高田小次郎

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高田 小次郎(たかた こじろう、1847年弘化4年〉[注釈 1]- 1912年明治45年)3月28日)は、幕末から明治武士銀行家

因幡国鳥取藩士の[要出典]高田良蔵の長男として生まれる[1]

1878年原六郎川崎八右衛門 (2代目)安田善次郎などの協力で、旧主である池田輝知のため東京第百銀行を開業した。原六郎の後に頭取を務めた[2]東京貯蔵銀行取締役も兼任した。1912年3月28日死去。享年66。墓所は青山霊園[要出典]

子の高田正一実業家となっている[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『人事興信録』初版(1903年)には「弘化2年(1845年)12月生まれ」とあり[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 高田小次郎 - 『人事興信録』初版(リンク先は名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース)。
  2. ^ 因伯立志人物』 - 国立国会図書館デジタルコレクション p.31
  3. ^ 高田正一 - 『人事興信録』第8版(1928年、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース)