柳生俊睦

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柳生俊睦
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永8年(1779年
死没 天保9年6月4日1838年7月24日
別名 内膳(通称
墓所 奈良県奈良市柳生町の芳徳寺
大和柳生藩世嗣
氏族 柳生氏
父母 柳生俊則
兄弟 俊永俊睦
松平忠済
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柳生 俊睦(やぎゅう としちか)は、江戸時代中期から後期にかけての大和国柳生藩の世嗣。通称は内膳。

略歴[編集]

8代藩主・柳生俊則の三男。生年は安永5年(1776年)とも。正室は松平忠済の娘。

兄・俊永の早世により柳生藩嫡子となる。寛政5年(1793年)に徳川家斉に拝謁するが、文化2年(1805年)に廃嫡された。代わって、大和国郡山藩から俊豊が養子に迎えられ嫡子となった。

芳徳寺境内にある柳生一族の墓所。中央が俊睦の墓

墓所は奈良県奈良市柳生町の芳徳寺