の記述」まで巻き込んでの「テンプレート展開+注意書き追加」には強く反対します。いちいちやってられないからといって、問題のある記事の十倍もの「問題のない記事」にまで注意書きを入れるなど、荒らしと大差ありません。もし大規模に・手っ取り早く・各自でこの問題を解決させたいのであれば、記事冒頭だとかノートにでもテンプレを挿入すれば良いでしょう(そもそも本文に挿入できるような小型のテンプレだけだと心許ない)。
(2)について。この問題には多種多様な原因があります。そもそも出典とする資料が間違った(最適ではない)表記であるもの、ウィキペディアの記事を書いた者の誤解・誤記・テンプレートの無理解によるもの、テンプレートの誤変換によるもの。たとえば学校の教科書などでありがちな「間違った西暦+正しい和暦」という表記を出典として使用された場合、ご提案の(2)を実行すると「間違いだけが残ります」。
(3)について。「正しく表示されるための機能」をわざわざ削除する必要がどこにあるのでしょうか。この項目の前提とする条件が非常に限定的――すなわち「展開・非展開を問わず使用禁止、全面的な廃止」を前提としているため、現時点では、まだこれを提案する段階にあるとは思いません。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 14:36 (UTC)
明治以降の改元年でも、確率的には正しいです。それは作業記録を見ていただければわかるはずです。
旧暦年の機能を廃止する提案は、「やってられないから」ではありません。当初から「検討対象は1000件程度」と述べていたように、旧暦年の検証を自分だけでできるなんて考えていませんでした。
たとえば学校の教科書などでありがちな「間違った西暦+正しい和暦」という表記を出典として使用された場合、ご提案の(2)を実行すると「間違いだけが残ります」。
「間違った西暦」ではないです。#本テンプレート作成の趣旨の唐棣色さんの説明を読んでください。それと同じ方式で換算された西暦であれば、問題は起こりません。問題が起こるのはそれ以外の場合です。どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではないから、問題が起こるのです。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 14:48 (UTC)
なんか話が通じていなかったようです。たとえば、和暦の「天正14年12月1日」の出来事は、本来は西暦換算すると1587年ですが、これを「1586(天正14)年」とするような資料・教科書もあり、それをもとに {{和暦|1586}} と書き、「1586年(天正14年)」と表示させる。……そういう使用法は想定すべきでしょう。この場合、Hatukanezumiさんの (2) の提案を実行すると、「1586年」のみとなり、検証可能性の点では問題ないのですが、「正しい表示のみを消し、間違った表示のみを残す」ことになります。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 14:59 (UTC) 一部修正[24]。--氷鷺 2010年8月15日 (日) 15:03 (UTC)
まず、1. を実施します。記事中に「{{和暦|1586}}」と入力されていれば、それは「[[1586年]](天正14年){{注意書き}}」として保存されます。
次に、2. を実施します。その後の編集では「{{和暦|1586}}」と入力しても、「1586年」と表示されるだけであり、「正しいか間違っているか」が問題になるような表示が新たに作られることはありません。--Hatukanezumi 2010年8月15日 (日) 22:04 (UTC)
そもそも(1)には反対しているのですが、(1)を実施したところで、それは最新版にしか影響は出ません。過去の版では、私が言っているように「正しい表示のみを消し、間違った表示のみを残す」ようなことをしてしまう場合があります。このような杜撰な方法で「過去版での表示への影響を少なく」したつもりですか。むしろ有害でさえあるのですが。これなら、「何も返さない」白紙のテンプレートにでもしたほうがまだマシです。--氷鷺 2010年8月16日 (月) 02:03 (UTC)
追記: 本当に、こういういい加減な、およそ改善とはいえない対処をされるくらいなら、(展開・非展開問わず使用禁止にするのであれば)削除してしまって記事中に Template:和暦 とでもエラーを発生させた方がまだ良いです。--氷鷺 2010年8月16日 (月) 02:09 (UTC)
コメント Hatukanezumiさんが問題視されていることのうち「旧暦年は西暦と年末年初がずれるため~」と「加えて、執筆で参照した資料に西暦が記載してあった場合~」は、テンプレートを使用した場合に限らず、1872年以前の年代について和暦と西暦を併記した場合には必ず生じます。和暦と西暦の併記に関する議論は、Wikipedia‐ノート:表記ガイド#西暦と和暦を併記する際の順序についてWikipedia‐ノート:表記ガイド#西暦が判明しない場合の扱いなどで行われています。まず、そちらで近代以前の和暦西暦の併記禁止をご提案してみては如何でしょうか。--唐棣色 2010年8月16日 (月) 02:26 (UTC)
西暦と和暦の併記を禁止することを提案するつもりはありません。両テンプレートを使って併記を実現することにはいくつかの問題があるという指摘が、複数のかたから出ています。それをうけて、対策を提案しています。当ノートおよび当ノートの過去ログの議論を読み返してください。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:36 (UTC)
コメント 過去版への対応には、いくつかの選択肢があるとおもいます。
  1. テンプレート修正の結果無効になった仕様はエラーにする。わたしはどちらかというとこれに賛成なのです。過去版でまで適切な (ように見える) 動作をさせようとするのは、テンプレートの今後のメンテナンスで労力が増えるとおもっているので。
    : {{和暦|1856}}和暦 - 対応していない年代です。
  2. パラメータとして入力された年をそのまま年号として表示する。別件で「かつて正常 (らしく) 表示されていたものが過去版でエラーあつかいされてしまうのは不自然」(大意) という意見がでたことを考慮して、まずはこの方法を提案してみました。執筆者が入力した年をそのまま表示するのですから、テンプレートの動作の結果として表示が正しいとか間違っているとかいうことにはなりません。
    : {{和暦|1856}}1856年
  3. テンプレートを修正するより前の版の記事の中で呼び出された場合は、テンプレートも修正前の動作をする。わたしもこんなことをするくらいなら 1. のほうがいいとはおもいますが、実現するだけなら難しくはありません。{{REVISIONTIMESTAMP}}変数などをチェックすればできます。
    (過去版のみ): {{和暦|1856}}1856年(安政3年)
どうするのがいいでしょうか。 --Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:36 (UTC) 例追加--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 08:59 (UTC) 付記: 今週は仕事の関係でウィキペディアへのアクセスが間遠になります。議論はすすめてください。--Hatukanezumi 2010年8月16日 (月) 14:19 (UTC)

提案 続き。

上で予告していた「注意書き」の文書の案を作成してみました。利用者:Hatukanezumi/Wikipedia:年代の換算です。

  • テンプレートにかぎらず、編集一般に通じるものになることを意図しています。
  • 年齢については、Template:享年が廃止された経緯もありますのでついでに解説しようとおもいます。どなたか加筆してくださるのなら歓迎します (利用者名前空間にありますが、加筆はかまいません)。

この説明へのリンクを、次のようなかたちでテンプレートとして付与してはどうかと考えます。

  • リンクは編集者向けの情報なので、{{要出典}}や{{要検証}}と同様に、CSSのnoprintクラス (印刷時は表示されない) を付与してあります。
……は、1601年(慶長6年)[年号要検証]に……

大勢のひとに検証を手伝ってもらうためには、こういったものが必要だと考えます。またこれによって、substしてもテンプレートによって自動換算された年代だとわかるので、修正作業がやりやすくなります。--Hatukanezumi 2010年8月22日 (日) 03:23 (UTC) 注意書きテンプレート案変更にともないエラーとなった表示を修正--Hatukanezumi 2010年9月5日 (日) 06:04 (UTC)

コメント 提案を修正しました。わかりにくくなるので節をあらためます。#改訂提案: 検証が必要な年代表示への対応で続けます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:23 (UTC)

間違いが起こる場合[編集]

年号のエラーというものはテンプレートを使用しなくても発生するものです。1ヶ月以上前に行ったことですが、西暦と和暦が整合しているか、都道府県市町村のページで確認したところ2%のページで間違いがあることを確認しました。また、そもそも年号自体が間違っている(例えば、東京オリンピックの年を1965年としてしまう)ような機械では処理できないようなエラーは数限りなく存在することが予想されます。そのような状況において、改元一つを取り上げて片っ端からエラー表示を発生させようなどという計画は正直なところ正気の沙汰とは思えません。この手の大規模な草取りの試みについては、メリットとデメリットをよく勘案した上で処理して頂きたいところです。--Lincun 2010年8月21日 (土) 14:05 (UTC)
調べて修正する作業は大変ですが、有用な働きだとおもいます。
さて、このノートでは、テンプレートの改良について話し合っています。
人間が書いた年号にも間違いはあるでしょう。しかしそのことは、ここで話し合っているテンプレートで自動的に換算することによって誤った年代が表示されてもいい、ということにはなりません。
もうひとつ。ここでは、テンプレートによって引き起こされた問題をどう解決するかについて話し合っています。
Template‐ノート:和暦/利用実態調査での作業結果なども見ていただけるとわかるかとおもいますが、テンプレートは、作者の意図どおりに使われるとは限りません。「○○の点に注意して使わないと、正しい表示が得られない」とテンプレートページに書いてあっても、そういう使いかたは現に起こっているのです。ですからこの問題は、テンプレートに原因があるのです。
さらにもうひとつ。ここでは、改元年の話だけをしていません。旧暦と西暦のずれによって起こる問題も対象です。--Hatukanezumi 2010年8月21日 (土) 15:51 (UTC)
改元があった年の元号に誤りがないかという問題は、Jdateや和暦の使用の如何にかかわらず発生している問題です(特に最近では一部の方がJdateと和暦を機械的に置換されていたようですので)。これをチェックするとなれば、西暦と和暦がセットで表示されている箇所全てにおいてあなたが言う処理を行う必要が出てくることになると思います。それをbotを使って目印をつけていくというのはさほど難しいことではないでしょうが、それを人間が確かめていくというのは相当きつい作業になることが予想されます。で、その辺の作業要員をあなたはきちんと確保できる見込みがあるのですか?以前、こういう([25])大失敗を犯しているあなたのことですから、なおさら、今回の提案が現実的なものとは思えないのです。--Lincun 2010年8月22日 (日) 02:03 (UTC)

報告 ようやく夏休みがとれたので、まる3日つぶして100件ほど検証してみました。{{jdate}}の仕様外 (1872年以前) のほぼすべてです。Template‐ノート:和暦/利用実態調査/誤記#jdate - 仕様外を参照。

こんなペースですから、多くのひとに手伝ってもらえれば、長くても1、2年で検証は終わるでしょう。別にしめきりがあるわけではないので、いつまでかかったっていいのですが。

さて、検証が必要な年代への対応について、提案していたことをすすめていこうとおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 01:21 (UTC)

賛否表明[編集]

  • 反対  本節においてHatukanezumiさんが提案するテンプレートの改変に反対します。Hatukanezumiさんが問題視する表示の大部分は、そもそも誤った表示ではないからです。--唐棣色 2010年8月22日 (日) 09:05 (UTC)
うーん、しかし、誤った表示になっている可能性があるのだよね。誤っているものをみつけたら、修正すべきだ。このとき、ふたつの問題がある。
  1. 旧暦年号については、テンプレートを使うと、誤っていても直せない。したがって、テンプレートを使うのをやめて、同時に、テンプレートを使ったために誤った表示になっている可能性があることをわかるようにしなければならない。
  2. そもそも、テンプレートになっていると、実際の記事でなにが表示されるのかがわかりにくく、編集しにくい、という意見が複数ある。テンプレートのままにしておくと、そうでないときよりも誤りが直されにくくなってしまう (このことは、/誤記の実例に、半年も修正されなかったものがいくつもあることでもわかる)。
    • 「テンプレートの使いかたをおぼえればいい」という話ではないとおもうよ。ウィキペディアには日々、新しい執筆者が入ってくる。そのひとたちに、「単なるテキスト編集だけではなくてテンプレートの使いかたもおぼえないと年代を編集してはいけない」とは、言えない。
うまくいかないことがあったら、直せばいい。協力しあって直していくことで、だんだんいいものになっていく。それがウィキペディアの長所だとおもうんだよね。
だからみんな、テンプレートの主作者の唐棣色さんに「問題のあるところを責任持って全部直せ」なんて言わないでしょう? 直さなければいけないところを自分で探して、自分で直す。よいものになるように助け合うのが、ウィキペディアだから。
で、テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。わたしは、問題のある機能はとりあえず停止して、いままで起きた問題はみんなでみつけて直していくしかないとおもうのだけど (もちろん、上で書いたように、過去版では従来の表示を続けるといったことは可能ですよ)。--Hatukanezumi 2010年8月23日 (月) 14:57 (UTC)

唐棣色さん、質問へのお返事をください。--Hatukanezumi 2010年8月26日 (木) 04:38 (UTC)

Hatukanezumiさんのお考えは、「月」と「日」が完全に確定できなければ和暦年と西暦年の併記は必ず「誤った表示」になっている可能性があるため、絶対に認めないというものです(なお、この考え方は、テンプレートの使用如何に関わらないものと思われます。)。これに対して、私やガイドライン(Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間)の考え方では、そもそも月日が確定できなくとも、和暦年と西暦年がおおむね対応一致していれば「誤った表示」ではないというものです。もちろん、月日まで完全に確定している歴史的事実に関する記述においては、正確な和暦年と西暦年を記載すべきです。しかし、日付まで正確に書けないからといって、のべつまくなし間違っていると断定して注意書きを貼り付けろというのはあまりにも乱暴なご提案です。このように、「誤った表示」の評価というスタートラインから齟齬があり、その対応についても著しく穏当を欠いていると考えるため、Hatukanezumiさんの提案には反対致します。--唐棣色 2010年8月28日 (土) 05:33 (UTC)
「絶対に認めない」のではありません。
まず、テンプレートを使わないで書いた年号のことを考えてみます。書いたものが誤っていたのなら直せばいい。だれでもまちがいはするものだから、それをいちいちとがめる必要はないです。
しかし、「だれでもまちがうことはあるのだから、わたしが書いたものを直すのには反対だ」というひとがいたら、どうおもいますか。
次に、テンプレートを使った表示結果のことを考えてみてください。テンプレートを使うと誤った結果がでるのなら、テンプレートを直せばいい
しかし、あなたの言っているのは、「テンプレートの表示結果全部が間違っているわけではないから、テンプレートを直すのには反対だ」ということじゃないですか。
まだ質問にお答えいただいていません。テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:44 (UTC)

改訂提案: 検証が必要な年代表示への対応[編集]

上の提案に寄せられたコメントを見て、不明確な点もあったとおもいますので、再度提案しなおします。

問題点は次のとおりだと考えます。

  • 一部の年代で、テンプレートの仕様を熟知していないと年号が正しく表示されない。
    • 近代以降の改元年 (1912、1926、1989年) で、元号が正しく表示されないことがある。
    • 旧暦年 (1872年以前、明治5年以前) の年号が正しく表示されないことがある。これについては、間違っている場合にはテンプレートを使用するかぎり正しく表示できない。
    これらについて、Wikipedia:年代の換算にまとめてみましたので、ご覧ください。
  • テンプレート呼び出しになっているとソース上で表示結果を直接見ることができないため、確認や修正がしにくい。

このような年号や元号のまちがいは、テンプレートを使わない執筆でも起きうることです。しかしそのことは、テンプレートがまちがいを生む動作をしていてもそれを正さなくていいということを意味しません

対策のねらいは次のとおりです。

  • 自動換算された年号が編集者にわかるようにすることで、検証に協力してもらうこと。
  • これ以上、自動換算によって検証が必要になる年号表示をふやさないこと。

対策の具体的な内容ですが、次のステップで両テンプレート ({{jdate}}、{{和暦}}) を変更していくこととします。例として、「{{和暦|1912}}」と入力した場合の表示を、各修正でどのようにするかの案を付記します。

  1. 現在は、なんらかの年号が表示されるようになっています。
    {{和暦|1912}}1912年(大正元年)
  2. 両テンプレートで上記の年代を表示するときは、注意書きのテンプレートを含める。このテンプレートはsubstしても残るようにする。
    {{和暦|1912}}1912年(大正元年)[元号要検証]
  3. 記事中で該当する表示になっているものをsubst展開する。
    [[1912年]](大正元年){{年代要検証}}1912年(大正元年)[元号要検証]
  4. 該当する表示になっているものすべてのsubst展開が完了したら、両テンプレートで、上記の年代への対応をやめる。新たにテンプレートが使われた場合は、エラーメッセージを表示するようにする。
    {{和暦|1912}}和暦 - 対応していない年代です

