鳳桐寺

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鳳桐寺
所在地 茨城県古河市牧野地421
位置 北緯36度10分52.143秒 東経139度41分54.178秒 / 北緯36.18115083度 東経139.69838278度 / 36.18115083; 139.69838278座標: 北緯36度10分52.143秒 東経139度41分54.178秒 / 北緯36.18115083度 東経139.69838278度 / 36.18115083; 139.69838278
山号 心性山
宗派 日蓮宗
本尊 三宝尊
創建年 室町時代
開山 日延
開基 足利成氏
正式名 心性山 鳳桐寺
法人番号 3050005005722 ウィキデータを編集
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鳳桐寺(ほうとうじ)は、茨城県古河市牧野地にある日蓮宗の寺院。古河公方ゆかりの寺院である[1]。旧本山は、身延山久遠寺

歴史[編集]

当寺の縁起によれば、室町時代、初代古河公方足利成氏鎌倉にいたとき、成氏の開基・日延の開山により「鎌倉波路川之内上川原村」に創建され、成氏が古河に移座したとき(1455年)、あるいは第5代足利義氏のときに、古河に移転した。ただし、あいまいな点が多く、開基は足利義政とする記述もある[2]。古河の歴史解説では、成氏が鎌倉に創建し、成氏に従って古河に移転したとする場合が多い。創建時には、境内に桐の老木があり、鳳凰が止まったことから「康正山 鳳桐寺」と呼ばれた[1]。足利義氏の時代には公方家の祈願寺であり、住職が奉行人を勤めていた(『晃程文書』[3])。

江戸時代の初期、住職の心性院日遠が徳川家康から迫害を受け、側室おまんの方に救われたことがあり、このとき山号を「心性山」に改めた[1]。古河市内の妙光寺の縁起によれば、江戸時代には妙光寺の管理下に置かれていた[2]。無住の時代が長かったが、昭和33年(1958年)に中興され、現在に至る。足利義政が奉納したとされる十羅刹女がある[1]

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『古河市史 民俗編』836-837頁(鳳桐寺)
  2. ^ a b 『古河市史 通史編』 193頁(鳳桐寺)
  3. ^ 『古河市史 資料中世編』No.1094(足利義氏書状写)
  4. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレット (PDF) (2013年12月14日時点のアーカイブ)より

参考文献[編集]

  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料中世編』 古河市、1981年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年