須巻温泉

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須巻温泉
温泉情報
所在地 栃木県那須塩原市
座標 北緯36度57分48.5秒 東経139度49分17.4秒 / 北緯36.963472度 東経139.821500度 / 36.963472; 139.821500座標: 北緯36度57分48.5秒 東経139度49分17.4秒 / 北緯36.963472度 東経139.821500度 / 36.963472; 139.821500
泉質 塩化物泉
泉温(摂氏 51 °C
温泉施設数 0
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須巻温泉(すまきおんせん)は、かつて栃木県塩原町[注釈 1]にあった温泉である。2022年現在、旅館は廃業している。

歴史[編集]

畑下温泉から箒川を挟んだ対岸の喜十六山の中腹に位置していた。旅館は「根本屋」、打たせ湯のあった「須巻楼」、万人風呂のあった「霞上館」があり、大正から昭和にかけて賑わいを見せた。須巻団子や蕎麦などの名物もあり、塩原温泉郷の他の温泉地に投宿している客が湯治に訪れたほどだという[1]。1920年・1927年・1931年・1940年の鉄道省発行の『温泉案内』によると、左記各年にわたり宿数1[注釈 2]、宿料はそれぞれ1.2円~5円、2.5円~5円、1.5円~5円、2円~5円と記録されている[2]。同誌の特色の欄には、1931年に「療養・行楽」、1940年には「療養・保養」と記されており、湯治場やリゾート地であったことがうかがえる[3]

古くは大網福渡塩釜塩の湯・袖ヶ沢温泉[注釈 3]畑下門前古町新湯元湯とともに塩原十一湯の一つに数えられた[5]慶応3年の村明細帳には「数巻」の表記で1か所の湧出源泉があったとの記録が残っており、江戸時代にはすでに温泉が利用されていたと考えられる[6]

霞上館の跡地は雑木林となり、わずかに石積みが残る[1]。老朽化で廃業した須巻楼の後背地は別荘地として開発された[7]

周辺は自然研究路が整備され、標高710mの須巻富士には川崎大師平間寺との縁で、厄除不動尊が建立されている[8]

泉質[編集]

泉質は無色透明臭気なく、微かに鉄味を帯び、藍色試験紙を紅変す 温度は岩窟の湧口摂氏五十一度との記録が残る[1]。1974年の栃木県による調査では、塩原層群の地層を通って摂氏40度台の食塩泉ないし弱食塩泉が湧出していたとの結果がある[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1889年から1982年3月末まで塩谷郡、1982年4月1日より那須郡。2005年1月1日に黒磯市西那須野町と合併し、現在の那須塩原市
  2. ^ 鉄道旅行に適した温泉地が掲載されており、必ずしもすべての温泉宿を網羅してはいなかったようである。
  3. ^ 袖ヶ沢温泉は現存せず、同様にすでに現存しない甘湯温泉とともに、重炭酸泉が湧いていた記録がある[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c 随想舎 2003, pp. 102–104
  2. ^ 関戸 2004, pp. 206.
  3. ^ 関戸 2004, pp. 215.
  4. ^ a b 山崎 1981, pp. 122
  5. ^ 角川 1984, p. 452.
  6. ^ 角川 1984, p. 1264.
  7. ^ 角川 1984, pp. 520.
  8. ^ 塩原自然研究路 (PDF) (塩原温泉ビジターセンター)

参考文献[編集]

  • 山崎良雄「塩原温泉と塩原層群」(PDF)『温泉科学』第31巻第4号、日本温泉科学会、1981年3月、119-127頁、CRID 1520853833530810752ISSN 00302821NAID 400003484972023年11月14日閲覧 
  • 角川書店編 編『角川日本地名大辞典 9 栃木県』角川書店、1984年。 
  • 随想舎編 編『絵葉書が映す下野温泉場紀行』随想舎、2003年、90-93頁。ISBN 978-4-88748-083-4 
  • 関戸明子「北関東における温泉地の近代化 : 温泉の利用形態と交通手段の変化」『群馬大学教育学部紀要. 人文・社会科学編』第53巻、群馬大学教育学部、2004年、201-221頁、CRID 1050282812637308800hdl:10087/802ISSN 0386-4294NAID 1200009132152023年11月14日閲覧