3. でsubst展開されたものは、4. でテンプレートを変更しても表示は変わりません。いっぽう、4. での変更により、問題のある年代の表示はそれ以上増えません。

前回の提案からの変更点は次のとおりです。

  • 年号を正しく表示させるためのオプション ({{和暦|1926t}}{{jdate|1926|*}}といったもの) は廃止しない。テンプレートの動作によって間違った表示になる場合が問題なのですから、このようなオプションに問題はありません。
  • ボットで注意書きリンクを貼り付けるのではなく、修正の過程でテンプレートそのものに注意書き機能をもたせる。このことで、subst展開を短期間に行う必要がなくなる。

1週間程度待って、特に異論なければ、上記のステップ 2. から順次実施していきます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:20 (UTC) 微加筆--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 03:25 (UTC) 説明追記--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:52 (UTC) 注意書きテンプレート案変更にともないエラーとなった表示を修正--Hatukanezumi 2010年9月5日 (日) 06:04 (UTC)

改訂提案に対する賛否表明[編集]

  • 反対  本節においてHatukanezumiさんが提案するテンプレートの改変に反対します。Hatukanezumiさんが問題視する表示の大部分は、そもそも「誤った表示」ではないからです。改訂においてもこの点についてのお考えに変更はないと解されるため、あらためて反対意見を表明致します。--唐棣色 2010年8月28日 (土) 05:33 (UTC)
    • 質問 でわたしはあなたに質問をしているわけですから、まずそれにお答えいただけないでしょうか。答えずに同じ発言を繰り返すのは、他人と話し合う姿勢ではありません。
      もうひとつ質問します (これへの答えは、上の質問にお答えいただいてからでけっこうです)。Template‐ノート:和暦/利用実態調査およびTemplate‐ノート:和暦/利用実態調査/誤記#jdate - 仕様外の作業結果をみると、修正されたものがいくつもあります。{{和暦|1926}}{{jdate|1989}}は修正が非常に多いです。それだけではなく、{{jdate|...}}の1872年以前でも少なからず修正が必要になっています。これを「大部分は、そもそも『誤った表示』ではない」とする理由はなんですか。作業結果の実例に基づいてご回答ください。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:18 (UTC) 失礼。前の件には答えをいただいていました。取り消します。後の件にお答えください。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 06:34 (UTC)
      • コメント私は改元年(特に1912年(和暦・jdate両方)・1926年(和暦が主)・1989年(jdateが主))に関しては「決定的な欠陥」だと思っています。とかいうとLincun氏が「なんで、jdateの欠陥のあるバージョンでsubst:化したんだ」と文句を言ってきそうなので先回りしておきます。subst化の提案は私ですが、作業を行ったのは私ではありません。ちゃんと分けて発言してもらいたいですね。怒りに任せて(?)十把一絡げに批判しないように。--Goki 2010年8月28日 (土) 12:01 (UTC)
        • 提案をしても作業さえしなければ矛盾にはならない…ですか。いよいよなりふり構っていられなくなりましたか。あと、Gokiというユーザが私にとって不愉快な存在であるという点については私は否定するつもりはありません。ただ、2ヶ月間にも渡って連日、Jdateと和暦を除去する作業に没頭し、また時には別人に成りすましてまでJdateと和暦の排除を主張をしないではいられないぐらいの精神状態にはないと自分では思っています。--Lincun 2010年8月29日 (日) 14:35 (UTC)

報告 この件について、コメント依頼を提出しました。わたしは当面、寄せられるコメントを読んでいることにします。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 07:04 (UTC)

  • 1912年・1926年・1989年のみ(あるいは改元年のみ)、(2)の注意書きを入れることに積極的に賛成します。ただし、(3)および(4)については強く反対します。--氷鷺 2010年8月28日 (土) 12:24 (UTC)
    • 第三者のコメントを募っているところですから、意見には理由をのべていただきたいです。▼近代の改元年のみ注意書きを入れることに積極的に賛成で、旧暦年はそうではないのはなぜですか。▼注意書きのあるものをsubst化することに反対なのはなぜですか。▼subst化が完了したことを確認した上で該当機能を停止するのに反対なのはなぜですか。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 12:58 (UTC)
      • 元号や日付の指定がない場合に、勝手にいずれかの元号が選択されるシステムでは、改元年において約1%から約99%まで、平均50%の誤りが発生します(1989年では前者、1926年では後者)。旧暦と新暦の差を問題とする場合は1割の誤りしか発生しません。旧暦・新暦の差については、問題のないものが圧倒的に多く、そもそもそれは日本の暦法がはらむ問題に起因するものです。
        (3)(4)について。むしろ、提案でその理由が説明されていませんが。subst展開する理由も、対応をやめる理由もありません。過去版での表示は、その当時のものを残すよう努力すべきでしょうし、1989s とか 1926t のような引数での対応で十分です。テンプレートのままだとソースが分かりづらいなどという意見がありますが、本来記事ではリンクや脚注といった、ややこしいものを「使っているはず」であり、ある程度のウィキリテラシー?は要求されるべき(最初は分からなくて当然だけど、徐々に学んでいくべき)です。少なくとも、分かりづらいから云々という今時の過保護な親のような姿勢で物事を考えるべきではありません(それは、新規参加者への「親切」とは全く異なるものです)。もし仮に、どうやっても、いつまでたっても、{{和暦|2010}} の意味も使い方も理解できない方がいたとしても――ウィキペディアに参加できる程度の(記事が書ける、日本語を理解できる、基本方針や著作権を理解できる)常識的な知性をもっていれば、最初こそ「些細な」失敗をするかもしれませんが、何の問題も起きません。--氷鷺 2010年8月28日 (土) 14:09 (UTC)
        • コメント テンプレートを使うと誤った結果が出るのなら、テンプレートを使わなければよいだけです。何も、すべての場合においてテンプレートが正しい挙動をするように保証する必要はないのです。間違った挙動をする可能性がある場合は、[年代要検証]タグなどを表示して、年号を検証するように促す、これで十分です。または、「自動換算せず、西暦のみ表示する」でもいいと思います。また、前も別件で話したと思いますが、過去版でエラー表示が大量に出てくる可能性があることには強い抵抗があります。このテンプレートは本文中に使われる訳ですから、エラー表示で本文が寸断されると余計に違和感を感じます。(4)の作業をしないのなら、(3)の作業を行う必要もありませんね。--新幹線 2010年8月28日 (土) 14:17 (UTC)
        • コメント 第三者のコメントがまだきませんのでもうすこし。
          ウィキペディアの参加の条件には、特定のテンプレートの使いかたをおぼえることは入っていません。まして、「1989s」「1926t」といった略記法を学ぶ義務は参加者にはありません。もっと言うと、とりあえず「昭和元年」とか「1989年」と書ければ十分で、それ以上のスタイルの整頓は他人にまかせてもいいのです。それが、ウィキペディアの要求するリテラシーです。
          ところが、年号換算系テンプレートは、使ったとたんに本文の記述な不可欠な一部になってしまうので、テンプレートとして記事中にある限り使わざるをえません。そして、複雑な引数をおぼえないと修正もできないし、そもそも、使いかたを間違っていても気づきません。だから、実力のある編集者が何人もかかわっているような明仁の項目でも、「現在の天皇の即位皇位継承は平成元年だった」[26]なんていう間違いが放置されるのです。
          ambox系のような本文に直接影響しないものならともかく、本文の一部として義務化するのには、絶対に反対です。まして、subst展開するというだけで反対だなどというのは論外とおもいます。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 16:07 (UTC) 訂正。即位の礼は諒闇が明けてからだね。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 05:57 (UTC)
          • この程度で複雑というのなら、脚注なんて触ることもできないと思うんですがね。まぁ、仮に「複雑」なのだとしたら、それはそもそも日本の暦法が複雑という「だけ」のお話です。難しい難しいって言ったところで、それはテンプレートの問題ではありません。普通の人は、1989/1/1が昭和だとか、1926/4/1が大正だとか、気にしませんよ。改元年でも片方(主に「元年」のほう)のみの表記とすることは普通に、公的な文書でも(統計や年表では特に)ありますし、教科書などでも旧暦新暦の差は無視してあることが普通にあります。万が一、執筆者がちゃんと理解していたなら、テンプレートを使うときに気付くはずです。
            使い方を間違えるひとは、どうやっても間違えるし、あなたが言っているのは「灰皿で人を殴ると死ぬから灰皿は凶器だ規制しろ」ということに過ぎません。「じゃあ、灰皿を掴んだら警告を出そう」というのがあなたの提案 (2) の段階。しかし、それでは問題のない使い方をしている人に迷惑だから、「殴る姿勢をとったら警告」としようと私は言っています。というか、義務化だとか使わざるを得ないとか、誰と話しているのですか? 義務づけたり強制させたりしたがっているのはあなたの方でしょう? --氷鷺 2010年8月30日 (月) 10:45 (UTC)
        • ついでに言いますと、今回の提案では、subst展開の完了に期限を決めていません。問題の対象となる記事は、わたしが調べたところ最大で約3000項目ありますが、subst展開はボットで3日で終えることもできますし、ひとりひとりが編集のついでにやれば3年かかるかもしれません。どのようにしてsubst展開するか、どれだけの時間をかけるかについては、今回は提案しておりません。--Hatukanezumi 2010年8月28日 (土) 16:07 (UTC)
  • (2に賛成)改元年についての2(要検証年代の付記)について賛成します。ただし、出力結果は「 1912年(明治45年または大正元年)[年代要検証]」というようなのがよかろうかと思います。そして4(エラー表示)への変更はせず、将来も2のまま表示させるのがよいと思います。このテンプレートの使用者はみな換算のずれに不注意であると決めてかかるべきです。他の手段で正確な結果を取得・予想できる人には使用の動機がありませんからね。そうしますと、不注意な使用をしても嘘を吐かずに一応使える、堅牢設計のテンプレートが望ましいです。だから、「要検証年代」を出すのは大変結構なことです。しかし同じ理由でエラー表示には賛成しかねます。使用者がエラーメッセージに気づかず去ってしまう場合もあるでしょう。不注意な使用で記事が壊されるのはいやです。これを旧暦年のすべてについても適用すべきかは、今まだ考えがまとまりません。できればまた後でコメントしたいと思います。--Kinori 2010年9月3日 (金) 09:41 (UTC) 注意書きテンプレート案変更にともないエラーとなった表示を修正させていただきました--Hatukanezumi 2010年9月5日 (日) 06:04 (UTC)

旧暦年代について[編集]

  • コメント 氷鷺さんの意見に対してもうひとこと。
    旧暦年代については、このテンプレートを使っているかぎり間違っていても直せない (Wikipedia:年代の換算#旧暦年号の換算参照)、ということについてどう考えるのでしょうか。積極的にsubstして、修正できるようにし、最終的にはこの機能をなくしたほうがいいんじゃないでしょうか。
    もうひとつ。間違う確率についての意見ですが、上で述べたように、テンプレートの表示結果を確認していないか、直しかたがわからないと見られるものは、いくつもみつかります。テンプレートを使っていなければ、直すのは容易です。つまり、テンプレートの使用は間違いの確率を高めているのです。確率の高い箇所には注意書きをいれたほうが、訂正のたすけになるんじゃないでしょうか。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 05:57 (UTC)
    • 直したければそこだけテンプレートを使わなければ良いし、使用・不使用が混在するのが嫌だという潔癖症の方は、その記事の中のテンプレートを展開すればいいでしょう。というか、「平成元年1月1日」も表現のひとつとしては間違っていないんですがね。たかだか1割の確率で大騒ぎするのもどうかと思いますが、その「テンプレートの使用が間違いの確率を高めている」というのが事実とは異なります。ウィキペディアンのうち、いったい何%が、改元や旧暦の問題を知っていて、かつそれを「正しく」書くことに注意を払っているでしょうか? あるいは、参考とされた資料のうち、何割が「正しく適切な」年月日の表記を用いているでしょうか。テンプレートを使用しなくても「間違えていたはず」です。テンプレートのせいで間違いの確率が高くなる可能性はそう高くありません。編集画面やSitenoticeにでも注意書きを入れた方が良いのでは。--氷鷺 2010年8月30日 (月) 10:45 (UTC)
  • コメント (インデント戻す) うん。直したければテンプレートを使わないことになりますね。つまり、このテンプレートを使うときは、文中で年号を記述するごとに、表示結果が正しいかどうかを確かめて、使うか使わないかを判断しなければならないということだ。……なにかおかしくないか?
    さて、Template‐ノート:和暦/利用実態調査ではまだ旧暦の事例が少ないのだけれど、それでも検証作業をするなかでわかることは、少なくない筆者が、年号が正しいかどうか注意深く確認して書いている、ということだ。まして年月日まで書く場合なら、ちゃんと新暦と旧暦を区別している。そのための資料を参照するのは難しくない (図書館なんかで「日本史年表」のたぐいを調べればできる)。逆に、テンプレートの換算にたよると確かめなくなりやすいこともわかる。
    別の例: この例。「{{jdate|1872}}」の2箇所はどちらも「明治5年」に換算されるが、あとのほうは間違っている。しかもそれを信用したためか、本文の叙述が時系列と逆になっている。人間が資料で年号をたしかめていれば (たしかめられないときは参照した資料にもとづいて西暦年のみ書いていれば)、こんな間違いはおきない。同じ原因で生じたとおもわれる間違いはほかにもいくつもある。
    わたしが言いたいのは、両テンプレートの処理が人間の執筆者の判断力や誤り修正力と同等の正確さをもつとは到底いえない、ということだ。まして、ウィキペディアで活動する執筆者たちの調査力や資料読解力を不当に低く見積もることでテンプレートの「有能さ」を相対的にきわだたせようとするのは、不毛なことだ。--Hatukanezumi 2010年8月30日 (月) 14:29 (UTC)


  • 反対 デメリットを上回るメリットが見出せないので反対します。ここで言うデメリットは提案者を除く各人がすでに指摘していることと変わりませんので具体的な話は差し控えさせていただきます。今回の提案の賛否表明を巡って、提案者が根本的なことを勘違いしているようなので、念のために指摘しておきますが、こういった新しい試みの採用の是非は、単にメリットが大きいだとか、新しいアイデアを完成させるのに一生懸命頑張ったとかは関係ありません。メリットがデメリットを上回るかという点に尽きると思います。それから、今回の提案に反対の意思表示をしている人に対して提案者が意思表示を変更するよう粘着している様子が見られますが、こういった行為はやめて頂きたいと思います。わざわざコメント依頼までされたようですが、ここが自由に意思表示ができる場になっているとは思えません。--Lincun 2010年8月29日 (日) 14:14 (UTC)
    • Lincunさんのお考えになるメリットとデメリットをご説明いただけないでしょうか。これまでの意見表明を拝見してきてのわたしの感想は、なにをメリットと見、なにをデメリットと見るかはひとによってさまざまだ、ということです。
      また、「メリットが大きいだとか、新しいアイデアを完成させるのに一生懸命頑張ったとか」とはどんなことを指しているのか、具体的にご説明いただけないでしょうか。具体的なご指摘がなければ、抱いておられるであろうご意見を生かして有益な合意を得ることができません。
      ついでに申し上げますが、わたしには、対話相手の言行に対して立腹しているときに言葉遣いが馬鹿丁寧になるという癖がございます。これ以上、他人の言動をくさすことにのみにご執心のご様子ですと、Lincunさんのご意見をご意見として伺うことを断念せざるをえません。重々ご承知ください。--Hatukanezumi 2010年8月29日 (日) 15:00 (UTC)
      • わざわざこういうコメント([27])を残しているので、自分が頑張っていることをアピールしたいのかと思っていたのですが、そういうわけではないんですか。それと、あなたの言葉遣いがどうのという話ですか、勘のいい人なら結構気づいていると思いますよ。以前から気になっていたのですが、あなたにとって話の通じない相手にはコメント欄に「おへんじ」と記入する傾向がありますよね。しかしそうでもしなければ自分の動揺を抑えられないようであれば、やっぱりウィキペディアでの執筆活動自体を控えられた方が賢明かと思ったりしています。--Lincun 2010年8月29日 (日) 15:36 (UTC)

