渡邊正清
渡邊 正清(わたなべ まさきよ、慶応2年9月9日[1](1866年10月17日) – 昭和3年(1928年)9月3日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、検事、弁護士。
概要[編集]
1866年、長門国阿武郡萩町(現在の山口県萩市)に出生。1895年、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。同年に判事検事登用試験に合格し、司法官試補を経て、宇都宮地方裁判所・大分地方裁判所・福岡地方裁判所・大阪地方裁判所の検事を務めた[1]。徳島地方裁判所の次席検事に昇進したが、1906年に退官し徳島市で弁護士を開業した[1]。徳島市会議員、徳島毎日新聞社監査役、日本化学工業株式会社取締役等を歴任。
1927年の衆議院補欠選挙に憲政会より立候補して当選し、憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が成立すると、徳島支部顧問となった[1]。1928年満61歳で死去。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『御大典記念 阿波人物鑑』(1928 徳島日日新報社)
- 『法律論叢』(1998 明治大学法律研究所)