町田一郎

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町田 一郎(まちだ いちろう、1902年8月11日[1][2] - 1992年1月16日[3])は、三菱銀行常務取締役、三菱経済研究所長などを務めた、日本銀行[1]

経歴[編集]

長野県更級郡青木島村(後の長野市更北)生まれ[1]。旧制長野中学(長野県長野高等学校の前身)から、第八高等学校 (旧制)へ進み、東京大学経済学部を卒業した[1]。大学では研究者になることを目指して大内兵衛のゼミに参加していたが、実家が経営に関わっていた更埴銀行(1911年 - 1937年)の経営が困難に陥る状況などがあって研究者への道を断念し、1928年三菱銀行に入行して、以降はもっぱら調査や貸付関係の業務に従事した[1]1936年ころには業務として欧米留学を経験し、その後、審査部長を経て常務取締役となり、後には、三菱経済研究所長に転じた[1]

おもな著書[編集]

  • 公債政策と経営の合理化、 三菱経済研究所、1968年
  • ドル防衛と金問題、 三菱経済研究所、1968年
  • 企業経営の分析、 三菱経済研究所、1968年
  • ケインズ先生の妙案、日本経済新聞社、1971年

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 信濃毎日新聞社 編「公平な判断に努力 町田一郎」『百人百話』信濃毎日新聞社、1972年2月20日、80-82頁。 
  2. ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.546
  3. ^ “町田一郎氏死去”. 朝日新聞・夕刊: p. 15. (1992年1月16日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

出典[編集]