旧暦年について。和暦テンプレートがする西暦→和暦換算のずれは、端的に誤りです。教科書でも、他のどこでも、許容されていません。この点は、反対している方々に誤解があるのではないかと思います。許容されているのは、jdateテンプレートがなしうるような、和暦→西暦換算で発生するずれです。どういうわけか、和暦テンプレートは明治以前も使え、jdateは明治以前に使えないことになっていますが、これは本当は逆であるべきだったのです。(取り消し線はKinori 2010年9月6日 (月) 12:12 (UTC)

研究者がする仕事を思い起こせば、「西暦→和暦換算のずれ」がおきない理由は簡単に了解できると思います。たとえば『類聚三代格』に貞観16年12月26日付の太政官符が載っていれば、書かれているそのまま「貞観16年12月26日の太政官符では云々」と書くのが当然・自然です。ここのところで、本当は875年なのに「貞観16年(874)12月26日」と間違って書くのは、実際よくあります。そのようなずれは、凡例で断ってすることもあるし、断りなしにすることもあります。たぶん、幕末でこういう書き方をすると厳しく突っ込まれるでしょうが、古代史ならいくらでもあります。しかし、専門の書籍・論文でここをわざわざ「875年x月x日の太政官符」と貞観16年の部分を略すことはありません。専門の書籍・論文にも、それをもとにして書かれるもの(例えば教科書)にも、特に注記がないかぎり和暦表示が元になっているという了解が当然のこととしてあります。そういう適切な資料をもとにして書いている限り、西暦から和暦に換算するという需要はないので、和暦がずれる事態は起こりようがないのです。

西暦からの換算は、この当然の了解を持たない人が、西暦しか書いていない資料(日本史分野で参考にするにはあまりよくない資料)を利用する場合におきます。あるいはまったく何も参考にしないまま、ウィキペディアの編集画面を開いて機械的にテンプレートを適用する場合にもおきるでしょう。あるいはひょっとしたら、正しい和暦・西暦を併記した資料を参照しながら、和暦テンプレートを使って書くのがウィキリテラシーなのだ、と信じてする場合もあるかもしれません。これらいずれにせよ、近世以前で和暦テンプレートを使っている人は、歴史系執筆者としてのレベルが低いのです。和暦テンプレートを使っていない人も同じような誤りをしているはずだ、という推定はあたりません。一つの記事が複数分野にまたがっていることはよくあるので、日本史のレベルが低い人が記事をいじってはいけない、ということはないです。が、どういう人でも、他の手段で簡単に避けられる誤りを避けようとせずに編集を続けたり、続けさせようとするなら、それは問題でしょう。1割くらい和暦表示が1年ずれてもいい、ということにすると、程度の低い人に合わせるため、あるいはテンプレートの使用を自己目的化した人に合わせるために、ウィキペディア独自基準を導入することになります。それは、量だけでなく質においても史上最高をめざす百科事典にふさわしい基準ではありません。

改元の問題も本質的には明治以降と変わりません。『続日本紀』以下の史書は改元を遡って適用しているので、それと同じ方式で元年を改元前の正月まで遡らせて書く場合も確かにあります。和暦テンプレートの標準と同じです。しかしだからといって大同5年5月11日の太政官符が弘仁元年5月11日の太政官符になるわけではありません。こういう換算も誤りではない、と言い張るのは、一個の理屈としては成り立つかもしれませんが、やはりウィキペディアに独自世界を構築するのはまずいでしょう。

この種の誤りは撲滅すべきです。そういう意味では、和暦テンプレートを明治以前に使用させないようにすべきでしょう。ただそれをどう実現するかは問題になります。エラーメッセージを出すのはやはり気がすすみません。元号を併記するかまったく出さないで「要検証年代」を付ける、というのがスマートかなと思います。明治以前に適用しようとすると必ず「要検証年代」が出るわけですから、簡便さは大きく損なわれ、使用禁止に近い状態が現出するわけですが、何が大事かといえば正確さのほうが大事でしょう。--Kinori 2010年9月5日 (日) 13:24 (UTC)

これほどツッコミ所が多いと困りますね。ここまで間違いが多いと、酔っ払って投稿したのか、それとも別人でしょうか。今後発言を控えるようお願いします。
和暦テンプレートがする西暦→和暦換算のずれは、端的に誤りです。』は誤りです。どれほどの確率で問題なく動作し、どれほどの確率で問題が発生するのか、理解できていますか。
教科書でも、他のどこでも、許容されていません。』は誤りです。西暦と元号、あるいは新暦と旧暦を常に一対一で対応させるような運用は普通にあります。教科書あたりは、むしろその方が主流ではないでしょうか。手元に残っているわけではないのですが、唐棣色さんの発言によると、山川出版社の『詳説日本史』では、「和暦の年から一対一に対応させた西暦の年」+「括弧内に和暦の年」+「和暦の日付」という表記が用いられており、天正14年12月1日(=西暦1587年1月9日)を「1586(天正14)年12月」とする、と凡例に書いてあるそうです。(なお、東京都教育委員会によると、都立高校の来年度の「日本史B」教科書としては 57% のシェアを占める、最も一般的なもののようです)
許容されているのは、jdateテンプレートがなしうるような、和暦→西暦換算で発生するずれです。』は誤りです。jdateテンプレートに、和暦から西暦に換算する機能はありません。そもそも和暦から西暦とか、西暦から和暦という方向は、この問題の本質的なところではありません。
本当は875年なのに「貞観16年(874)12月26日」と間違って書く』 - 凡例で断っていても、それを間違いと主張するのですね。それを厳密に「間違い」であると主張するのなら、大多数の「正しい」使用法までをも巻き込んで「撲滅」だとか「元号部分の非表示化」「要検証」とするのは矛盾しています。
近世以前で和暦テンプレートを使っている人は、歴史系執筆者としてのレベルが低いのです。』と仰る割には、この問題の理解が、他の皆さんのレベルには達していないようですね。歴史系執筆者としてのどの程度のレベルにあると自負されているのか分かりませんが、レベルが低いのはKinoriさんの方ではないでしょうか。
和暦テンプレートを使っていない人も同じような誤りをしているはずだ、という推定はあたりません。』の根拠は何でしょうか。和暦テンプレートを使わなければ問題は何も起きないという、おめでたい勘違いでもなさっているのですか。
大同5年5月11日の太政官符が弘仁元年5月11日の太政官符になるわけではありません。こういう換算も誤りではない、と言い張るのは、一個の理屈としては成り立つかもしれませんが、やはりウィキペディアに独自世界を構築するのはまずいでしょう。』 - そのような換算も誤りではありません。自身がその直前で書いたことすら忘れているのですか。広く使用されているものを「誤り」と断じ、自分一人が正しいとでも自惚れているだけでしょう。テンプレート使用が標準・義務などと考えている愚か者など、いないでしょう。それを否定したいがために、そう被害妄想を膨らませている者がいるだけで。『ウィキペディア独自基準』というのなら、それはむしろあなたの目指すもののことです。もっとも、実現できるのならそれが望ましいし、それを目指すことには賛同しますが、ここで提案されているような「馬鹿なこと」は別です。
何が大事かといえば正確さのほうが大事でしょう』と主張するのに『元号を併記するかまったく出さないで「要検証年代」を付ける、というのがスマート』とは、どういう冗談でしょう。天正14年12月1日(=西暦1587年1月9日)を、「1586年12月」と表示させることの、どこがスマートでしょうか。スマートどころか「頭が悪い」としか形容できない提案です。--氷鷺 2010年9月5日 (日) 23:22 (UTC)
氷鷺さんが挙げた山川の教科書の例は、「和暦→西暦換算のずれ」です。そのような例はたくさんあると私は書きました。私が撲滅すべきと言っているのは、「西暦→和暦換算のずれ」です。そのような例は挙げられないはずです。もう一度私が書いたことを読み直してくれませんか。--Kinori 2010年9月5日 (日) 23:42 (UTC)
「西暦→和暦換算のずれ」は特別な問題ではありません。それが発生する「かもしれない」条件を並べてみてください。どういう風に資料に書かれていて、(ウィキペディアの)執筆者がどう解釈し、どう書いたらその問題が発生するか、理解できていますか。記事の内容のうち1割に間違いがあったら、あるいは1割が「間違いかも知れない」というだけで、あなたはその記事を白紙化したり、一文ごとにすべて要出典を入れるのですか。--氷鷺 2010年9月6日 (月) 03:38 (UTC)
ああ、私は1点大きな間違いをしていました。私は今まで、和暦テンプレートは西暦→和暦で、jdateは和暦→西暦の面倒をみてくれるものだと思いこんでいたのでした。両方とも西暦→和暦だったのですね。これは恥ずかしく、まぬけなことです。問題箇所に取り消し線を引いた上で、立論をやりなおします。
西暦→和暦のずれは、まっとうな文献にはありません。そうした文献を資料として執筆する限り、ウィキペディアでも発生するはずがないものです。ところが和暦テンプレートを信用すると、そのような誤りが簡単に発生してしまいます。これはウィキペディアの記事をあるべき水準以下に引き下げて固定するものです。今後は旧暦年代で和暦テンプレートが使えないよう、「要検証年代」などを積極的に出すべきでしょう。出すべきポイントで警告を出すのは、「記事を白紙化したり、一文ごとにすべて要出典を入れる」こととは異なります。
で、氷鷺さんの質問への答えです。どういう風に資料に書かれ、どういう場合に誤りがおきるか、ですね。どういう資料から和暦テンプレートの使用に至るのかは、上で書きました。読んでください。そのうちどの程度が誤りになるかを推定してみます。
旧暦と新暦のずれは、最大で1割でしょうが、和暦テンプレートにかける西暦年が資料側の和暦→西暦換算によって既にずれていれば、変換後の和暦年はずれ戻して正しくなり、世間で許容されている和暦→西暦換算のずれに落ち着きます。ずれた年代がどのくらいあるかをグーグルからみてみると、「仙台城 1601年築城」(正)は約2410件、「仙台城 1600年築城」(誤)は約3650件。4対6なのでとりあえず4%とみましょうか。
改元年の比率は、大雑把に、247(元号の数) / 1870 - 645 (大化元年から明治3までの年数)という計算で、20%とでてきます。問題の出来事が改元前に起きた場合にだけ不正確になるわけですから、その確率をこれまた大雑把に半分としましょう。10%です。改元後の元号による表記が許容される場合もありますのでこれよりやや減るはずですが、その比率は不明です。
というわけで、誤りを生む確率は1割より低く、かといって1、2%までは下がらないでしょう。とりあえず5%くらいとしておきましょうか。
ともかくも、組織的に誤りを発生させるものに対しては、「要検証年代」を出すべきだと思います。放置すれば将来も誤りを発生させるとわかっており、適切な手を打てば訂正・防止できるとわかっているのに、何の手当てもしないでおこうというのはどう考えてもおかしいです。--Kinori 2010年9月6日 (月) 12:12 (UTC)
旧暦年で西暦→和暦換算をした結果、誤った和暦年が表示される場合があることが問題ということですね。専門書では旧暦は年の表記は和暦が主体であり、西暦は補助的に利用されるに過ぎないという事情を考慮すれば、主体的に表記されている和暦年が間違っていたら確かに深刻な問題ですね。それなら{{和暦}}は廃止して、明治以降のみ使用可能な{{Jdate}}のみ使用可能とする、としたほうが良さそうです。--新幹線 2010年9月6日 (月) 12:32 (UTC)
質問 西暦→和暦の換算で起こる問題について、「西暦年から不正確な和暦年号が算出されること」は致命的で、「和暦年から不正確な西暦年号が算出されること」は許容できる場合もある、という意見が出ているとおもいます。ただ、どちらの問題が起こるかを未然に知ることはできないので、注意書き表示は一律にすることになるでしょう。
で、実は{{和暦}}には、旧暦年の一部について和暦→西暦の換算をする機能もあります。{{和暦|明治|1}} - {{和暦|明治|5}} がそれです[§7 7]。で質問。これについても、当節で提案して議論されているような注意書き表示を行うべきでしょうか。--Hatukanezumi 2010年9月11日 (土) 14:40 (UTC)sf --Hatukanezumi 2010年9月12日 (日) 01:26 (UTC)

提案 {{和暦}}に対して旧暦年号への注意書き表示を行うことを提案します。

  • {{jdate}}については「#Template:Jdate: subst対応の正式化」節で旧暦年対応をほかの対応といっしょに導入することが提案されましたが、当面は議論が停止する見込みです。したがっていまは結論をだせないでしょう。
  • {{和暦}}について考えると、ここまでの議論では「西暦→旧暦」の変換で誤った年号が表示されうることに対する強い懸念があり、それに対する反対はないように見えます。

したがって上のとおり提案します。数日待って特に異論なければ、実施とします。--Hatukanezumi 2010年10月8日 (金) 14:18 (UTC)

「表示の大部分は、そもそも『誤った表示』ではない」という意見ですよね。
では誤ったものはどうしましょう? ……というか、誤っているのはどれでしょう? ……わからないですよね。現状では、テンプレートを使っているすべての表示が、誤っているか正しいかもわからないままになっているのです。
今回の対応を行った場合、旧暦年の表示に対しては、誤っていたにせよ正しかったにせよ、検証された表示にはテンプレートは使われなくなります。しかし、検証することによって誤ったものがなくなるほうが、テンプレートを使いつづけるより、記事にとってはるかによいことだとおもいませんか
以前から質問していますが、いまだにお答えをいただいていません。テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。--Hatukanezumi 2010年10月8日 (金) 14:54 (UTC)
「誤っているか正しいかもわからない」からすべて誤っていることにしろというのは乱暴な主張です。そもそも、これが誤っていると挙げることができない時点で、あなたの主張には根拠がありません。のべつまくなしすべての記事の一行ごとに[要出典]を貼って廻る荒らしの言い分と異なる所がありません。--唐棣色 2010年10月12日 (火) 05:28 (UTC)

ていうか、そもそも明治5年以前の年代について西暦年から和暦年に変換するということ自体おかしなことなんですよね。中学生までに語呂で覚えるような645年、794年、1192年、1333年、1600年、1603年など以外で「西暦年から和暦年に変換する」用途ってあるのでしょうか?(和暦年→西暦年変換ならともかく。)明治5年以前で和暦表記が必要な事象っておおむね和暦がわかっていて西暦にすると何年だったかなって思うものではないでしょうか?また、元の資料に西暦・和暦の双方が書かれていればそもそもテンプレートを使う必要はありませんよね?--Goki 2010年10月8日 (金) 16:35 (UTC)

多くの記事に使われているという事実を以て、その疑問に対する答えは出ていると思います。--唐棣色 2010年10月12日 (火) 05:28 (UTC)
コメント それはちがいます。事実にもとづいて理由を述べます。
近代の改元年対応をした結果、500件以上の記事で{{年代要検証}}タグが貼られることになりました。検証作業もかねて、400あまりの記事で{{和暦}}をsubst展開してみました (ボットを使いました)。変更した記事の一覧を参照ください[28]。「最新」と書かれていない記事は、subst展開後にだれかが編集をしたものです。
で、subst展開から1週間以上がたった現在、編集状況を見ると、subst展開が差し戻された例はほとんどありません。編集された記事の履歴を見ていくとつぎのことがわかります。
  • 差し戻しを行った利用者は3人います。
  • 検証してタグを取り除いた利用者が数人います。
  • そのほかの編集はタグとは無関係です。
このことから言えるのは、
  • {{和暦}}を積極的に使おう、これが使えないと困る、という利用者はほとんどいない、ということです。
    --- 差し戻した3人のうちおひとりも、自分のウォッチしている記事がつぎつぎと編集されたので、おどろいてとりあえず差し戻したようです。
  • 逆に、注意書き表示とsubst展開は間違いの修正に有効だ、ということです。
    --- これまでTemplate‐ノート:和暦/利用実態調査に基づいて検証作業をしていたときは、ほかの利用者にはなかなか手伝ってもらえなかったのですが、注意書き表示を導入し、subst展開で編集しやすくしたら、手伝ってくれとも言わないのにたちまち何人かが検証作業をしてくれました。もちろん、間違いも発見されています。このためもあって、注意書きのある記事はすでに300ほどに減っています。
ところで、Template‐ノート:和暦/利用実態調査の作業をしていて感じることですが、{{和暦}}や{{jdate}}を使っている利用者はそんなに多くない、ということです。積極的に使うのは多くて10数人ではないかとおもいます。そうして使われたものがほかの利用者によって取り除かれないのも上で書いたのと同じ理由で、強いて使おうとは思わないが、単にテンプレートを取り除くだけの無意味な作業をしたくないからでしょう。
テンプレートの使用回数が多いことは、それが支持されているという理由になりません。多くのひとは強い関心を持っていない、というだけの話です。
逆も言えます。唐棣色さんもお気づきのように、発言はしないがこのノートの議論は読んでいる、という利用者が、何人もいます。これまでのテンプレートの変更に対して、それらのひとびとから (発言によってであれ、編集の差し戻しという形であれ)、異議はでていません。沈黙するおおぜいのひとたちは、あなたへの支持を与えているわけではないのです。 --Hatukanezumi 2010年10月12日 (火) 12:42 (UTC)
Hatukanezumiさんの反論は的外れです。まず、subst展開しても表示内容に違いがなければ、常識的なウィキペディアンは差し戻しません。したがって、subst展開後に差し戻しがほとんど無いことは、和暦テンプレートの有用性を否定する理由になりません。また、subst展開後に注意書きをはがす編集が行われたことは、「間違いの修正」が行われたことを意味しません。なぜならば、単に邪魔な注意書きを消すためだけに編集することも多いからです。さらに、botによるsubst展開後に編集された記事が少ないことは、もともと和暦テンプレートの使用に誤りがほとんどないことも意味します。なお、「積極的に使うのは多くて10数人」という推測には何ら根拠がありません。虚心にお読みいただければ理解できると思いますが、私の先の記述は「沈黙するおおぜいのひとたち」を支持根拠とするものではありません。編集における使用という積極的行動を示す事実を以て、テンプレートの有用性を説明するものです。--唐棣色 2010年10月13日 (水) 11:28 (UTC)
subst展開後に注意書きをはがす編集が行われたことは、「間違いの修正」が行われたことを意味しません。
--- これはあきらかに間違いです。編集履歴を示しているのですから、精査して意見を述べてください。
単に邪魔な注意書きを消すためだけに編集することも多い
--- いったいなんの根拠があって、そんなことを言うのでしょうか。まともなウィキペディアンなら、そんな雑な編集はしません。そんなことを繰り返す利用者を「荒らし」と呼びます。
「積極的に使うのは多くて10数人」という推測には何ら根拠がありません。
--- Template‐ノート:和暦/利用実態調査には、一部を除いてすべてのデータを掲載し、アップデートもしてきました。わたしの感覚が信用できないというのなら、実地に調べてみることもできます。
で、実地に調べてみてくださるついでに、検証・修正作業もしてくださるととてもありがたいです。観念的なお話をしていても、記事がよくなるわけではありません。 --Hatukanezumi 2010年10月13日 (水) 11:44 (UTC)
Template‐ノート:和暦/利用実態調査から、どのように「積極的に使うのは多くて10数人」という推測がなされたのか根拠が全くありません。ただの空想でしょう。そもそも定義が不明瞭・主観的な「積極的」という言葉を用いている以上、Hatukanezumiさんの「感覚」はまったく信頼性がありません。生体botによる大規模なテンプレート展開がなされた後でも1万ほどの記事で使用されているわけで、それに対して根拠もなく「積極的に使うのは多くて10数人」と提示されても、嘘としか思えません。Template‐ノート:和暦/利用実態調査を、自分の発言力を強めるために――根拠のない想像をあたかも事実のように断定するために悪用していませんか。たかだか十数人なら、その十数人の名前を書けるはずですよね? 全部は無理でも、十人くらいはいますぐ書けますよね? その、たった十数人による和暦・Jdate適用がどれだけの規模だったのでしょうか。--氷鷺 2010年10月14日 (木) 03:30 (UTC)
「生体botによる大規模なテンプレート展開」…どこが大規模なんだか。事あるたびに人を貶めるような発言を混ぜ続けるのはいい加減にしてもらえないかな。時間の無駄だから。主旨だけを簡潔に書け。--Goki 2010年10月14日 (木) 06:13 (UTC)
自分は具体的な数字を示さず単なる主観で「大規模」とか言い放っておきながら、人には「多い」ことの根拠を求めるっていったい何様のつもりなんでしょう。あきれて開いた口がふさがらない。(注:私はどちらの発言もしていないし、支持もしていないですよ。)--Goki 2010年10月14日 (木) 06:53 (UTC)
もう1点。私がテンプレート展開を行った数なんてせいぜい多くて数百~1000のオーダーだし(展開の基準はあるが人の行為の粗探しばかりする利用者がいる限り開示するつもりはありません。)、「1万ほどの記事で使用されている」これも日本の地方公共団体の記事のすべてに国勢調査のグラフが挿入される(=その時点で{{Jdate}}の使用が確定する)ため実態を表していません。こんなのは言い方次第でどうにでもなる数値なので意味を持たないことを表明しておきます。--Goki 2010年10月15日 (金) 05:26 (UTC)
コメント ええとね。わたしは「は問題ではない」と言ったつもりなんです。ほとんどすべてのひとは、{{和暦}}が使われていてもいなくても、どっちでもいいのです。
まあ分子遺伝学での中立説みたいなもんです……特定の分野の記事でテンプレートの使用回数が多い (ゲノム内に多く見られる塩基配列である) からといって、そのテンプレートが記事を書くのに便利だとか、記事のを高めている (環境からの淘汰圧に対して有利な表現型である) とかいうことを意味してはいない。むしろ、影響がないとおもわれているから、ほとんどのひとは使わない一方で、使ってあってもわざわざ展開・除去しようとはしない。
だから、使用回数にもとづいてテンプレートの有利不利を語ることは、意味のないことだおもうのです。
それより、このテンプレートに関心をもっているひとの意見に耳を傾け、テンプレートを進化させるべきです。もちろん進化というのはただ機能を増やすことだけではありません。無駄な機能や問題を起こす機能を取り去ったり、対策を立てることも「進化」です。それについてはさまざまな意見が、このノートで交わされてきました。それをしたくない、自分のおもうままのテンプレートが使われてさえいれば、それが記事で使われたときにどんな結果を引き起こそうとかまわない、というのであれば、……これ以上わたしから言えることはありませんので、唐棣色さんを説得することはあきらめようとおもいます。
で、もう一度だけ言います。これまでにわたしがした質問 (上のほうのと下のと、ふたつあります) へのご回答を、お待ちしています。--Hatukanezumi 2010年10月15日 (金) 13:55 (UTC)

質問 ところで、以前からよくわからないので質問させてください。唐棣色さんは、旧暦年に注意書き表示を広げることに、どういった問題があると考えるのでしょうか。「必要ない」という意見は何度か述べておられますが、そのことにどういったデメリットがあるのかを具体的に述べたのを読んだことがありません。ご回答よろしく。--Hatukanezumi 2010年10月13日 (水) 11:44 (UTC)

まとめてお返事します。
まず、「subst展開後に注意書きをはがす編集が行われたことは、「間違いの修正」が行われたことを意味しません。」とは、例えば、当初「{{和暦|1989}}」と記述されている部分を、subst展開して「[[1989年]](平成元年){{年代要検証|元号|1989}} 」とされ、「[[1989年]](平成元年)」と修正した場合、表示上は年代要検証テンプレート関連の修正を行う前の「{{和暦|1989}}」と変わらないことを指します。この場合、当初から間違っていないため、subst展開後に注意書きをはがす編集が行われたとしても「間違いの修正」が行われたことを意味しません。このとき、単に「{{年代要検証|元号|1989}}」を消すためだけの編集が行われていますが、これを荒らしというのは失当です。
次に、「多くの記事に使われているという事実を以て、その疑問に対する答えは出ていると思います。」という記述は、Gokiさんの「「西暦年から和暦年に変換する」用途ってあるのでしょうか?」という疑問に対する回答であることをご確認下さい。この回答について、「多くの記事」と書いてしまったために「数」が多いの少ないのということを問題にしているように読み取られてしまったのならば、「そんな用途もあるのでしょう。」と修正しておきます。併せて、私の「先の記述は「沈黙するおおぜいのひとたち」を支持根拠とするものではありません。編集における使用という積極的行動を示す事実を以て、テンプレートの有用性を説明するものです。」という記述も、明確に「数」を問題にしていないことをご確認下さい。
なお、Hatukanezumiさんは、「{{和暦}}や{{jdate}}を使っている利用者はそんなに多くない」「積極的に使うのは多くて10数人」「多くのひとは強い関心を持っていない」「沈黙するおおぜいのひとたちは、あなたへの支持を与えているわけではない」「ほとんどすべてのひとは、{{和暦}}が使われていてもいなくても、どっちでもいい」「ほとんどのひとは使わない」と、明らかに根拠不明の「数」の力を笠に着てかかっているにもかかわらず、「数は問題ではない」とうそぶいてみせます。これは矛盾した挙動だと思われます。むしろ、Template‐ノート:和暦/利用実態調査を自発的に行われているHatukanezumiさんほど「数」にこだわっている方はいないでしょう。
最後に、ご質問への回答ですが、先の二つのご質問についてはすでに答えています。「旧暦年に注意書き表示を広げることに、どういった問題があると考える」のかについても、すでにお答えしています。すなわち、Hatukanezumiさんが問題視する表示の大部分は、そもそも誤った表示ではないからです。--唐棣色 2010年10月18日 (月) 14:14 (UTC)
検証作業の結果同じ表示になったものは、単にsubst展開したものとは異なります。それは「間違っているか正しいかわからない」ものではなく、「検証された」ものになるからです。
検証作業の結果同じ表示にならなかったものそうです。それは「間違っているか正しいかわからない」ものではなく、「検証された」ものになります。
Template‐ノート:和暦/利用実態調査でやっていることは、記事の正確さを確保しようとする作業であって、単にテンプレートの数を数えているわけではありません。
なぜ利用実態調査では「対処」欄にコメントを残せるようにしているのか。なぜTemplate:年代要検証のタグの解説では「参照した資料を記事中に出典として挙げることを推奨します」と書いてあるのか。テンプレートが表示に使われることよりも、記事の内容が正確になり、検証可能性を満たすものになることのほうが重要だからです。
ですから、テンプレートが誤った表示をする可能性があるのなら、その誤りをなくさなければなりません。しかし旧暦年代などいくつかの場合については、どれが誤りであるのか、テンプレート自身で検出することはできません。したがって、なんらかの方法で誤りの可能性を示し、上に述べたように検証をする必要があります。
「大部分は、そもそも誤った表示ではない」ことを問題にしても、それ以外の「誤った表示」が正しくなるわけではないのです。
質問を繰り返します。
  • テンプレートが誤った表示をしている場合の修正を、より多くのひとができるようにするには、どうしたらいいとおもいますか。
  • 唐棣色さんは、旧暦年に注意書き表示を広げることに、どういった問題があると考えるのでしょうか。「必要ない」という意見は何度か述べておられますが、そのことにどういったデメリットがあるのかを具体的に述べたのを読んだことがありません。
--Hatukanezumi 2010年10月18日 (月) 22:52 (UTC)

当面の対処[編集]

提案 意見をうけて、当面の対処はつぎのようにしたいとおもいます。先の提案の4ステップに沿って書きます。

ステップ2両テンプレートで上記の年代を表示するときは、注意書きのテンプレートを含める
まず、近代の改元年 (1912、1926、1989年) について実施します。対象となるテンプレート呼び出しは、#明治改暦以後の改元年の表に挙げた年と日付 (*がついているものを含む) です。旧暦年 (1872年以前) について実施するかどうかは、引き続き議論します。

ステップ3記事中で該当する表示になっているものをsubst展開する。
上の#subst展開についてでのsubst義務化の議論にも関係しますので、ここでは検討しません。

substしないと編集作業には不便ですが、現在でも編集の際にsubstしている利用者はいるわけで、当面は「修正したければsubstしてください」といった案内をすることで対応します。注意書きテンプレート{{年代要検証}}を改訂し、説明も加えましたので確認ください。subst展開についての説明が必要になるため、直接Wikipedia:年代の換算にいかずにワンクッション置いています。

表示例: 1912年(明治45年)[元号要検証]

ステップ4該当する表示になっているものすべてのsubst展開が完了したら、両テンプレートで、上記の年代への対応をやめる。
これについては実現方法が問題になります。

過去版でもエラーメッセージになってしまうことに抵抗を覚えるかたもいるようですので、つぎのようにしたいとおもいます:

  • 問題となっている年に対してテンプレート ({{和暦}}や{{jdate}}) を使っている記事がなくなった時点を基準として、それ以降の版ではエラーメッセージを表示する。それ以前の版でテンプレートが用いられているときは従来の表示のままとする。

これによって、提案のねらいのふたつめ「これ以上、自動換算によって検証が必要になる年号表示をふやさないこと」は実現できます。なお技術的には、ある時点を基準により古い版かより新しい版かによって表示を変えることは可能です ()。ただ、基準日時を記事ごとに変えることはできません (とおもいます) ので、問題のあるテンプレート呼び出しのある記事がなくなった時点を基準にします。

また、問題のある年について表示結果を「昭和64年か平成元年」といったものにするという案もありますが、これは (将来も、また過去版での表示でも) しないことにしたいとおもいます。問題のある年の表示すべてが曖昧なわけではない (確認してあえてテンプレートを使っているひともいないわけではない) ので、このようにすると不正確さが増してしまいます。

来週あたりにステップ2を実施します。なお、このためには両テンプレートでsubst対応が導入されていることが前提となります (現時点ではjdateで導入されていません) ので、必要ならあわせて導入することになります。--Hatukanezumi 2010年9月5日 (日) 04:41 (UTC)

反対 いつの間にか合意が形成されたかのように話を進めておられますが、私は賛成していません。--Lincun 2010年9月9日 (木) 12:19 (UTC)
コメント 合理的な理由のない反対は意見とは言えません。--Hatukanezumi 2010年9月9日 (木) 16:01 (UTC)
コメントなぜ賛成できないのか「私やHatukanezumi氏の行動について」一切触れずに述べてからにしてください。さもなければ「ゴネているだけ」と判断し、合意形成の外にしたいと考えます。--Goki 2010年9月10日 (金) 00:18 (UTC)

報告 両テンプレートの近代の改元年対応をサンドボックスに作成しました。Template:和暦/testcasesTemplate:Jdate/testcasesなどで動作を確認願います (subst展開の動作も確認願います。実際に保存しなくても差分で確認できます)。

動作に問題がある場合は知らせてください (直せるかたは直してください)。最後の変更から1週間以上問題が確認されない場合、サンドボックスにあるものを本番のテンプレートに反映します。

なお{{jdate}}については、反映の手順がかなり複雑です。反映作業をしたいかたは、事前に当ノートで作業手順を述べてから、作業をやってください。--Hatukanezumi 2010年9月11日 (土) 04:03 (UTC)

報告 議論を無視して、Template:JdateTemplate:Jdate/yearTemplate:Jdate/numberが改変されたので、元に戻しました。なお、今回のuser:Hatukanezumiによる行為については、あらしとしてWikipedia:管理者伝言板/荒らしに報告しました。--Lincun 2010年9月11日 (土) 07:46 (UTC)

コメント 今回のHatukanezumi氏の提案について氷鷺氏とLincun氏から反対意見が出ましたが、どちらにも反論が出ており、その後お二方による反論もありません。このことから概ね合意形成はされており、「合意不形成」として差し戻す方がむしろ不適切かな…、と思います。なお、編集合戦が起こっていないにも関わらず保護依頼を提出したり、他者を安易に荒らしと呼ぶ姿勢については全く賛同出来ないことを表明しておきます。--新幹線 2010年9月11日 (土) 12:46 (UTC)
コメント Lincunさんが差し戻しなさったのは、下節で話し合われている{{jdate}}の「subst展開対応」と「誤記対応」に関する変更です。ここで話し合われているのは、それらの変更とは趣旨の異なる、{{和暦}}、{{jdate}}両テンプレートでの「検証が必要な年代表示に対応するための仕様変更」であり、現在はサンドボックスでテスト中 (まだ利用できない) です。議論の趣旨をわきまえていただき、適切な場所でご発言いただけるようお願いいたします。また、Lincunさんが提出なさった保護依頼にはコメントを述べさせていただきました。--Hatukanezumi 2010年9月11日 (土) 13:02 (UTC)

対処 ({{和暦}}のみ) {{和暦}}については、特に異論はなく、動作上の問題も指摘されずに1週間以上が経過していますので、一両日中に上記の「ステップ2」を実施します。

{{jdate}}については現在も変更が続いていますので、まだ実施されません。

なお、問題を発見するためには、テンプレートのソースを読んで間違いがないか確認する方法 (「コードレビュー」などと言います) だけでは十分ではありません。両テンプレートはかなり複雑な処理をしますので、実際の動作を確認する必要があります。

  • テストケースを活用ください (Template:和暦/testcasesTemplate:jdate/testcases)。ケースは必要に応じて追加してかまいません。問題が起きたら知らせてくだされば、だれかが直します。つまり、ソースが読めなくても問題がないか確認することはできます。ケースの選びかたについてはソフトウェアテストの解説なども参考になるかもしれません。
  • subst展開時の動作も、ぜひ確認をお願いします。テストケースのウィキテキストをコピーして、テンプレート呼び出しの箇所に「subst:」を追加して貼り付け、差分を見ることで確認できます。
    なぜこういうことを言っているかというと、現時点では{{jdate/sandbox}}はsubst展開ができなくなっているからです。ソース中にコメントが入ったためで、通常のテンプレート呼び出しでは正常に動作するように見えても、subst展開時にはコメントが取り除かれないためうまくいきません。

よろしく。--Hatukanezumi 2010年9月28日 (火) 13:32 (UTC)

  • すみません、subst展開時にコメントが残ることをすっかり忘れていました。noincludeタグで囲むという手もあったような気がしますが、とりあえずコメントを消しました。--新幹線 2010年9月28日 (火) 22:28 (UTC)
それでよいと思います。旧暦部分を見送ったこの提案に、賛成の意見はHatukanezumiさん、氷鷺さん、新幹線さん、Gokiさん、そして私ですね。唐棣色さんとLincunさんが反対の意見でした。唐棣色さんからは反論がない状態ですし、Lincunさんは反対理由を示しておりません。全員一致には至りませんでしたが、ラフな合意はできているといっていいでしょう。--Kinori 2010年9月28日 (火) 21:42 (UTC)
報告 {{和暦}}について、近代の改元年に注意書きのテンプレートを含める作業を行いました。注意書きテンプレートのあるものはCategory:年代の検証が必要なページ/西暦から元号への換算以下のカテゴリに分類されます (カテゴリに記事が現れるまでにはしばらくかかります)。--Hatukanezumi 2010年9月29日 (水) 16:43 (UTC)

提案 この節の討議と作業は閉じようという提案。

  • {{和暦}}については、当節で提案された作業は終了しています。
  • {{jdate}}に関しては下節#Template:Jdate: subst対応の正式化で具体的な変更提案がなされており、当節の作業に加えて旧暦年への対処も含むものになっています。
  • 加えて後者については、主作者に対するコメント依頼が提出されているため、現時点で変更の議論を続けることは適切とはいえません。

以上の理由から、今後の討議は当節を使わず、既存のほかの節または必要なら新節で行うべきだと考えます。数日待って特に異論なければ、当節のクローズを宣言します。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 11:51 (UTC)


この節のまとめ。

当「#当面の対処」節での討議および作業は終了しています。

旧暦年代の対処案[編集]

上ではなんだかまた押し問答になってますが、作業を実施する場合を見越して対処案を作成していきます。議論は上でお続けください。

書きもらしましたが、現サンドボックスでは追加の誤記対応をしています。引数が多い場合です。利用者が月日を指定しているのですが、{{和暦}}では対応していません。

  • この追加の誤記対応を導入してしまおうとおもいます。
  • あわせて、[西暦年要検証]も導入します。上記のように使用例が少なく、そのうち半数は検証・修正が可能な見込みですから。
  • [年号要検証]はまだ導入しません。なんらかの結論がでるまで、ソース中の該当する処理をコメントアウトしておくことにします。

いままでと同様、最後の修正から1週間以上問題が発見されない場合、導入を実施します。--Hatukanezumi 2010年10月16日 (土) 09:10 (UTC)

対処 上記発言から数えても1週間経過していますので、導入を実施しました。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 10:21 (UTC)

脚注[編集]

  1. ^ 「〔…〕先帝ノ定制ニ遵ヒ明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス〔…〕」1912年 (明治45年) 7月30日詔書[1]。漢字は新字体にあらためた。
  2. ^ 「〔…〕定制ニ遵ヒ元号ヲ建テ大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」1926年 (大正15年) 12月25日詔書。漢字は新字体にあらためた。
  3. ^ 「〔制定文略〕/ 元号を平成に改める。/ 附則 / この政令は、公布の日の翌日から施行する。」1989年 (昭和64年) 1月7日政令第1号[2]
  4. ^ で きれば上の「明治改暦以降の改元年」についての記事の修正がある程度終わってから提案したかったのですが、たった1000件たらずでも、とても終わりません。旧暦年の6000件あまりの検証・修正はさらに時間がかかります。ので、テンプレートの変更をすすめてしまいたい。
  5. ^ たとえば安政2年は1855年2月17日から1856年2月5日までですから、西暦1855年1月31日は安政元年です。しかし、「{{和暦|1855}}」は「1855年(安政2年)」と表示します。
  6. ^ たとえば安政2年は1855年2月17日から1856年2月5日までですから、安政2年旧12月29日は西暦1856年です。しかし、「{{和暦|1856}}」は「1856年(安政3年)」と表示します。
  7. ^ なお、旧暦年の和暦→西暦換算のうち「明治5年→1872年」は、日付が伴っていない場合は換算に問題が起きません。

西暦和暦を変換し併記するテンプレート[編集]

年月日を指定することで西暦和暦を併記するテンプレート利用者:氷鷺/testを作ってみました。まだ江戸時代以降のものだけですが。

西暦 → 西暦(和暦)
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9}} → 1623年10月9日(元和9年閏8月15日)
和暦 → 西暦(和暦)
  • {{利用者:氷鷺/test|慶長|4|閏3|12}} → 1599年5月6日(慶長4年閏3月12日)
  • {{利用者:氷鷺/test|寛保|4|8|1}} → 1744年9月7日(延享元年8月1日) - ※改元年の元号は自動修正

だいたいこんな感じです。明治から平成までの「和暦→西暦(和暦)」の変換は改元の処理をしてなかったので、そこを修正して、動作確認が済めばテンプレート名前空間に移したいと思います(別に、既存のテンプレートへの機能移植でもいいのですが)。その後は、16世紀以前への対応(ユリウス暦になってくるので、そこらの仕様をどうするか…)と、必要なら「和暦(西暦)」という書式への対応も入れたいですね。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 04:10 (UTC)

コメント (一通り目を通しました。全くの的外れや細かいことかもしれませんが、気になった2点について書きます。)1点目、和暦からユリウス通日を出力するテンプレート(/Keicho-Empo など)について、計算部分(#expr)の内側に基準となるユリウス通日を出力する部分(#switch)を持ってくると、重複部分が無くなります。記述量が少なくなることで見通しが良くなると思います。2点目、複数の書式を視野に入れているならば、ユリウス通日からグレゴリオ暦の年、月、日を出力する既存のテンプレート群と同じ様に、和暦の元号、年、月、日を出力するテンプレート群に切り分けた方が良いと思います。これらを使用する構成としては、(1) 記事に使うテンプレートは入力値からユリウス通日を取得、その値を使って書式テンプレートを呼び出す。(2) 書式テンプレートではユリウス通日から年月日を出力するテンプレートを呼び出して配置する。と、大きく2段構成です(実質3段かな)。(更に言えば、書式テンプレートの種類と呼び出し方法も、幾つかあると思いますが。)--Frozen-mikan 2010年7月27日 (火) 07:50 (UTC)
サブテンプレートに分割していることもあって、現時点ではあまりメンテナンス性を重視していませんが、仰るとおり、各テンプレートの役割分担は根本的に整理する必要がありそうです。正直汚いソースだと自分でも思います。たとえば、各月0日のユリウス通日を列挙するような方法をとっていますが、これも、各年の月の大小、閏月の位置(+その大小)を指定すれば、「和暦⇔ユリウス通日」の変換はかなりスマートになるでしょう。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 10:50 (UTC)
技術的なことはわかりませんので、感想だけ。16世紀以前については、日付まで記述することは少ないと思うので、仕様が悩ましいなら無理に対応しなくてもよい気がします(その場合、注意書きは必要ですが)。それと、日本史分野で使うことを考えると、「和暦(西暦)」への対応はぜひほしいです。失礼しました。--219.67.171.131 2010年7月27日 (火) 10:10 (UTC)
和暦西暦の前後の順番は、どのように指定するのが良いのか、いくつか方法を考えています。
入力方法に対して相対的に指定させる方法
  • 和暦指定+「逆」指定 → 西暦(和暦)
  • 西暦指定+「逆」指定 → 和暦(西暦)
入力方法に関わらず、絶対的に指定させる方法
  • 和暦指定+「西暦優先」指定 → 西暦(和暦)
  • 西暦指定+「和暦優先」指定 → 和暦(西暦)
第1引数で指定する方法
  • {{利用者:氷鷺/test|逆|1623|10|9}}
  • {{利用者:氷鷺/test|和暦優先|1623|10|9}}
変数名を付ける方法
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9|逆=yes}}
  • {{利用者:氷鷺/test|1623|10|9|優先=和暦}}
如何でしょうか? どれもそれなりに一長一短あるように思いますが…。--氷鷺 2010年7月27日 (火) 10:50 (UTC)
コメント ユリウス通日を介して変換するのは、とてもうまいアイディアだとおもいます。暦日の資料ではユリウス日やリリウス日を掲載していることが多いので、デバッグがしやすい。
まだ中身をよく見きれていませんが、アイディアを書きます。
  • 現行のテンプレを使った記事を見ていると、月日について旧暦と西暦を混同しているものが見受けられます。ひとつのテンプレで西暦→和暦と和暦→西暦を兼用しないほうがいいとおもいます。
  • さらに言うと、西暦→和暦は必要ないようにもおもいます。旧暦の時代を記したもので西暦表記の日付が資料にあるとしたら、ほぼ確実に換算されたものでしょうから (例外はキリシタン資料とかでしょうか)、それを再度逆算すると、誤りがあったときに固定化するおそれがあります。時差もあるので (さらに言うと西暦使用地域でも、時代によっては日の始まりが午前0時になる時法とはかぎらないので) 日まで特定するのなら比較の意味がないでしょう。
  • テンプレで対応する年代ですが、まずまず間違いのない結果をだせるのは、江戸時代、幕藩体制が安定して以降でしょう。それ以前は全国統一の政権がありませんから、各地で年初や置閏法が微妙に異なる暦が行われました。
    そういうわけで、このテンプレートで対応する年代もそれ以降でいいんじゃないでしょうか。目安としては貞享暦に改暦した貞享2年旧1月1日 (1685年2月4日、ユリウス通日2336526.5日) あたりだとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月27日 (火) 13:15 (UTC) 微修正--Hatukanezumi 2010年7月27日 (火) 14:22 (UTC)
コメント Hatukanezumiさんへのコメント
月日について旧暦と西暦を混同』について: それは使用者の問題なので、「西暦から」と「和暦から」とを分けたところで、どのような効果があるのかよく分かりません。
西暦→和暦は必要ない』について: その機能を積極的に否定する理由が思いつかないのですが、「西暦→和暦(西暦)」機能を「入れるべきでない」とお考えでしょうか?
コメントアウトされていた『誤記の対策』について: まだ入れていませんが、年・月・日については大雑把な(「13月」「33日」などを排除する)エラー訂正を追加したいと考えています。ただ、個別に各月の日数などまで考慮してはじくのは難しいですが、一旦ユリウス通日を通してありますので、(和暦からの場合は)適切な日付に変換されているはずです。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 08:57 (UTC)
支持
氷鷺さんが試作された「年月日を指定することで西暦和暦を併記するテンプレート」の作成のコンセプト自体について支持します。
内部リンクについて
Wikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成」における諸々の議論が合意形成されてないので、西暦・元号が自動でリンクされる仕様には反対します。合意形成されてない現状では、「デフォルトではリンク無し」が望ましいと考えます。
変数名「和暦lk = y」・「西暦lk = y」などを用いて、リンクの貼り付けを可能にする仕様にすることは可能でしょうか?
賛成
Hatukanezumiさんの「西暦→和暦は必要ないようにもおもいます。」という意見に賛成します。
質問
元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦・(五紀暦)・ 宣明暦を用いていた、宝暦4年12月30日までの和暦について対応することは困難なのでしょうか?日本史分野等での使用を考慮するとぜひ対応していただきたく存じます。--Resto1578 2010年7月27日 (火) 18:47 (UTC)
コメント Resto1578さんへのコメント
リンクについて: テンプレートの使用が強制されるわけではありませんし、和暦・Jdateいずれも西暦にリンクがある以上、リンクを制限する必要を感じません。昭和・平成くらいなら「リンクなし」を選べるようにしてもいいような気もしますが。
西暦→和暦は必要ない』について: その機能を積極的に否定する理由が思いつかないのですが、「西暦→和暦(西暦)」機能を「入れるべきでない」とお考えでしょうか?
現在対応している範囲は、試験的に作ったため小さく抑えてあるということもありますが、グレゴリオ暦だけで対応できるというのが主な理由です。技術的には、これ以前のも特に難しくはありません。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 09:06 (UTC)
「『西暦→和暦(西暦)』機能を『入れるべきでない』とお考えでしょうか?」……わたしはそう書いたつもりですが。理由も述べました。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:15 (UTC)
(コメント)コンセプト自体はどっちでもいいのですが、リンクの形式についての懸念があるのと、subst展開に対応しない意向である場合は同意しません。--Goki 2010年7月29日 (木) 02:19 (UTC)
あなたの同意は必要ありません。本質的な問題を理解できず、ただ個人的な趣味でテンプレートを展開しリンクを外して回っている、奇妙な趣味をお持ちの方の個人的な好き嫌いに、まともに検討する価値などありません。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 09:06 (UTC)
subst展開には対応すべきでしょう。以前Kimoriさんが挙げられていた「記事のソースが分かりにくい」などのデメリットがありますし、テンプレート自体の更新にテンプレートを使用した各記事が対応する必要性もないからです。個人的には「subst強制」でもいいぐらいだと思っています。こうすれば、万が一テンプレートを廃止する必要が出てきたときに過去版への影響を考慮しなくて良くなりますので。
また、現行のWikipedia:内容に関連するリンクだけを作成の方針下では、記事に記載されている年月日の多くがリンクする必要のないものだと思いますので、デフォルトでリンクを外したほうが良いと思います。--新幹線 2010年7月29日 (木) 11:58 (UTC)
コメント リンクの件ですが、どこかで議論があったはずなので、疑義がでているのならそちらで合意をとってからテンプレートに反映していただきたいです。場外乱闘はごめんこうむりますです。
とはいえそれではすすまないので意見を言うと、「西暦のリンクはあっていい」「元号のリンクはデフォルトではなしで、オプションにしてほしい」という意見です。要望をもうすこしくわしく述べます。
ひとつの記事のなかでは、ある連続した期間の叙述がしばしばあります。ですから、同じ西暦年が頻出することはすくないですが、同じ元号は頻出します。元号自体にもリンクは必要ですが、必要ない場合のほうが多くなりますから、オプションで筆者や校正者が入れればいいでしょう。
それと、貞享改暦以前の年代について……は、あとでコメントする。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:03 (UTC)small fix--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 12:12 (UTC)
「同じ西暦年が頻出することはすくない」と思うでしょうけどそれがあるんですよ。文章中だと「同年」と書いておけばいいものを同じ年に対して「わざわざテンプレートを使いたがる」んですよね。とはいえ、Hatukanezumiさんの主旨には同意します。あと、ずっと「個人的趣味ということにしたい方」が1名いらっしゃいますが何とかならんかな。あんたは敵と決めた相手の意見を全否定したいだけでしょ。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:14 (UTC)
コメント 活発に意見がでていますが、一度このテンプレート(案)についての論点をまとめましょうか。
  1. 西暦→和暦変換は必要かどうか。
  2. リンクの形式をどうするか、多様なリンクの需要に対応するか。するならどうやるか。
  3. 「和暦(西暦)」形式に対応するか。するならどうやるか。
  4. エラー処理をどうするか、どこまでやるか。
  5. コーディングの改善について。
  6. 対応する年代の範囲はどうするか。
  7. subst対応をするか。
こんなところだとおもいますが、ほかにもあれば追加してください。個別の論点について適宜節分けなどのご協力をお願いします。よろしくです。--Hatukanezumi 2010年7月30日 (金) 16:43 (UTC) subst対応の件が抜けてましたので足しました。--Hatukanezumi 2010年8月1日 (日) 00:12 (UTC)
とりあえず、元号はデフォルトで非リンクにしましょうか。片方あればどうにかなりますし。ただ、リンクの有無を指定させるのは(主に仕様を決めるのが)ちょっと面倒なので、元号は一律「非リンク」という仕様にした方が楽かな。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 17:06 (UTC)
コメント
1.について - 「西暦 → 西暦(和暦)」は、誤用の恐れがあるため不要。例えば、暦法に詳しくない編集者が、出典に「元禄元年(1688年)3月10日」という年月日を「{{利用者:氷鷺/test|1688|3|10}} → 1688年3月10日(貞享5年2月9日)」と誤った数値を入力しかねないため。正しくは、「1688年4月10日(元禄元年3月10日)」です。
2.について - デフォルトでは、リンクを貼り付けない。年月日計算テンプレートは、暦法の変換を支援するテンプレートを主目的とするべきであると考えます。テンプレートを使用する事によって強制的にリンクが貼り付けられるのは、現行ガイドラインを無視している形であると考えます。
3.について - 対応して欲しいです。「元禄元年3月10日(1688年4月10日)」の形式の表示が、暦法の差異に対する誤解を回避できると考えます。
4.について - 明治以前の改元年について、出典に「貞享5年9月30日」とあれば「貞享5年9月30日(1688年10月23日)」と表示されますが、出典に「元禄元年9月30日」にある場合は「元禄元年9月30日(1688年10月23日)」も正しいので、両方に対応できるようにして欲しいです。この改元年に対する対応についても「西暦 → 西暦(和暦)」の表示は問題が発生するのではないでしょうか?
5.について - 知識不足です。コメントできません。
6.について - できれば「大化元年6月19日」から。欲を言うと「崇神天皇52年11月30日(紀元前45年1月1日)」、もしくは「神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月18日?)」から。
補足
享年(数え年)の表示用の標準的なテンプレート「Template:享年」は、ほとんどが誤用されていました。つまりテンプレートの解説サブページの注意書きを読まずにテンプレートを利用される編集者が大多数だと考えます。ひどい例では、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの記事に、「Template:享年」を貼り付けていました。
テンプレートの作成にあたっては、テンプレートの解説サブページの注意書きは読まれない可能性があることを念頭に置くべきだと思います。特に本テンプレートのように利便性に富んだテンプレートであれば、なおさらデフォルト設定は慎重になるべきだと思います。
現時点での、このテンプレート(案)についての論点へのコメントは以上です。--Resto1578 2010年7月31日 (土) 15:27 (UTC)
非常によくできたテンプレートだと思いますが、あまりに複雑すぎるテンプレートを導入することにはあまり賛同できません。私が明治以降を限定とした和暦自動表示のテンプレートを作成したのは、インプットとアウトプットの差異が、和暦の有無並びに、「年・月・日」という文字の有無に限定されるということと、テンプレートのソースが非常にシンプルに済ませることができるという理由からです。新暦旧暦の変換を伴うものについては、「年」のみの扱いにした方が安全だと思っています。--Lincun 2010年8月3日 (火) 11:54 (UTC)

