松永神社 (久喜市)

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松永神社
所在地 埼玉県久喜市松永1-3-21
位置 北緯36度07分50.6秒 東経139度41分16秒 / 北緯36.130722度 東経139.68778度 / 36.130722; 139.68778 (松永神社 (久喜市))座標: 北緯36度07分50.6秒 東経139度41分16秒 / 北緯36.130722度 東経139.68778度 / 36.130722; 139.68778 (松永神社 (久喜市))
社格 村社
創建 不詳
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松永神社(まつながじんじゃ)は、埼玉県久喜市神社

歴史[編集]

創建年代は不明である。ただ口伝によれば、草加・村上・倉橋の三氏が当地を開拓して、1505年永正3年)に鈴木三郎慶長が村を開村したと伝えられる。その際、慶長は開拓者三氏を祀る「地神尊」の他に、出身地の紀伊国より熊野権現を勧請し、他にも星宮神社・香取神社・天神社を創建したという。そのことから、室町時代後期に創建されたものと推測される。当社は、そのうちの「星宮神社」が基になっている。幕末に香取神社を合祀し「星宮神社香取神社合殿」と呼ばれるようになった[1]

1873年明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられ、1910年(明治43年)の神社合祀により、周辺の3社が合祀された。1914年大正3年)に「松永神社」に改称された[1]

当社には、12月1日に行われる「甘酒祭り」という行事がある。かつては実際に甘酒を作り、行事終了後はそれを飲んでいた。しかし戦後の農地改革により社有田が没収され、原料となるが取れなくなったことから、現在は名称のみ残されている[1]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』埼玉県神社庁、1992年、726-727p

参考文献[編集]

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』埼玉県神社庁、1992年