コンテンツにスキップ

野孫神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野孫神社
所在地 埼玉県さいたま市岩槻区野孫153
位置 北緯35度54分48秒 東経139度44分17.4秒 / 北緯35.91333度 東経139.738167度 / 35.91333; 139.738167 (野孫神社)座標: 北緯35度54分48秒 東経139度44分17.4秒 / 北緯35.91333度 東経139.738167度 / 35.91333; 139.738167 (野孫神社)
主祭神 倉稲魂命大己貴命
社格 村社
創建 不詳
テンプレートを表示

野孫神社(のまごじんじゃ)は、埼玉県さいたま市岩槻区神社

歴史[編集]

創建年代は不明である。ただ江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』に「稲荷社」として掲載されている[1]ことから、少なくとも江戸時代後期には既に存在していたものと推測される。「光栄寺」が別当寺であった。光栄寺は天台宗の寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた[2]

明治以降の近代社格制度では「無格社」であった。1908年(明治41年)の神社合祀により、無格社「久伊豆神社」と村社「稲荷神社」が合祀された。その際に「稲荷神社」から「野孫神社」に改称した[2]

野孫」は当時の埼玉県南埼玉郡新和村大字であった「島方」と「十郎」を合わせた通称である。正式な地名となったのは1943年昭和18年)であるが、それ以前から通称として知られていたものである[2]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新編武蔵風土記稿 野島村.
  2. ^ a b c 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、960-961p

参考文献[編集]

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年
  • 「野島村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ203埼玉郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/9 

関連文献[編集]

  • 「高曽根村枝郷孫十郎村 久伊豆社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ203埼玉郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764008/6