対応する年代の範囲[編集]

コメント 長いので節分けしました。で、続き。
貞享暦以前は、おなじ宣明暦の暦法で造られていたにもかかわらず、地域によって暦の暦日に相違が生じることがありました。誤算によるものかもしれませんし、人為的な変更が加えられることもあったのかもしれませんが、とにかくそれぞれの頒暦地ではそれを暦日の基準として暮らしていても、特に不便はなかったわけです。当然、史料にも当地の暦の暦日が記録されます。

京暦もふくめた地方暦同士で暦日が相違することは、たまにあったようです (宣明暦の解説なんかを読んでください)。
また史料の暦日の分析によれば、源頼朝の時代の鎌倉では (京暦ではなく) 三島暦が用いられていたというのが多数意見らしいです (何で読んだかわすれた)。
ほかにも例を挙げると、三島暦の相違で現存する記録のもっとも古いものは禅僧義堂周信の日記の応安7年3月4日 (1374年) の条で、熱海へ行ったことを記し「三島暦では今日が巳の日にあたるので」(3日になる) という趣旨を述べています (『空華日用工夫略集』)。
わたしがしらべた範囲でもっとも新しいのは元和3年2月 (1617年)、朝廷が徳川家康に「東照大権現」号をおくるというので秀忠が朝参のために上洛したときで、東国の三島暦と畿内の京暦とで1日の差があったために大問題になったそうです (日の吉凶が変わってしまうもんね)。
そのほかにも、大宮暦三島暦丹生暦大坂暦でも、日の相違が見つかった記録があるようです。

さらに、過去の暦日が史料にあっても、その当時使われた暦が現存しているとは限りませんし、残っている暦史料も正月など特定の時期に集中しているため、その間の暦日がユリウス暦やグレゴリオ暦でいつにあたるのかは、推算で求めているだけなのです (湯浅吉美『暦と天文の古代中世史』などを参照)。当然、研究者の間でも意見の相違があります。暦史料が連続して残っており、しかもそれが実際に施行されたことがわかっているのは、元和6年 (1620年) 以降だそうです (中田正男『日本暦日原典』)。

宣明暦より前を見ると、元嘉暦儀鳳暦大衍暦五紀暦は、暦法はわかっています (中国製なので) が行用期間に諸説ありますし、併用された期間もあるとされています。もちろん人為的な改変もありますから、暦法と行用期間がわかっていても暦史料そのものがなければ暦日がいつなのかは確定しません (旧暦での人為的な改変については改暦の記事などを参照)。

そういうわけでわたしは、問題を起こさず対応できる期間の始まりとして貞享改暦の年を目安とすることを提案しています。元和6年 (1620年) に伊勢神宮が幕府から頒暦の独占権を与えられ、さらに貞享2年 (1685年2月4日以降) の貞享改暦を機に各地の地方暦もおなじ本行草 (暦の草稿) をもとに編暦するようになったため、これ以後の暦日は事実上、全国で統一されていると考えられます。逆に、暦史料のうらづけのない暦日は、それ自体が考証の対象となるもので、計算では求められません。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 13:55 (UTC)

ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない(はず)です。したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない、というのは独自研究にあたるように思います。これは現在のことにも未来のことにも言えますが、必ずしも、「事実」である必要はありません。昭和期の出来事だって、いま事実であると考えられている日付が本当のものとは限りません。出典とする文献で、特にそのような注意がなければ、それを信頼し中央の暦法に従うものと解釈すべきでしょう。--氷鷺 2010年7月29日 (木) 15:40 (UTC)
「この和暦は本当かどうか分からない」という話をしているのではないのです。ウィキペディアでは、検証可能性と正確性を満たすためには、資料に基づいてできるだけ正確とみなせる日付を記すべきですから。
しかし、「この和暦日付はこの西暦日付に変換できる」というのは、元の資料に書いてあることではありません。それはテンプレートのアルゴリズムが決めているので、資料にもとづいていません。ですから「変換した結果は本当かどうか分からない」ということになります。
氷鷺さんの発言の「出典とする文献で、特にそのような注意がなければ、それを信頼し」--- ここまではいいのです。しかし ---「中央の暦法に従うものと解釈すべき」とする根拠はありません。わたしは、そのように解釈できない場合があるということを、上で説明しました。
どう思われますか。
ついでに、上にでてきた以外に、もうちょっと一般向きの参考書も挙げておきます (湯浅や内田の著書も、それほど難解なものではありませんが。特に内田『日本暦日原典』の後半は、日本の太陰太陽暦についてのよい解説になっています)。
  • 広瀬秀雄『日本史小百科 暦』東京堂出版、1993年。1978年近藤出版社刊の新装版。
  • 暦の会(編)『暦の百科事典』本の友社、1999年。
  • 岡田芳朗『旧暦読本: 現代に生きる「こよみ」の知恵』創元社、2006年。
今後も多くのかたが議論に加わってくださることを望みますが、すくなくともこれらのうちどれかは手に取って読んでおいていただけると、議論が生産的な方向に向かいやすいのではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月29日 (木) 16:09 (UTC)
半年ほど前に ISBN 9784404037879ISBN 9784534030214 の2冊を読んでいますが、それでは不足でしょうか。「貞享以前は、私暦・地方暦とよばれるものが氾濫し普及していた」という程度には理解しています。それはいいのですが、Hatukanezumiさんが仰る「貞享改暦以前の和暦⇔西暦の変換に問題がある」ということの根拠としては、不十分ではないかと指摘しているのです。当時、地方や民間で「中央の・正式な暦法」が使われていなかったとしても、それ自体はさほど重要ではなく、問題なのは、現在、記事執筆に使用される各種文献において、(勿論史料そのままの記述を扱う箇所は除きますが)京暦だとか伊勢暦のままの日付が普通に(注釈も何もなく)用いられているのかどうか、ということでしょう。私は歴史学のことは正直よく知りませんので、教えてください――「400年以上前の出来事で、(その基準とする暦はともかく)日付まで分かっているもの」について、現在でも「どこの暦なのか分からない」日付のままというものが大半を占めていて、そのまま使われているのですか? 歴史研究者は、どこの暦をもとにしたのかはっきりしない日付を、そのまま著書で使用するものなのですか?
……仮にそうだとしても、十中八九「間違いじゃないか?」と思っても、参考文献に特に○○暦と明記されていないのであれば、日付に(小の月の30日、存在しないはずの閏月のような)明らかな矛盾でもなければ、中央の暦法を適用すべきでしょう。少なくとも、その問題に対応すべきは執筆者であり研究者であって、テンプレートの仕様としてそのような制限を設けることは適切でないと考えます。まったく対応を考えない訳ではありませんが、できることと言えば、「慶長4年11月9日(1599年12月26日ごろ<ref>○○暦が使用されている可能性が高くはっきりしない。</ref>)」といった、脚注の形で入れることぐらいでしょうか。あまり詳しくは覚えていませんが、私が読んだ2冊には「現在の歴史書にも、私暦・地方暦で記された真偽のはっきりしない日付が含まれており、西暦に換算することは不適切」とはなかったです。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 14:03 (UTC)
コメント その2冊は読んでませんが、たとえば「恒気」や「四大」や「進朔」や「歳実消長法」のことは書いてありましたか。テンプレートで暦の換算をしようというのなら、こういった暦法の仕組みに関することは一応知っていたほうがいいとおもいます。「一般向け」の参考書には書いてないかもしれません。で、質問されているようなので答えます。
  • 「400年以上前の出来事で、〔……〕日付まで分かっているもの」について、現在でも「どこの暦なのか分からない」日付のままというものが大半を占めていて、そのまま使われているのですか?
    --- 大半などとは言っていません。テンプレートで自動的に換算できる年代には限りがある、と言っているだけです。
  • 明らかな矛盾でもなければ、中央の暦法を適用すべきでしょう。
    ---「中央の暦」ってなんでしょう……それはともかく、わたしが言っているのは、ある時代には全国で単一の暦が行われていたと考えられるが、持統天皇の時代から現代までのすべての期間がそうであるわけではない、ということ、それだけです。
  • その問題に対応すべきは執筆者であり研究者であって、テンプレートの仕様としてそのような制限を設けることは適切でない
    --- テンプレートで自動的に変換しておきながら「執筆者が対応すべき」とは、おかしいではありませんか。いったい、テンプレートを使ってほしいのですか、ほしくないのですか。テンプレートで責任を持てる範囲を明確にして、それ以外の範囲には対応しないというのが誠実な態度ではないでしょうか。
今回のことに限りませんが、氷鷺さんの議論姿勢は、わたしにはおかしく見えます。原因は、自分出したアイディアに対する修正意見を一切受け容れようとしないからだ、とおもいます。
氷鷺さんはしばしば、部分的な修正の意見に対して、起こりうる問題を誇張して全体に適用し「そんなことがいつもいつも起こるはずがない」(大意) という論法で反論します。しかしだれも、いつもいつも起こるなんて言っていません
上で出ている話題 --- 「日付での和暦と新暦の混同」、「リンクの問題」、「subst対応への需要」、そしてこの「暦日の不確定」--- これらはみんな、いつもいつも起こることではありません。しかし、それらの懸念を「理由がわからない」とか「そんなことがあるはずがない」とか (いずれも要約) 言って顧みないのであれば、みんなに安心して使ってもらえるテンプレートはできません。
現状では、氷鷺さんのやりたいことを全面的に呑まないかぎり、納得していただけないようです。しばらく……そうですね、数週間程度……テンプレートに関わらずに、頭を冷されてはどうでしょうか。これまでに出ている意見を冷静に受け止めて話し合うことができるようになったら、またご意見をください。それまでわたしは、このテンプレートの実施への賛否は保留します (もちろん、テンプレートの中身についてはいろいろ意見を出しますが)。そうならなかった場合は、反対します。
ではまた。--Hatukanezumi 2010年7月30日 (金) 16:27 (UTC)
テンプレートを「普及させる」「義務づける」つもりはないので、「使って欲しい」「使って欲しくない」といった意見は持っていませんでした。使いたい人が、適切に利用すればいいだけだと思っています。どこの暦を元にした日付なのか明らかにせずに使うのは問題としないけど、それを西暦に変換させるのは許せない、というのが不思議だと言っているのですが、理解していただけないのでしょうか。これに限らず、テンプレートの使用者には相応の理解・正しい利用法が求められるべきです。不適切な用法が考えられるから規制すべきだというのは、「灰皿で人を殴ると死ぬから灰皿は凶器だ規制しろ」という理論と同じように思います。貞享以前への対応を禁止させたいのであれば、Resto1578さんが「元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦・(五紀暦)・ 宣明暦」へ対応できないかと仰っていますので、Resto1578さんにもそう言ってください。あと、リンクについては、とりあえず片方(西暦?)だけにしようかと思います。--氷鷺 2010年7月30日 (金) 17:06 (UTC)
「テンプレートの使用者には相応の理解・正しい利用法が求められるべき」ということですが、このテンプレートは、仕様をよく知らない初心者の方に利用される可能性も大いに考えられることを理解してください。テンプレートの使用が強制されないならば、誤用される懸念がある年代に無理に対応させる必要があるとも思いません。それでも貞享以前への対応に対して強い需要があるのならば対応させてもいいかもしれませんが。--新幹線 2010年8月1日 (日) 12:59 (UTC)
あんたは、個人あてに言われないと気が済まないのか?
「俺に言うなら他の奴にも言えや」みたいなガキみたいなこと言わないでいただきたいですな。--Goki 2010年7月31日 (土) 02:51 (UTC) 喧嘩。取り消し線引く--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 07:59 (UTC)
あなたは口を挟まないほうが身のためだと思いますよ。邪魔にしかならない駄々っ子の相手をするほどヒマじゃないんで、遊び相手が欲しいなら他所へ行ってください。--氷鷺 2010年7月31日 (土) 05:22 (UTC) 喧嘩。取り消し線引く--Hatukanezumi 2010年7月31日 (土) 07:59 (UTC)

ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない(はず)です。したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない、というのは独自研究にあたるように思います。

この一文で矛盾が山ほどあるんだけど。
「ウィキペディアは一次資料、史料に基づいて書かれたものではない」
は?二次資料を参考にして書いたとしても、一次資料はしめされているでしょうに。
「したがって、この和暦は本当かどうか分からない、だから西暦換算すべきでない」
最初の命題が偽なのでこの命題も成立しません。
もう、氷鷺さんは私やHatsukanezumi氏の言ってることを全否定したいだけじゃないのかと思っています。そろそろ無視しますよ。--Goki 2010年7月30日 (金) 02:14 (UTC)

機能限定での導入[編集]

