柳機

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柳 機(りゅう き、生没年不詳)は、北周からにかけての政治家は匡時。本貫河東郡解県

経歴[編集]

柳慶の子として生まれた。北周の武帝が魯公となったとき、19歳で記室として召された。武帝が即位すると、宣納上士から少納言・太子宮尹に累進し、平斉県公に封ぜられた。武帝の下で北斉の平定にあたり、開府儀同三司の位を受け、司宗中大夫に転じた。宣帝のとき、御正上大夫に転じた。たびたび宣帝を諫めたが聞き入れられなかったので、禍を受けるのを避けるために、鄭訳を頼って外任を求め、華州刺史として出向した。

580年楊堅丞相となると、長安に召還された。北周の旧臣たちの多くは禅譲を勧進したが、柳機はひとり孤高をたもって、請願することはなかった。まもなく衛州刺史に任ぜられた。581年、隋が建国されると、爵位は建安郡公に進み、納言として召された。在職すること数年、再び華州刺史となった。さらに冀州刺史に転じた。後に召されて入朝し、子の柳述が蘭陵公主をめとると、ますます礼遇されるようになった。

数年後、病のため長安に召還され、自邸で死去した。享年は56。大将軍青州刺史の位を追贈された。は簡といった。

家庭[編集]

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男子[編集]

伝記資料[編集]