1か月以上議論が途絶えていますが、反対意見はLincunさんだけで、他の人は修正を求めているだけですよね。私も、誤りを発生させる可能性があるところでは配慮が必要だと考えていますが、テンプレートの導入・使用はいいんじゃないかと思っています。この際、話がまとまりそうな部分だけに機能を限定して発進させることは考えられないでしょうか。まとまらない部分については、ひとまずこのまま棚上げにして、後で棚から下ろして改めて討論する、ということも可能です。といっても私には自分で作業に乗り出す意欲も能力もないので、やる気がある人が出ないならこのまま立ち消えでも仕方ありません(過去ログ化しましょう)。どんなものでしょうか。--Kinori 2010年9月22日 (水) 10:08 (UTC)

コメント私はsubst対応はしてほしいですけどね…。テンプレートのまま残されると「優しくないテンプレート」なので。変換処理自体は「換暦」を使えばできるわけですから。何度も書きますがテンプレートのまま「残さなければならない」理由はありませんよね。--Goki 2010年9月22日 (水) 12:05 (UTC)
コメント 新たなテンプレートを導入して既存テンプレートを廃止する方向に議論を持って行ってもいいかもしれません。--新幹線 2010年9月24日 (金) 11:38 (UTC)
コメント 個人的には、このような機能をテンプレートで実現するべきではないのではないかという考えに傾いています。するとしたら少なくともsubst義務化が必要でしょう。
しかし、ひとつのアイディアの記録としては保存するに値するものです。議論が途絶えているので過去ログ化すべきだとおもいます。--Hatukanezumi 2010年10月8日 (金) 14:05 (UTC)

機能限定での導入の提案もありましたが、1箇月以上議論が停止しており、具体的な作業もありません。この節は過去ログ化したいとおもいます。--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 13:08 (UTC)

停止している話題は他にもありますので、過去ログ化するのなら上のほうからしたらどうでしょう。それとも、これを消さねばならない理由でもあるのでしょうか? 導入するのは良いですが、名前をどうするのかという点と、「新暦・西暦から旧暦・和暦へ」「旧暦・和暦から新暦・西暦へ」を分けるかどうかについて十分な意見が出されていません。--氷鷺 2010年11月10日 (水) 13:34 (UTC)

確認[編集]

  1. {{Jdate}}、{{和暦}}テンプレートの削除を提案している人は現在はだれもいない。
  2. 上記2つでsubst:対応できれば展開しても問題ない。

1.はだれも反対者はいないと思いますが、2.に反対するのはなぜですか?--Goki 2010年7月31日 (土) 11:09 (UTC)

Lincun氏について[編集]

個別の疑問には一切答えず。Hatsukanezumiさんや私への人格攻撃ですか。(あえて個人攻撃という表現は使っていません。私は「個人攻撃をするな」という考え方には極めて否定的なので)--Goki 2010年9月1日 (水) 08:00 (UTC)

相変わらず権力がお好きな方ですね。議論の場で説明できないから管理者伝言板と保護依頼ですか。「イヤダイヤダ」を連発してるだけじゃないか。--Goki 2010年9月12日 (日) 04:26 (UTC)

新たなテンプレートの作成[編集]

{{Jdatenl}}の作成[編集]

{{Jdatenl}}が作成されたようです。この期に及んでまだ新たに作成する神経を疑います。--Goki 2010年9月13日 (月) 01:31 (UTC)

Gokiさん、「Template‐ノート:和暦/過去ログ1」とこのページ「Template‐ノート:和暦」を読みましたよ。Gokiさんは2年も{{和暦}}と{{Jdate}}関連テンプレートの議論をやっているんですね。普通2年も時間があれば{{和暦}}や{{Jdate}}よりも変換精度が高く、且つユーザーインターフェースに優れた代替テンプレートを作成できるでしょう。この2年間でインターネットへの高速通信回線接続料金も価格が下がったから契約を高速回線に切り換えるユーザーも増えただろうし、それによってトラフィックの問題も特にないだろうし。
逆に代替テンプレートを導入したくないのなら、2年もあれば{{和暦}}や{{Jdate}}関連テンプレートの廃止を議決することもできただろうに。
Gokiさんは大きな声で発言し、強引な書き換えをするだけでこの2年間を過ごしてきたわけだ。2年も時間があったのに何も結果を出せなかったGokiさん。あなたはこの手の問題解決には不向きな人材だと思います。この件からは手を引いた方がいいのではないでしょうか。2年間も声だけ大きく、強引に書き換えるようなことで時間を過ごしてきたGokiさん。議論系から引退した方がいい。絶対に。--Nzrst1jx 2010年9月14日 (火) 12:45 (UTC)
まともな議論のできない、あなたが言うべきセリフではありません。--Ashtray 2010年9月14日 (火) 13:05 (UTC)
Gokiさんはこの節で起きている程度のことでもAshtrayさんの支援がないと結果を出せないのか...。orz
レスはこちらにお願いします。--Nzrst1jx 2010年9月14日 (火) 14:21 (UTC)追記。
テンプレートの議論と直接関係ない個人宛ての指摘についてはここで行わないでください。--新幹線 2010年9月14日 (火) 13:48 (UTC)
利用者‐会話:Goki」を読んだのですが、どうもGokiさんは会話ページに書き込まれるのを嫌がっているようなのです。ログインしたときに表示される例の帯の警告文のようなお知らせメッセージが鬱陶しいのかな。一部の書き込みは<div>タグを使って隠しているし。なので、この節に書く方がいいだろうと思ったのです。--Nzrst1jx 2010年9月14日 (火) 14:21 (UTC)
上記6段をここにコピーしました。以後はこちらで行います。--Nzrst1jx 2010年9月15日 (水) 00:30 (UTC)
一言だけ。リンク先を「こちら」で表記するのは下策ですよ。貴殿の会話ページでいろいろ書かれても呼びかけがないと見ませんし、そもそも私の行為がどうのという話であればコメントしません。--Goki 2010年9月17日 (金) 13:30 (UTC)
「下策ですよ」って言われても。jawpで策略をめぐらす手間をかけるほどjawpに入れ込んでいるわけではないので。お風呂に例えれば、Gokiさんは首までお湯にどっぷりつかっているけど、私は足湯かせいぜい腰湯です。--Nzrst1jx 2010年9月19日 (日) 04:58 (UTC)
私はWikipediaに限定した話をしていません。端的に書かせてもらうとリンクに「こちら」なんて書く人は文書を書く資格なしだと思っています。指示するなら場所をちゃんと書けということです。--Goki 2010年9月19日 (日) 05:22 (UTC)
この文章 —“リンクに「こちら」なんて書く人は文書を書く資格なし”— を方針に盛り込むように提案すればいいと思いますよ。「こちら」と書く利用者は管理者裁量で期限を決めない投稿ブロックということにすればいいのではないでしょうか。Gokiさんが正式に提案したら私は賛成票を入れることを確約します。--Nzrst1jx 2010年9月19日 (日) 06:57 (UTC)
「代替テンプレートを導入したくない」なんて一言も書いてませんが…。パラメータを増やすと利便性が今より悪くなるし、テンプレートをむやみに増やすのも同じでしょ?--Goki 2010年9月15日 (水) 12:18 (UTC)
(追記)で、subst化できるのであればテンプレートを使いたい人にも、使いたくない人にも影響はないよねといっているわけです。その意見に反対して、どうしても「テンプレートのまま残したい」あるいはどうしても「テンプレートのまま残さなければ私の気が済まない」のであればそれなりの案を出してよねってことです。--Goki 2010年9月15日 (水) 03:18 (UTC)

{{行政区位置図画像情報}}への{{Jdate}}の挿入[編集]

{{行政区位置図画像情報}}で新たに{{Jdate}}の挿入が行われたため除去しました。このような行為を今後も続ける場合、テンプレートの廃止を提案します。その場合の議論では私は一歩も下がる気はありませんのであしからず。--Goki 2010年9月28日 (火) 03:45 (UTC)

{{Jdate}}の廃止に関する議論は提案されておらず、その使用も止められていません。少々冷静になって編集に当られることをお願いします。--唐棣色 2010年9月28日 (火) 04:35 (UTC)
よく読んでください。廃止に関する議論はまだ提起していません(念のため書いておきますが、廃止は私の本意ではありません)。今後のLincun氏の行動次第で提起せざるを得ないということです。--Goki 2010年9月28日 (火) 14:21 (UTC)
私が問題視しているのは、Gokiさんの編集態度であって、Lincunさんの行動ではありません。{{Jdate}}の使用は止められていないにもかかわらず、その使用を理由としてリバートするのは止めるべきです。--唐棣色 2010年9月28日 (火) 16:43 (UTC)
よく編集内容を見てください。差分をろくに見ないで単純な差し戻しで{{Jdate}}を使用するようにしている利用者が悪いのであって私のせいではない。--Goki 2010年9月29日 (水) 01:42 (UTC)
強力な味方が舞い戻ってきたので、少々気が大きくなってしまったのでしょうか。
> 今後のLincun氏の行動次第で提起せざるを得ないということです。
ウィキペディアがどうすればよいものになるのか…などといったことより、誰々は気に入らないといった非常に下世話なレベルの動機でウィキペディアに関わっているということを公言されてしまうのはGoki氏らしいですね。そもそも、Goki氏については当初よりJdateの廃止を目指していたわけで、それが自分の思うようにいかず今に到っているということを理解できていないのではないでしょうか。
それと、Jdateを「行政区位置図画像情報」で使用することについては、何の問題もないので、Goki氏による編集を元の状態に戻します。問題が起きるというのであれば、それが具体的にどのようなものであるのかご説明をお願いしたいところです。--Lincun 2010年9月30日 (木) 14:02 (UTC)
コメント (Lincunさんへの勧告) 行政区位置情報の画像はGFDLクリエイティブ・コモンズ表示 - 継承 3.0 Unportedのデュアルライセンスで公開されていますので、GFDLまたはCCの許諾条件によって再配布されることがあります。その際、画像説明ページも画像と一体で再配布される場合があります (たとえば、ウィキメディア・コモンズへの移動を考えてみてください)。しかし、説明ページに{{jdate}}が含まれていると、このテンプレートの機能も一体のものとして配布しなければ、画像説明ページが判読不可能になりますから、同テンプレートを一体のものとして配布するよう勧めていることになります。これは先述したライセンスに基づく自由な再配布に、ライセンスにない条件を付け加えるものです。
ただちに、{{行政区位置図画像情報}}での{{jdate}}の使用をやめるよう、Lincunさんに対して強く勧告します。--Hatukanezumi 2010年9月30日 (木) 14:36 (UTC)
Hatukanezumiさんがお書きになられているとおり、「画像説明ページも画像と一体で再配布される場合があります」というだけで、必ず一体配布されるわけでも、一体配布しなければならないわけでもありません。にもかかわらず、「同テンプレートを一体のものとして配布するよう勧めていることになります」と断定され、「ライセンスにない条件を付け加えるもの」とするご主張は、かなり無理があります。したがって、それに続く勧告にも特段根拠がないと思われます。--唐棣色 2010年9月30日 (木) 15:11 (UTC)
「再配布」といった場合、画像のみの配布とはかぎらないですよ。ライセンスを確認してください。それに、このことは{{jdate}}を使っていて同様のライセンスに従うあらゆるページ (つまりウィキペディアのページすべて) に言えることです。単なる整形のためのテンプレートならいいんですが、このテンプレートが自明でない計算をしてしまっていることが問題になります。テンプレートそのものを手に入れなければ、正確な表示が得られないのです。
実は、これってjdateがsubst対応していれば回避できる問題なんです。{{行政区位置図画像情報}}もsubst対応して使えばいいんですから。しかしそうしないのであれば、そういうテンプレートを使わないようにするしかないのです。--Hatukanezumi 2010年9月30日 (木) 15:33 (UTC)
コメントTemplate‐ノート:和暦での議論がまとまるまでは、合意なしで新たな和暦系テンプレートを作成しないでください。」という告知がされているのに、それには異をとなえないでおいてほかのテンプレートへの流用は行う、というのは、話し合いに水を差す行為です。しかもそれをやっているのが、テンプレートへのさまざまな変更に反対している立場のひとですから、火に油を注ぐ行為です。話し合いなどしないと宣言しているに等しいです。
個人的には、両テンプレートはいずれ廃止されなければならないと考えています。しかし、いきなり使えなくすると記事や利用者の受けるインパクトが大きすぎるので、いろいろな変更や対策を積み重ねていく必要があるとも考えてきました。結果的に廃止されるにしても、年単位の時間がかかると見るべきでしょう。
ところが、廃止には直結しないさまざまな変更でさえも主作成者に実力で拒まれます。この現状は理解しがたいです。この場のだれもが日々目にしている、次の注意書きを公然と無視しているのですから。
もしあなたが自身の文章を勝手に編集や再配布してほしくないのなら、ここに投稿しないでください。
記事の文章だけでなく、複雑なテンプレートのコードも同じことです。「自分のテンプレート」の変更をしてほしくないというのなら、ウィキペディアにテンプレートを作ったことがそもそもの間違いです。
こういう議論に疲れさせられるくらいなら、最初から廃止を提案して、一気にテンプレートをなくせばよかったとおもいます。そのほうが (過去版もふくめた) 記事への影響を、より少なくできたかもしれません。後の祭ですが。--Hatukanezumi 2010年9月29日 (水) 00:14 (UTC)
(補足)さらに、こういった背景があっての行動であるにもかかわらず、自分に有利な点だけを抜き出して「コメント依頼」「管理者伝言板」「ブロック依頼」などで好き勝手に主張し、管理者に管理行為を行わせている状況は正直言って許しがたい。「コメント依頼」「管理者伝言板」「ブロック依頼」の主張が通っているからといって自分の主張は正しいんだなんて考えてほしくないのですが、私には主作成者はそれを狙っているとしか見えていません。--Goki 2010年9月29日 (水) 02:02 (UTC)
コメント 「自分のテンプレート」の変更をしてほしくないというのなら、ウィキペディアにテンプレートを作ったことがそもそもの間違いです。」というのは、他のオープンソースのプロジェクトの場合ならプロジェクト参加者間に信頼関係が築けているでしょうから、その通りだと思いますが、jawpの利用者間には対立が多く、信頼関係が築けていないから、現状では間違いとか正しいとか言える段階ではないと思います。対立が起きたときにそれを仲裁する能力と行動力があり、そして対立した利用者間に必要最低限の信頼関係を築くためにその利用者たちに働きかけることができる能力と行動力がある利用者が現われない限り、jawpの質の向上を図る上で「間違い」は机上の空論でしょう。--Nzrst1jx 2010年10月3日 (日) 01:19 (UTC)
Gokiさんが「リンクに「こちら」なんて書く人は文書を書く資格なしだと思ってます。指示するなら場所をちゃんと書けということです。」という考えを持っているのは別にいいのですが、各テンプレートの作成者と加筆者が異なるのですから節を分けて書いてもらいたい。これでは「文書を書く資格なし」という一文がGokiさんにも当てはまることになると私には思えます。--Nzrst1jx 2010年9月30日 (木) 04:25 (UTC)

コメント {{基礎自治体位置図画像情報}}にも用いておられます。なんというか……たいへんこまったことです。今後も同様のことをお続けなさるようでしたら、{{人口統計/fluctuation/item}}ともども、{{jdate}}の使用を禁止することを提案したほうがいいんじゃないでしょうか (特に後者は、年が変更されることはなくしかもきっかり5年ごとに追加されるだけですから、わざわざテンプレートを使って複雑にする意味がありません)。--Hatukanezumi 2010年9月30日 (木) 13:40 (UTC)

コメント正当な理由なく(私やHatukanezumi氏の行動を理由にすることも正当な理由から除きます)、議論の結果がまとまるまで{{行政区位置図画像情報}}で{{Jdate}}の挿入はやめてください。--Goki 2010年10月1日 (金) 01:12 (UTC)(2010年10月1日 (金) 02:18 (UTC)修正)

コメント{{基礎自治体位置図画像情報}}、{{行政区位置図画像情報}}、{{令制国画像情報}}はLincun氏しか使えないものになっていますね。こんなの全体のテンプレートに採用してよいのかな。--Goki 2010年10月1日 (金) 03:14 (UTC)

コメントこの件はTemplate‐ノート:行政区位置図画像情報で続けます。--Goki 2010年10月1日 (金) 06:29 (UTC)

コメントLincun氏が上記コメントを無視しました。(事実のみ記載します。私は誰かさんとは違いこういう行為に対して管理者伝言板やコメント依頼を利用することはありません。)--Goki 2010年10月11日 (月) 15:53 (UTC)

コメント えーとね。
「Lincunさん専用のテンプレート」であることは別にかまわないとおもう。ほかのひとが地図画像をアップロードするときは、ほかの汎用のテンプレートをつかうだろうから。その点は的はずれだとおもう。
しかし、Template‐ノート:行政区位置図画像情報での彼の発言には、ごまかしがあるとおもう (周囲に対しても、彼自身に対しても)。jdateの使用回数を意図的に増やそうとすることは、jdateの使用への支持を増やすことにはならない。むしろ逆効果だろう。
議論終結までは、jdateをほかのテンプレートに組み込んで使うこともやめるよう、テンプレートの解説ページに告知しておくことにしましょう。--Hatukanezumi 2010年10月11日 (月) 16:38 (UTC)

適切な使用法にまで難癖をつけるとは…。問題があるかどうかの区別すらつかなくなったのでしょうか。jdateの適切な利用までも必死に減らそうとすることは、むしろ廃止を目指す側とって不利になるでしょう。それとも、使用回数だけで物事を判断するような馬鹿が、ここに一人でもいるのですか? --氷鷺 2010年10月11日 (月) 22:43 (UTC)

(コメント)適切だと思っているのはあんたであって、私はそうは思わない。勝手に断定するな。--Goki 2010年10月13日 (水) 00:59 (UTC)
あなたの意見、もといいちゃもんはどうでもいいのですが。自分の感覚だけで勝手に「問題」だと断定しているのはどちらでしょう。--氷鷺 2010年10月13日 (水) 03:20 (UTC)

コメント これまでテンプレートの利用が禁止されてきた訳でもないのにいきなりこのような主張がされ、告知のテンプレートが貼られたようですが、ちょっと拙速すぎではありませんか?それと、「jdateの使用回数を意図的に増やそうとする」というのはちょっと考えすぎではないでしょうか?--新幹線 2010年10月12日 (火) 04:49 (UTC)

うん、彼の中では論理は一貫してるとおもう。「自分だけが使うのならいいんだろ」という理屈なんだとおもう。そういう点では「Lincun専用ライセンステンプレート」を作ったことと、そのなかで彼のつくった{{jdate}}を使うこととは、質的にかわらない。
しかし、画像ライセンスのテンプレートはほかで使われないけど、{{jdate}}は現にほかでつかわれている、それも他ならぬ記事本文中で。そこんとこについて彼の論理には「ごまかし」があるとおもうんだ。例の「MediaWikiのエラー」の件と同様に (最初にそういうことがありうると言い出したのは、彼のほうだった。それをいつの間にか、他人が自分を非難する材料にしていると言い換えている……そうじゃない?)。--Hatukanezumi 2010年10月12日 (火) 16:10 (UTC)
あの、、、質問の答えになっていないような気がしますが…。
もう一度確認ですが、これまで、記事中であれテンプレート中であれ、また誰であれ{{jdate}}の新たな利用は特に禁止されていませんでしたよね?--新幹線 2010年10月13日 (水) 04:14 (UTC)
わたしの貼ったNoticeをはがすのはかまいませんよ。新幹線さんの貼ったNoticeの趣旨を敷衍しただけなので。
「新たな和暦系テンプレートを作らないでください」と書いてあるのですから、その和暦テンプレートを作ったひとりであるならば、Noticeの趣旨を尊重し、議論がまとまるまではほかのテンプレートに組み込むことも控えてくれるだろうとおもうのです。
彼が{{jdate}}を組み込んだテンプレートは、いずれも問題のある年の表示に使われません (たとえば、国勢調査は改元年に実施されたことがありません。{{jdatebirth}}の場合〔ノート参照〕も明治初年は想定していないとのことでした)。つまり、彼は問題が起こる場合があることは認識しているのです。
問題のある年代を避けて使うのは別にかまわないです --- しかし、その一方で問題を指摘された年への対策はとことん拒否し続けるのであれば、話は別です。問題があるとわかっていながら、修正の提案に対して罵倒を繰り返し、反論できないとなると問題をすりかえるのであれば。意図を持ってやっていることだと考えるしかないです。--Hatukanezumi 2010年10月13日 (水) 07:09 (UTC) add lk --Hatukanezumi 2010年10月13日 (水) 11:51 (UTC)
Lincunさんが「問題のない」使い方をしていることを認識していながら、それを止めさせようというわけですか。--氷鷺 2010年10月13日 (水) 12:01 (UTC)
◆「まず、subst展開しても表示内容に違いがなければ、常識的なウィキペディアンは差し戻しません。」(唐棣色さん 2010年10月13日 (水) 11:28 (UTC)
すなわち、現在はともかく私の編集に対抗して差し戻しをしまくっていた(このノートでもすぐ下の書き込みにもあるように人格批判に終始している)約2名は非常識なウィキペディアンであるということでよいですね(過去形にしないのは、すぐ下の書き込みにもあるように行動を改める意思が文章上で見られないためです。)。--Goki 2010年10月14日 (木) 00:33 (UTC)(Goki 2010年10月14日 (木) 00:37 (UTC)追記)
「subst展開後に差し戻しがほとんど無いことは、和暦テンプレートの有用性を否定する理由になりません。」(唐棣色さん 2010年10月13日 (水) 11:28 (UTC)
この意見には私は賛成します。--Goki 2010年10月14日 (木) 00:33 (UTC)

新幹線氏やHatukanezumi氏の意見は傾聴する価値はありますが、初めから議論相手を馬鹿にすることしか考えていないと思われる約1名はもう黙ってくれないかな。。--Goki 2010年10月13日 (水) 01:18 (UTC)

馬鹿にされたと思っているのは自分だけでは。--氷鷺 2010年10月13日 (水) 03:20 (UTC)

検証作業の感想[編集]

スタック感想をもっているひとはいない。--Hatukanezumi 2010年11月9日 (火) 12:57 (UTC)

コメント コメント依頼がでて{{jdate}}のほうはお休みみたいなんで、これまでやってきた検証作業の感想でもだしてみませんか ({{和暦}}のほうはすすめますが)。

  • {{和暦}}や{{jdate}}の表示結果を確認していないものをよくみかけます。つまり、「自分の見てきた記事で使っているから、年代を書くときはそうするものだと思っている」というひとがでてきている。これはテンプレート作成の本来の意図とはちがいます。
  • タイ王国の年号にのきなみ{{和暦}}が使ってあったのにはのけぞりました。Template‐ノート:和暦/利用実態調査をみると、あきらかに日本の事象でないのに使っている例が散見されます。
  • そういう明らかに不適切な例でなくても、和暦併記が過剰になっていると感じます。自衛隊海外派兵ではほとんどの年号にテンプレートが使われていたんですが、JPOVにならないんでしょうか (ほとんど削りました)。

まあこんな感じで。--Hatukanezumi 2010年10月4日 (月) 15:16 (UTC)

コメント 確かにタイ王国の歴史で日本の元号を使うのはちょっとどうかしていると思いますけど、自衛隊海外派兵の記述から年号を除去する意味がわかりません。というか、元号併記の是非は(Hatukanezumiさんのも、私のも)個人的な意見に過ぎませんよね。日本以外の・日本と関係のない記述について「日本の元号を使わない」ということは、個人的には「当たり前」だと認識していますが、ガイドラインは(どういうわけか、まだ)ないはずです。逆に、表記ガイドにはなぜか「日本に関する事柄」に限定しない最上位のガイドラインとして、わざわざ『和暦も併記することができます。』と書いてしまってあります。こういった元号の使用をどうにかするには、まず表記ガイドから改める必要があり、その辺りを放置したまま元号を削るのは拙いでしょう。
ところで、『テンプレート作成の本来の意図』って何でしょう? それは、Hatukanezumiさんに都合のいい想像上の「意図」ではないでしょうか。--氷鷺 2010年10月5日 (火) 12:38 (UTC)
この節は「検証作業の感想」です。議論をしたければ適切とおもう場所を指定して、そこでやってください。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 12:52 (UTC)
私には最近の氷鷺氏のコメントすべてがいちゃもんにしか見えません。(削除依頼なんてその最たるもの)--Goki 2010年10月5日 (火) 13:27 (UTC)
あのー。作業の感想を書いてくださいよ。人への感想を言いたければよそでお願いします。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 13:39 (UTC)
双方とも「議論では相手に敬意を払うということ」という大原則を忘れかけてるんじゃないですかね。検証作業に関しては御苦労様という気持ちもありますが、ウィキペディアの基本を忘れてしまった人達にウィキペディアのルールを決められるのかという思いの方がどちらかというと強いです。議論相手に敬意を払えない人、感謝の気持ちを持てない人はそもそも議論に参加して欲しくない。そんな人らで決めたルールは定着しないと思うから。--Freetrashbox 2010年10月5日 (火) 14:09 (UTC)
「双方」ってだれとだれですか。
まあ敬意ということに関してはわたしも該当するとはおもいますが。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 14:16 (UTC)
程度に差はありますが、氷鷺さん、Gokiさん、Hatukanezumiさん、Lincunさんの態度には問題があると思いますよ(順不同です)。--Freetrashbox 2010年10月5日 (火) 14:20 (UTC)
うむ。もっともです。で、できれば検証作業のどんなところがいいとおもうのかだけでも書いていただけると節の趣旨がいかされるんじゃないかと。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 14:23 (UTC)
そういうことは簡単には書けないのですね。わかりました。--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 15:47 (UTC)

「Template:年代要検証/doc」説明簡略化の提案[編集]

解決済み{{和暦}}の特殊引数の解説が加筆された。--Hatukanezumi 2010年11月22日 (月) 16:11 (UTC)

現在の「Template:年代要検証/doc」は、使用されていないテンプレートの説明など、余事記載も含まれているため、分かりにくくなっています。そこで、以下の通り説明を簡略化したいと思います[31]。--唐棣色 2010年10月5日 (火) 12:14 (UTC)

コメント 現在の対応は近代の改元年だけですから、当面はそれの説明にしぼるのには反対ではありません。
しかしこれまでの議論では、{{和暦}}の特殊引数 ({{和暦|1912m}}{{和暦|1912t}}とすることで新旧の元号を明示する) を積極的に使うことは提案されてきませんでした。むしろ、このようなある種の略記法に対しては、編集にたずさわるひとびとにとってわかりにくくなるとの指摘があり、その結果、subst対応のための変更が比較的高い優先度で提案・実施されてきたという経緯があります。subst展開の方法について解説し、特殊引数の解説はしないことにすべきだと考えます。
ついでに技術的な困難の指摘。{{jdate}}で注意書き表示 ({{年代要検証}}) に対応した場合、特殊引数を使っても修正できません。
  • {{和暦}}は、「1912」が注意書き表示の対象となっても「1912m」「1912t」で新旧の元号を指定しわけられます (ただし、この方法は旧暦年には使えませんが)。
  • が、{{jdate}}は「*」のありなしの2択 (ある場合は新元号) のため、旧元号を指定できません。新たな特殊引数を増やすといった対応は上記のわかりにくさを増すことですから、subst展開をすすめるのがよりよいでしょう。
--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 12:30 (UTC) 括弧書きで説明を補記--Hatukanezumi 2010年10月5日 (火) 13:53 (UTC)
現在の版には余事記載が含まれているという点について、ご同意いただけたようですね。引数を用いた修正を嫌うのは一部の方の個人的な感覚ですので、これを禁じられる謂われはありません。この点とjdateを用いた場合については、和暦の引数を用いない修正方法も記述すればよいでしょう。たった3つの年号(1912年、1926年、1989年)に関する修正ですから、編集者に対していちいちsubst展開を勧めるのは、不要な手続を践ませていたずらに複雑な対応を強いることになります。したがって、subst展開については、現時点では不要な記述であると思います。--唐棣色 2010年10月7日 (木) 07:23 (UTC)
subst展開を削除し、特殊引数の説明を加えるという修正の提案であればだったら、私は現時点での修正そのものに反対します。特殊引数の説明を加えるのみであれば反対はしませんが。--Goki 2010年10月7日 (木) 07:57 (UTC)(追記--Goki 2010年10月7日 (木) 08:00 (UTC)

要するに、近代の改元年について、

  • 1912年(大正元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証]」と表示されている部分を「1912年(明治45年)」・「1912年(大正元年)」・「1912年(明治45年/大正元年)」・「1912年」
  • 1926年(昭和元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証]」と表示されている部分を「1926年(大正15年)」・「1926年(昭和元年)」・「1926年(大正15年/昭和元年)」・「1926年」
  • 1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証]」と表示されている部分を「1989年(昭和64年)」・「1989年(平成元年)」・「1989年(昭和64年/平成元年)」・「1989年」

のいずれかに変えるだけの修正(引数追記と直接記述の2方法あり)が行われます。したがって、わざわざsubst展開して無駄な一手間を加える必要はないと考え、記述の削除を提案しました。ここにsubst展開の記述をどうしても残したいというならば、特に反対はしません。--唐棣色 2010年10月7日 (木) 08:46 (UTC)

コメント これまでの議論の繰り返しになってしまいますが、テンプレートがなければ「1912t」といった略記法もなかったわけです。
ウィキペディアは広く執筆者を受け入れていますし、だれでも修正することができます。参加するには「大正元年」と書いてあるものを見て「明治45年」と直す (またはその逆) ことができればいいのです。唐棣色さんが考案した略記法がそれよりすぐれているとは、とても言えません。もちろんLincunさんのもです。そもそも、最良の方法だというのなら、なぜ何とおりもの方法がうまれるのですか (そういう意味で、わたしは両テンプレートを「いずれ廃止されるべき」と言いました。「廃止宣言」とかんちがいされた向きもあるようですが、そうではないです。年号の換算は、いずれもっと自然なやりかたで実現されることになるだろう、という意味です)
繰り返しになりますがもう一度言います。記事を編集 --- 執筆したり修正したりする立場に立って考えてみてください。ウィキペディアの記事を書き、修正をするためだけに、こういうものをおぼえる必要があるでしょうか。提案の趣旨説明に反して、特殊引数の使用は簡略化になっていません
むしろ、subst義務化を合意し、「『大正元年』と書いてあるものを『明治45年』に直す」という、もっとも単純明快な方法で編集できるようにするべきではないでしょうか。
  • それともうひとつだけ。テンプレートの使用数の増減を気にするのはやめたほうがいいとおもいます。ウィキペディアのテンプレートはあなた個人の所有物ではありません。
--Hatukanezumi 2010年10月7日 (木) 13:10 (UTC)
ということでわたしのいいたいことは言ったので、「年号要検証」と「西暦年要検証」の説明を当面コメントアウトし、subst展開の説明は残した修正を行います。特殊引数の説明をしたければ、subst展開の次に位置づけていただきたいとおもいます。--Hatukanezumi 2010年10月7日 (木) 13:21 (UTC)
報告 上の修正をしました。
あともうひとつ言い忘れていましたが、唐棣色さんの文案では1912年7月30日と1926年12月25日の説明が不正確です。その点も加筆しておきました。--Hatukanezumi 2010年10月7日 (木) 13:36 (UTC)

修正しました。1912年7月30日と1926年12月25日の説明は蛇足なので削除しました。また、「subst展開」は修正する上で必ずしも必要ないので、補足的に記しておきます。--唐棣色 2010年10月23日 (土) 04:34 (UTC)

ええと。近代の改元年はいいとして、明治元-5年はどうしますか。旧暦年はどうしますか。また、{{jdate}}の場合はどうしますか。
subst展開についてはずっと議論になっているわけですから、「必ずしも必要ない」と断じて編集をするのは誠実な態度ではないでしょう。
いったんもとにもどしてくださいませんか。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 05:58 (UTC)

user:Hatukanezumiによるjdateの加筆について[編集]

user:Hatukanezumiによって、合意が成立せぬままjdateのsubst対応化等の加筆がなされました。今回加筆された部分については編集の差し戻しの上、今回の行為について「Wikipedia:管理者伝言板/荒らし」に報告しました。--Lincun 2010年11月27日 (土) 14:54 (UTC)